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母親の「一周忌」

2023年10月22日 | ふるさとの母親

今日は、母親の「一周忌」法要。
菩提寺に、近親者のみ集まりました。
実感としては、1年間は速いものです。

数え歳100歳で、「老衰」で亡くなった母。
10年前、脳内出血で倒れたが、奇跡的に回復しました。
施設にお世話になり、過ごした穏やかな日々。
亡くなって悲しいより、よく頑張ったの「エール」でした。

法要で準備するものがわからず、住職にヒアリング。
宗派によって異なるものの、曹洞宗での準備物は
祭壇には、遺影・位牌・供具団子・花一対・供え物(果物・菓子)。
墓には、線香・米・花一対・供え物。

住職に、来年の3回忌の予約をし帰途につきました。

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葬儀後の諸手続き

2022年12月18日 | ふるさとの母親

今朝は、シーズン初めての冠雪。

日曜日のためか、通行量も少なく、静かな朝です。

 

母親の葬儀の後の諸手続きは、多岐に亘りました。

その項目は、市役所が準備しているA4用紙の表・裏にびっしり。

書いてある言葉の意味も分からないものも・・。

 

手続きの前に、葬儀後の「心得」「準備」も。

自宅に祭壇準備、満中陰法要までの「お骨」の設置場所です。

四十九日の法要日程・場所・参列メンバー決めのスケジューリング。

 

葬儀後、数日間で寺院・職場・近隣などへの挨拶回りも同時進行。

香典整理と返し手配。位牌準備や墓石への彫刻手配。

慌ただしい中で、やるべき項目チェックは必要です。

 

市役所の市民課での手続きの多さに驚きました。

印鑑登録証返還、健康保険喪失手続き、葬祭費請求。

年金未支給請求、税務相続、各種名義変更などなど。

(軍人恩給請求は、東京への連絡と手続きで時間がかかります)

市役所での手続きは、ワンストップで丁寧な応対に感謝です。

 

JA・森林組合の出資金の返還手続きも。

大正・昭和・平成・令和と生き抜いた母親の戸籍謄本は膨大。

相続権利のある弟妹の委任の謄本・印鑑証明も必要です。

 

満中陰法要(四十九日法要)、納骨式終了でひと段落。

葬儀出席者や香典をいただいた人たちに法要終了挨拶と陰志送付(香典返し)。

喪中欠礼のはがき作成、発送。レイアウト・数百枚の印刷に苦労も。

 

     

 

サッカーWCの3位決定戦は、クロアチアがモロッコに勝利。

クロアチアには決勝まで、勝ち進んでほしかったのですが。

母親もサッカーが大好きでした。

 

野球に比べ、素人にはルールがわかりやすいサッカー。

母親は、Jリーグには関心がなく、日の丸を背負う国際マッチが好きでした。

イケメンの長谷部の大ファン、ゴールシーンには拍手で応援。

サッカーを見ると母親を思い出します。

 

画像    今朝の我が家の庭

      クロアチア vs モロッコ  三位決定戦

 

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母親が亡くなりました。

2022年10月30日 | ふるさとの母親

母親が亡くなりました。

数え歳100歳で、大往生です。

多くの人に支えられたことに感謝です。

ありがとうございました。

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ブログ一時休止

2022年10月16日 | ふるさとの母親

99歳の母親が緊急入院。加齢による老衰との診断。

弟妹と一緒に付き添い・見守りのため、ブログ投稿をしばらく休止します。

 

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大正・昭和・平成・令和を生き抜く99歳の母親

2022年01月16日 | ふるさとの母親

 

昨日 施設に「退院直後」の母親を弟・妹と見舞いに。

もう一か月で99歳の誕生日を迎える母親。

大正生まれで、昭和・平成・令和を生き抜いてきました。

 

入退院を繰り返しながらも、認知を発症していません。

退院後の昨日も、妹の名前を呼び、「お早う」「ありがとう」を連発。

笑顔の母親の顔が見え、声が聞けた弟妹も「ほっと」一安心です。

立ち会ってくれた介護の人たちも、私たち家族も「ハッピー」な気分に。

 

交通事故で亡くなった父親、当時母親は56歳で寡婦に。

以来30年間独り暮らし、10年前にUターンした私たち夫婦と同居。

 

     

 

若いころ国鉄に勤務し、電話交換や駅長の「お世話係」だったとか。

「着物」が好きで、その費用を稼ぐために、働きだしたらしい。

当時、国鉄の「無料パス」で全国の着物の名産地を訪ねたとか。

 

およそ80年前、20歳前後の写真に「お転婆」だった母親の姿が。

友人との草履履きでのピクニックや着物姿での潮干狩りなどの貴重な写真も。

「社交的」で「頑固で」「人情家」の母親。

そのDNAは、私と私の娘たちにも引き継がれている気がします。

 

若いころ、樺太(現在のサハリン)に渡ったこともあるらしい。

高齢になっても、ローマ字のサインを覚え、友人たちとハワイに遊んだことも。

旅慣れた母親は、転勤族の私の赴任地のほとんどを訪問してくれました。

「岡山弁」を駆使して尋ねながら、独りで飛行機や新幹線で東京も博多も・・。

すし詰めの小田急線も全く苦にならなかったのだとか。

 

脳内出血は少量だったが、半身の運動機能エリアと発語領域を侵したらしい。

しかし 数か月のリハビリで話せるようになり、マヒはのこったもののプチ回復。

嚥下力も低下したため、医師と相談し、口と「遺漏」両方で栄養摂取を決断。

入院時も治療はもちろん、毎回 早めの栄養開始を医師に依頼。体力回復が目的です。

何度も「奇跡の生還」を果たしてきた母親。元々の免疫力も高いらしい。

 

     

 

知人の老健施設を運営する医師に聞きました。

「女性の100歳超えは多いが、男性はそうはいかないね。86歳かな」

データがあるのか、86歳と言い切りました。

私の「残り」の人生も、あと十数年の勘定。

 

「日残りて、昏るるに未だ遠し」でなく、「昏るるは近し」かも。

やるべきことを、早くに仕上げなくてはと急かされる想いです。

 

画像   職場の母親     国鉄勤務 電話交換手

               80年前の母親 右側

     潮干狩りの母親   着物姿  左側

               県南 鷲羽山近辺?

     山歩きの母親    当時としてはおしゃれ? 左端

               近隣の大佐山? 足元は草履です

     ※ いずれも貴重な母親の青春時代 よく残っていたものです

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医師もびっくり「母親の免疫力」

2021年10月31日 | ふるさとの母親

母親が一か月ぶりに退院。

一時は、危険な状態。医師から覚悟するように言われました。

しかし その逆境を跳ね返し、見事「帰還」。

 

9月下旬、入所の施設から、母親の緊急入院の知らせ。

急いで病院に駆けつけると、医師から厳しい言葉。

血液検査の結果、感染症で細菌が血液にも及んでいるとか。

加えて、誤嚥による肺炎も発症。血圧も上が70前後で危ないと。

 

血圧降下と血液検査の結果に悲観的な医師の見立て。

昇圧剤投与と強めの抗菌剤で感染を抑えてみると医師の言葉。

特別室に収容され、当然面会謝絶。

 

血液検査のデータを説明する医師。

どの数値も、危険水域を超えていて、高齢者には耐えられない状態らしい。

しかし 不思議だったのは、持病の胆石に起因する発熱・嘔吐ではないこと。

遺漏なのになぜ誤嚥性肺炎?

医療知識のない素人の私が、心配したのは母親の体力。

今から治療を始める医師に、無知な質問をしました。

 

「治療方針は、お任せします。しかし点滴の低カロリーで体力は?」

「少しでも数値が改善されたら、高カロリーの点滴や栄養は可能?」

この質問に医師は「感染の細菌に栄養を与えるようなもの」と厳しい答え。

 

入院の翌日から、毎朝 病院に電話を。

担当の看護師に「母親の病状を教えてください。血圧は?熱は?意識は?

数日後 医師から携帯に連絡が入りました。

「血圧も上が100を超し、熱は下がり、呼びかけると反応も・・」

「お母さんには免疫力があります。試験的に栄養投与も開始します。」

 

入院以降、病状報告と退院可能告知まで医師からの電話が5~6回。

その連絡に「嬉しい電話ありがとうございました。」と私。

医師は「退院可能の連絡は、私も嬉しい」。

98歳の高齢の母親を心配する「モンスター家族」の私に辟易したかも?(笑)

 

昨日 ガラス越しながら施設で母親と面会。

元気な姿に弟や妹もホッと一安心。見舞いのカサブランカに母親も見入っています。

この歳で、母親が居てくれることに感謝です。

 

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続く「奇跡」

2021年06月06日 | ふるさとの母親

母親の入院している病院からの着信履歴あり。

折り返しの電話をする間、不安でした。

 

施設から緊急搬送されたのが2週間前。

若い内科医の下した診断は、肺炎とまさかの脱水症状。

「血液検査の結果、厳しい状況です。」との宣告。

重ねて、延命措置をどうするかの確認も。

 

今まで、「今回は・・」と言われながら、そのたびに五度も「復活」した母親。

しかし 今回 立ち会った妹も、私とおなじように覚悟を決めた瞬間でした。

家に帰り、万が一の場合の緊急連絡先のリストを再チェック。

セレモニーホールの状況確認も・

 

コロナ対策から、面会謝絶の病院。

午前7時過ぎに、母親の病状確認をする毎朝。

当直の看護師が電話に出る間、ドキドキする時間の長いこと。

 

電話相手の「日替わり」の看護師の態度・口調は様々。

親切な看護師と事務的な看護師の差がくっきり。

「詳しいことは、主治医からの電話をお待ちください。」

 

そのような中での、医師からの電話。

「症状が安定し、点滴は中止し、栄養の開始と塩分補給の継続中。」

「酸素マスクも外せました。」とホッとする言葉でした。

 

一昨日、入退院担当の看護師から、「症状も安定したので、退院可能です。」

「施設と話し、退院日程の調整をします。」と。

施設からも電話があり、退院日が決定しました。

 

覚悟を決めた今回の緊急入院。

しかし、再び「奇跡の再来」。

8年前、脳内出血で倒れ、施設入所後も、入退院を繰り返した母親。

98歳の高齢ながら、認知にもならない強靭な意思と体力。

 

母方の祖父が99歳、祖母が94歳まで生きたDNAは母親にも。

100歳超えの未来の可能性も。

とはいえ、高齢が故の急変もあるかもしれません。

 

八百万の神や、仏の加護に感謝する「俄か信者」の私です。

 

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「老衰」

2021年03月28日 | ふるさとの母親

ガラス越しの面会の母親に変化が。

私たち兄妹の呼びかけに反応が鈍くなってきたのです。

視線が宙を彷徨い、発語が減少。

コロナで入所の特養の部屋訪問ができなくなって1年経ちました。

 

施設入所の母親を見舞うため週二回通ってきた私たち兄妹3人。

車いすに乗り、介護の人にアテンドされながら、ガラスの向こうに座る母親。

2月くらいから、「お母さん、又来たよ!」との妹の声にも反応が減りました。

以前の嬉しそうだった顔と「お早う」の声が・・。

 

元気な姿が当たり前だった母親も、年相応の反応に。

3月に98歳の誕生日を迎えた超高齢者。

どこが悪いのでもなく、痛がることもなく、寝起きのような感じです。

 

おもいあたるのは、「老衰」の進行。

「認知症」でなく、話しかけると反応すると介護の人たちの言葉。

ベッドから車いすに移り、面会スペースに来るのも母親には負担かも?

 

そこで、見舞い回数を週1回に減らすことを、弟・妹と決めました。

頻繁に「見舞いに行く」というのは、ひょっとしたら「私たちの都合?」

姿勢の楽なベッドで、眠りたいときに寝る生活が一番のいいのかも。

会える回数が減ることは、「寂しい」私たちですが。

 

母方の祖父は99歳、祖母は94歳で亡くなりました。

そのDNAが母親を長命にしてきたのでしょう。

おかげで私たち兄妹も、大病を患うこともなく、そこそこ健康。

 

母親が元気で居てくれることが、何よりの「張り合い」です。

 

画像  左が母親   10代後半の母親 およそ80年前の写真

           着物姿で潮干狩りを楽しむ母親、お転婆だったらしい

 

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「一喜一憂」

2021年02月20日 | ふるさとの母親

ガラスの向こうの母親が、私たちの気持ちを変えさせます。

施設入所の母親との面会日。

嬉しかったり、落胆したり。

 

もう1週間で98歳の誕生日を迎える母親。

8年前、脳内出血で緊急入院、リハビリなどで回復後施設に。

施設から病院に緊急入院も数度、そして「奇跡の生還」を。

 

高齢ながら認知症でなく、「元気になって、家に帰る」と意気軒高。

しかし 麻痺が残ったため、止む無く施設のお世話になることに。

新しい個室に入所でき、記憶もしっかりしているため見舞いに多くの人が。

 

コロナで部屋での面会ができなくなったものの、ガラス越しの面会は可能。

車いすで介護の人のアテンドはありながら、ハンディトーキーで会話。

特別設置の面会コーナーに現れる母親の様子が日によって異なるのです。

 

「おはよう」と言葉が出て、私たち子どもの名を呼ぶ嬉しい日。

逆に、元気がなく、言葉も出ず、視線も定まらない日は寂しいのです。

高齢になると体調は乱高下。寝不足の日は集中力も欠けています。

 

週2回 弟と妹と揃って見舞いに出かけます。

「今日は元気かな?」「私たちの名前を呼んでくれるかな?」

母親が元気な日は、私たち兄弟も元気に。

そうでない日は、落胆し、帰途の気持ちもふさぎます。

 

98歳になろうというのに、昔の元気なころのイメージが当たり前の私たち。

しかし よく考えると100歳前の高齢者が元気なほうが奇跡かも。

この歳で親が元気なことに感謝しなければと、妙な納得も。

 

兄弟3人の内、妹の母親への呼びかけに一番反応がある感じがします。

多分 妹への母親の想いが強いのかも。

「お母さーん。私だよ。わかる?」呼びかける妹。

部屋への見舞いが可能だった頃、母娘の会話が弾んでいました。

 

父親が早くに亡くなり、母親と妹の二人の生活。

その母親を置いて、嫁に行く妹は辛かったはず。

結婚式で父親の準備していた着物を着たとき、涙を流す母親。

「お父さんに、見せたかった。」

 

     

 

親孝行の形は様々。

私たち子供が健康で、弟と妹と仲良くすることが一番と考える私です。

自分が四人の娘を持ってみて思うことだから。

そして子供たちが、一番うれしいのは、両親の仲の良さでしょう。

 

今朝は庭に咲く紅梅を見舞いに持っていきました。

花が好きな母親。春になるといつも見ていた花だから。

 

画像  庭に咲く梅

    唐松荘    母親が世話になっている特別養護老人ホーム

           介護の人たちが良く面倒を見てくれます

 

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ガラス超しの「面会」

2020年10月10日 | ふるさとの母親

とうとうわが町にも「コロナ侵入」です。

二人の感染発表で、静かな田舎町にも緊張感が・・。

そのため、施設入所中の母親との面会が再び謝絶に。

 

何とか「顔だけでも見たい」と施設にお願いをしました。

結果 「直接に会話はできないが、ガラス越しなら何とかします。」と許可が。

施設の配慮に感謝です。

 

渡り廊下の全面ガラスの向こう側に車いすに座った母親とそばに介護の人。

私や妹は、ガラス窓の外からの面会です。

私たちの顔を見つけた母親の表情が笑顔に変わります。ほっとする私たち。

 

あらかじめ準備していたのは、A4用紙に活字ポイントを拡大した手紙。

「元気ですか?」「気分は悪くないですか?」と質問。

そして私たちも変わりないとの近況報告も。

その手紙を、ガラス面に押し付け、介護の人に読んでもらいます。

 

近隣や親戚の近況や、コロナの状況。

農作物の生育状況、季節の変化を知らせます。

それだけでは言いたいことが伝わらないと、拡大プリントの写真も。

 

孫やひ孫の写真、母親が毎日 目にしていた集落の風景も。

コスモス一杯の畑や、黄色く実った稲穂も撮りました。

母親の若いころのモノクロの写真も拡大、ガラスに押し付け見せます。

 

     

 

介護の人の読み上げる手紙と、拡大した写真を見せることが今できる手段。

母親の喜ぶ情報は何か?どんな写真を見せたら嬉しいのか?

面会前の準備に時間をかけても、実際の面会は10分程度。

凝縮された、濃密な時間を母親と過ごしたいと考える私です。

 

広島に住む弟の顔を9か月ぶりに見た母親の目に涙が・・。

それを見た弟や妹も涙腺が崩壊。

97歳の母親に残された時間は、わずかです。

「コロナ」が、大切な家族の時間を奪っているのです。

 

母親の好きな百合の花や、知人の差しれを窓の外に置いて、面会終了。

きつめの花の匂いや、飾られた手芸の品々が母親を慰めてくれるでしょう。

 

私の大切なものは何か、大事にすべきことは?

今しかできないことを考えさせられる日々です。

 

画像  コスモス  母親が野菜を作っていた畑に今はコスモスを植えています。

          夏にはひまわりが咲く畑。

    潮干狩り? およそ80年前の母親が10代後半のころ? 左が母親。 

          着物を着て海に入っています。お転婆だったらしい母親。

 

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「面会」

2020年07月26日 | ふるさとの母親

現在施設に入所中の母親は97歳。

この母親と面会するには、事前予約が必要です。

面会時間は、およそ15分。

 

岡山県北の我が町の南に接する町で、数日前コロナ発生。

遠い地のことと思っていたことが、「ついに我が町にも」という実感。

一番怖いのは、母親との面会が出来なくなることです。

 

        

 

3月から5月まで、面会が出来なくなり、心配した時期も。

この間、施設にお願いをし、ガラス越しに会わせてもらいました。

大きめの活字ポイントで手紙を書き、ガラスの向こうの母親に見せることも。

又 A4サイズに拡大した写真も。自宅に咲く花や景色を撮ったものです。

 

この時感じたのは、母親の関心事は何か?見たい景色はどこか?

97歳で入所中でも、認知ではなく、地元の新聞を読む母親。

ただ物忘れが増え、固有名詞がすぐ出てこない状況に。

 

3月までは、ほとんど毎日、帰途中の施設に見舞いを続けていました。

昔から花が好きで、多くの花を育てていた母親。

そのために、母親の個室には花瓶をずらりと並べ、季節の花を。

好きな花は、ユリ・カサブランカ。きついくらいの匂いです。

 

脳内出血で半身にマヒが残り、要介護5になったのが数年前。

一時は話すこともできなかったが、リハビリで会話可能に。

嚥下力低下で「胃瘻」手術、ただ味を忘れないように少量は口から。

そのためか、栄養バランスは、結構良さそう。

 

      

 

独身時代、旧国鉄の電話交換手として勤務。

無料パスで好きな「着物」の生地を求めて全国を旅したとか。

全国の駅長の好意で駅舎に泊まりながらの旅。

高齢になっても、転勤族の私の自宅を必ず訪ねてきた母親。

飛行機も苦でなく、ローマ字のサインを覚え、ハワイにも。

 

面会がある日は、楽しみしていて、より元気に。

面会がない日は、会話がないためか、喋りがぎこちないと介護の人の談。

認知でなく、名前をよく覚えているためか、見舞客も多い母親。

 

        

 

母親の父(祖父)99歳、母(祖母)は94歳まで存命でした。

この長生きの家系に生まれた母親、長命のDNAを持っているかも。

子供の私が望むのは、いつまでも生きていて欲しいもの。

交通事故で58歳で亡くなった父親の分まで・・。

 

画像   畑のチューリップ   咲き始めた自宅の下の畑のチューリップ

                  密集しすぎて開花率は低い

     母親の個室の花    少し前の花瓶の花

                  しばらく部屋に入っていません

     母親入所の施設    資本金10億弱、経営のしっかりしている施設

                  女性の荘長や介護の人たちの心遣いがすごい

     松ぼっくり      知人のお母さんからいただいた労作

                  松ぼっくりに着物などの生地でデコレート

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面会謝絶連絡(コロナ禍)

2020年03月08日 | ふるさとの母親

昨日 母親が入所している施設のケアーマネージャーから電話。

一瞬 母親の容態に何か変化が?と不安がよぎります。

「今日から、家族と言えども見舞い訪問ができなくなりました。」

 

岡山県でもコロナ発症者が出たための緊急措置をとる旨の連絡。

「ついに来たか!」

毎日 仕事帰りに母親の見舞いに、この施設に通っています。

 

       

 

生花とサッカー中継観戦が楽しみな母親。

個室に飾った複数の花瓶の生花。その水替えのために毎日見舞っていました。

母親の好きなカサブランカの花の「雄しべ」を取り除き、長く咲かせる作業も。

お陰で指先がいつも黄色に。花粉は水洗いでは落ちません。

 

「母親の部屋に飾った生花の管理をお願いします。」と言うのが精いっぱい。

面会再開がいつから可能か?も現状では不明です。

「容体が変わったら連絡します。」と施設側。

97歳の高齢では、何が起きるか心配ながら、やむをえません。

 

     

 

施設から電話の直後、また携帯が鳴ります。

なんと今度はアメリカ在住の知人から。中学・高校の同級生の女性です。

母校の高校の存続のための、支援・協力依頼。

 

話は母親の近況に移り、この女性と母親の誕生日が奇しくも同じ日と判明。

6月にアメリカから帰省するので、施設に見舞いに行きたいとの申し出が。

学生時代、9歳年下の妹にピアノを教えに来てもらっていた記憶も。

当時 我が家にはピアノがなく、電気のオルガンしかありませんでしたが。

 

世界に蔓延するコロナウィルス。

ついに岡山県北の過疎の町にもその脅威が迫ります。

 

          

 

東京から「疎開?」の次女と孫娘は滞在延長中。

同じく東京の別の娘から、ティッシュやカップ麺不足のSOS。

平常の落ち着いた生活を早く取り戻したいものです。

 

画像   千屋温泉の送迎バス   元気なころ母親は毎週温泉でした

     カサブランカ      施設の部屋に欠かさず活ける花

     庭の水仙

     公園の孫娘       4歳児は活発、4月から幼稚園

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「究極の選択」

2019年07月14日 | ふるさとの母親

先週半ば、母親が県南の救急病院に搬送されました。

地元の病院では、対応できないための緊急措置。

数日たちましたが、おかげで現在回復中。

 

ただ抜本的な、治療ではないため、再発の可能性も。

96歳という高齢では、手術に耐える体力がないとの判断。

抗生物質による対症療法です。

 

手術による患部摘出が最良の措置。

次善の措置は、患部にドレンを付けるセミ外科手術。

最後が、抗生物質投与の内科的措置。

 

最初は、外科的手術を希望。

並みの96歳ではないとの、家族の希望的観測

花やサッカーを楽しむ母親は、特別な体力・気力があると思っていました。

 

開腹手術でなく、腹腔鏡を使えば体力を消耗しないと。

問題は全身麻酔。高齢での麻酔は危険水域とのアドバイスが。

又 腹腔鏡使用による、内臓圧迫も。

 

結局 悩んだ末、穏やかに過ごせる内科的療法を選択しました。

しかし体内に「爆弾」を抱えているような状況。

この判断で良かったのかどうか?わかりません。

 

東京の娘婿が内科医で腹腔鏡の専門医。

電話でやり取りをしながら、病院の医師と治療方針を決定。

「その判断で良かったと思います。私の親でも、その選択をします。」

と彼が言ってくれたのが、救いです。

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「花を観る」ため一時帰宅の96歳の母親

2019年04月28日 | ふるさとの母親

施設入所の母親が、一時帰宅予定。

花の好きな母親が、「今を盛り」のフジの花を観に。

毎年この時期の、恒例の帰宅。

 

大正12年生まれの母親は、今年96歳。

脳内出血で倒れ、現在施設入所中。

数度の危機を乗り越え、認知症も患わない母親。

 

大正・昭和・平成・令和の4世代を生き抜く力は驚異的。

ただ体の半身にマヒが残り、車いすでの帰宅です。

毎年 「今年が最後では」と思いながらの「花見」です。

 

この時期 母親を、待ち受ける稀少な「白いフジ」。

樹齢は定かではないフジの木。

根元は太く、10メートルにわたり枝を拡げる古木です。

 

   

 

フジ棚の下を、通り抜ける風。

この風を受けながら、離れの軒先の「一畳台」から見るフジは絶景。

我が家を守る「守護神」のごとく咲き誇るフジは母親の「心の支え」。

 

花の咲き具合を毎日訪ねる母親に、写真や動画で進捗報告が日課です。

帰宅して、しばらくフジ棚の下で、花を仰ぎ見る母親。

部屋に移動し、窓越しにフジを見続けます。

 

     

 

父親との結婚前の独身時代、国鉄(現在のJR)の電話交換手をしていた母親。

「お転婆」だったらしく、当時の家族無料パスで全国を旅したらしい。

宿代を節約するため、駅長に懇願し、全国の駅舎に泊まり歩いた娘時代。

 

北海道経由で、樺太(今のサハリン)に渡った話。

晩年 ローマ字のサインを覚え、ハワイ渡航の経験も。

転勤族で全国に移り住んだ私の赴任地に必ず訪ねてきた母親。

 

   

 

活発だった娘時代を想像させる80年も前の写真が数葉。

友人と山歩きの写真。「ハイカラ?」な服装ながら足元は草履。

袴の裾をたくし上げた潮干狩りの写真。電話交換機の前の職場写真などなど。

 

今年のフジは剪定後のため、花の付き具合もよく、一段と綺麗。

この花を楽しんでくれたら、嬉しいと思う春の日です。

 

画像  離れの二階から見た母屋と藤の花

    フジの根  径が太く、外見は枯れているかの様

    エビネ   母親が山から移植したエビネ(蘭の一種) この地味な花も好き

    母親の10代後半の写真。左端が母親。  当時としては珍しい洋服?

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五度の「奇跡」と「五十祭]

2019年02月10日 | ふるさとの母親
緊急入院中の96歳の母親が、先週退院しました。

高熱と白血球が上限の倍近くまで上昇。
血中酸素濃度も低下し、尿が出ない状況は最悪でした。
当初 医師の病名特定もできず、抗生物質で対応。
体のどこかに重度の炎症が起きていたのです。

手探りの対症療法が2週間。回復後1週間。
意識はあり、苦しさを訴えることもなく、病室の天井を見ていた母親。
微熱は続くものの、最悪状態を脱し、ほっとしました。

脳内出血により、県南の救急病院に搬送されたのが6年前。
その後も、胆管異常、胆石除去、重度の肺炎、そして感染症。
高齢ながら、よく耐えた母親。5度めの「生還」は「奇跡」です。
祖父母に丈夫に生んでもらったおかげと感謝です。

現在 私は短期「シングルライフ」中。
母親の回復と退院を確認後、かみさんが娘と孫の住む東京へ空路の旅立ち。
数カ月前から決まっていたスケジュールです。
母親の「奇跡の回復」により、キャンセルすることなく、上京。

目的の一つは、福山雅治の50歳誕生記念の「五十祭」のライブ。
かみさんは、ファンクラブにも加入するほどの熱心さ。
母親の緊急入院で一度はあきらめかけた念願のステージ。

前日のWOWOWのプログラムも観た上に、横浜アリーナで「生」を。
娘同伴のライブや4人の娘や孫たちの食事会と、盛りだくさんの東京生活。

私は、独りの生活を「エンジョイ」中。
好きなものを食べ、「自由な時間」を楽しみます。
寒い季節ながら、心の底の「暖かさ」を感じる古希の日常。


コメント (2)
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