元ベース弾きの田舎暮らしは

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音楽が縦軸の人生
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静かな年末

2022年12月25日 | ふるさと

今年は、静かな年末です。

母親の死去に伴い、大半の行事・習慣を中止したためです。

 

年賀状は、喪中欠礼の連絡はがきに変更。

毎年帰省の娘たちも、今年は帰りません。

孫たちを歓迎する、イルミネーション設置も取りやめ。

夫婦二人だけの、静かな生活に。

 

「飾り」や「おせち」のない正月。

ただ 「けんちん」の「年越しそば」は食べたいもの。

正月休みは、ただの大型連休です。

 

喪中欠礼の案内を見た人たちから、手紙やメールが。

香典代わりの「心遣い」「供物」も多数いただきました。

知人から、食事のお誘いも。

 

葬儀の際の参列者の人数の多さにも驚きましたが、

母親と交遊関係のあった人や、私を訪ねて自宅への弔問も。

善意に囲まれていることを実感する年末です。

 

行事・イベントへの参加は、最小限に。

菩提寺の地区総代会出席や15の寺で構成する教区の監査は実施

年末の「除夜の鐘衝き」は、護持会主催のため出席予定です。

 

  

 

自粛だけでなく、来春に向けての準備も。

今年の倍の開花を目標に、チューリップ1000本の球根植え。

今年採取の球根に加え、新たに購入した新種の球根を追加。

鮮やかなチューリップの開花を想像しての作業は楽しいものです。

 

画像  菩提寺 慈眼寺の鐘楼      昨年の除夜の鐘衝き時

                    この寺の護持会長就任3年目です。

    今春のチューリップ畑と我が家  通勤時に坂を下りながら見るチューリップ

                    右の白いプラムの木と対照的にカラフル

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葬儀後の諸手続き

2022年12月18日 | ふるさとの母親

今朝は、シーズン初めての冠雪。

日曜日のためか、通行量も少なく、静かな朝です。

 

母親の葬儀の後の諸手続きは、多岐に亘りました。

その項目は、市役所が準備しているA4用紙の表・裏にびっしり。

書いてある言葉の意味も分からないものも・・。

 

手続きの前に、葬儀後の「心得」「準備」も。

自宅に祭壇準備、満中陰法要までの「お骨」の設置場所です。

四十九日の法要日程・場所・参列メンバー決めのスケジューリング。

 

葬儀後、数日間で寺院・職場・近隣などへの挨拶回りも同時進行。

香典整理と返し手配。位牌準備や墓石への彫刻手配。

慌ただしい中で、やるべき項目チェックは必要です。

 

市役所の市民課での手続きの多さに驚きました。

印鑑登録証返還、健康保険喪失手続き、葬祭費請求。

年金未支給請求、税務相続、各種名義変更などなど。

(軍人恩給請求は、東京への連絡と手続きで時間がかかります)

市役所での手続きは、ワンストップで丁寧な応対に感謝です。

 

JA・森林組合の出資金の返還手続きも。

大正・昭和・平成・令和と生き抜いた母親の戸籍謄本は膨大。

相続権利のある弟妹の委任の謄本・印鑑証明も必要です。

 

満中陰法要(四十九日法要)、納骨式終了でひと段落。

葬儀出席者や香典をいただいた人たちに法要終了挨拶と陰志送付(香典返し)。

喪中欠礼のはがき作成、発送。レイアウト・数百枚の印刷に苦労も。

 

     

 

サッカーWCの3位決定戦は、クロアチアがモロッコに勝利。

クロアチアには決勝まで、勝ち進んでほしかったのですが。

母親もサッカーが大好きでした。

 

野球に比べ、素人にはルールがわかりやすいサッカー。

母親は、Jリーグには関心がなく、日の丸を背負う国際マッチが好きでした。

イケメンの長谷部の大ファン、ゴールシーンには拍手で応援。

サッカーを見ると母親を思い出します。

 

画像    今朝の我が家の庭

      クロアチア vs モロッコ  三位決定戦

 

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「四十九日法要」を終えブログ再開

2022年12月11日 | Weblog

昨日 母親の「四十九日法要」と「納骨式」を終えました。

葬儀後およそ一か月半、慌ただしさも一段落です。

 

緊急入院、そして2週間の闘病後、永眠しました。

死因は老衰、数え歳100歳で天寿全う。

大正・昭和・平成・令和を生き抜いた母。

田舎に育ちながら、好奇心と「視野の広さ」は、驚くばかり。

 

国鉄(今のJR)入社で、電話交換手と駅長のお世話を経験。

若いころの写真には、潮干狩りやピクニックが。80年前にしては活動的。

国鉄の無料パスを使っての、国内の「着物」や「反物」を求める旅。

 

晩年は「青春十八切符」で、気ままなプチツアー。

電車好きで、転勤族の私の赴任地を必ず訪問してくれました。

樺太(今のサハリン)、台湾、ハワイなど海外へも。ローマ字のサインも覚えたとか。

 

宅配便で、子供や孫たちへ野菜やお菓子を届けた数は図抜けた多さ。年数十便。

私の娘たちは、「おばあちゃんの玉手箱」と呼んでいた宅配の中身。

新聞紙にくるんだ数多くのお菓子や珍品は、子供をワクワクさせたのでしょう。

クリスマスには、ツリー用の大きなモミの木もどきも。宅配会社も配送に困ったのでは?

 

国政選挙から市議選まで選挙が大好きだった母親。

交友範囲が広いため、各陣営から「票集め」を依頼されたらしい。

選挙期間中の電話の回数と時間は相当なもの。固定電話で2~3万円使っていたのだから。

 

一番驚いたのは、県南の大学の学長との交流。

ラジオの放送で学長の話に感動し、電話でアポを取り会いに行ったのです。

電話で学長が「何年生まれですか?」と尋ねると、「12年生まれです。」と母親。

 

「てっきり昭和12年と思っていたが、まさか大正12年とは・・」と後の学長談。

秘書に案内され、学長室に現れたのが、90歳が近い「婆さん」だったので驚いたらしい。

物おじしない母親は、勉強嫌いでも「社会偏差値」は高かったのでしょう。

 

農業経験のない母親が、兼業農家に嫁いだため、苦労も。

慣れない農作業で膝を痛め、晩年は整形に通う母親。

花が好きで山野草を集め、庭に移植。中でも「海老根」が大好きでした。

 

若くして父親が交通事故で亡くなり、30年間独り暮らし。

私には「帰ってこい」とは言わないのに、周囲には「息子が帰る」と期待も。

私の帰省後、旧い家を解体、新築中に脳内出血で倒れた母親。

 

施設にお世話になりながら、認知にはなりませんでした。

春の白いフジの花の開花時期だけ我が家に帰ってきた母親。

新築の隠居部屋から見る庭の花が楽しみだったようです。

 

位牌は父親と母親の夫婦位牌にしました。

100歳の人生を終え、あの世で父親と会話しているでしょう。

 

画像   就実大学の学長の色紙

      色紙や本や就実の「せんべい」をいただきました

      

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