元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

蒜山(ひるせん)と新庄「凱旋(がいせん)桜」、春の旅

2011年04月28日 | 思い出
日曜日は絶好の行楽日和。
かみさんと岡山県北の新庄と蒜山めぐりを。
「凱旋さくら」と道の駅を四か所廻りました。

肌寒い春の早朝。凱旋桜の見物客はまだ少ない時間。
満開を過ぎてはいるものの、盆栽風な低い桜は魅力的。かみさんも感動。
並木の両側の民家も景観保存でクラシック。桜とマッチしています。



     

蒜山高原は、マイカーで訪れた観光客の車の列。
山頂や山肌に残った雪が、日本離れした風景。
薄いブルーの色合いの遠景が、わくわく感を増幅。

どこの道の駅も人でいっぱい。

新庄は、「凱旋さくら」に因んだお菓子・そば・うどんのオンパレード。
蒜山はジャージー乳の加工品とB級グルメの「蒜山焼きそば」。
醍醐の里は、同じく桜に関する商品。
いずれの道の駅も野菜や米の販売も。

     

昼ご飯をどこで食べるか迷いましたが、結局蒜山休暇村のバイキングで。
二階の広めの部屋と大きく採った窓の明るい光の下で好きな料理が食べられます。
四人がけのテーブルに窓に向かってかみさんと並び、高原の緑も楽しめます。
バイキングの品数は、多くないものの、地元の蒜山そばなども。
肉系が少なく、若干不満ですが、エビや魚は豊富。デザートはわずか。



道の駅で買い求めたもの、ジャムが3種類。
山ブドウやイチジク、リンゴ。パンが好きな私はジャムも大好き。
衝動買いを抑えたのはかみさんの視線。見たものすべてが欲しくなる私をコントロール。

バイキングで食べられなかった肉類を夕食で。
焼肉屋で都合5人前のカルビ。シニアの私たち夫婦には少し量が多かったかも。
昔は5人前なんか一人でペロリと食べた時代も。
おいしい肉と程よい辛さのタレ。キムチは「若い」もの、もう少し熟成したのが好みです。

この日 乗ったのはかみさんの事故の代車。レンタカー仕様の高級車。内装もリッチです。
快適なツーリングと食事、満足した休日です。

画像   蒜山高原
      凱旋桜  ① ②
      蒜山   バイキングを食べながら見た風景
      道の駅  新庄
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「追突されたかみさん」

2011年04月22日 | 日常
勤務中に携帯電話がブルブル。接客中のため出られません。
そのためか続いてメール受信のブルブル。
開けて見るとかみさんから短いメール。
「追突された」。驚き、あわてました。

メールを打ってきたということは、さほど重傷ではなく?少し安心。
私に事故現場に来てほしいのかも知れない。
しかし事故の起きた場所を書いてない。
そこで電話をしても応答なし。どんな状況かわかないので少し不安になる。

しばらくしてからかみさんから電話。
「大丈夫だった?今どこ?」と私。
かみさん「ケガはない。場所が良く分からないけど、袋を積み上げた工場の前にいる!」
引っ越し直後の田舎の地理を説明できるかみさんではありません。

職場の仲間に断って、現場を探しに市内に出かけます。
かみさんの車は、赤のワンボックスカー。
目立つ車のため、道路際ならすぐ目につくはず。

見つけたのは、石灰会社の工場前。赤い車とトラックが停車中。
かみさんと事故の相手らしき人と車の横に立っています。
かみさんの車は後部は大破。ガラスが壊れて中が素通し状態。
バンパーが下にめり込み、後部サイドのランプ類が割れて垂れ下がっています。

横に事故の相手のトラック。
トラックと「勝負」しては、ワンボックスでも勝てません。
警察の検証はすでに終わって引き揚げた直後。
病院に行くようにかみさんに指示し、職場にとって返します。

夕方帰宅のかみさんに私は質問の嵐。
離合のため、一時停止していたところをぶつけられたらしい。
大破した車の代車も借り、病院で精密検査も済んだとのこと。

もし追突で押し出されて、大型トラックと正面衝突なら大変なことに。
ムチ打ち程度で済んだことは不幸中の幸い。

私が娘たちに、事故のことをメール。
心配するから連絡しなくてもよいとのかみさんの言葉を無視。
四人の娘たちから続々入るメールや電話。
母親を心配する娘たちの声を聞き、嬉しそうな顔のかみさん。

事故は望まないものの、「家族の存在」を感じた一日です。
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「中毒」

2011年04月17日 | 食べ物、飲み物
私の中毒は「カフェイン」と「ニコチン」。「薬(ヤク)」ではありません。
「ニコチン」については、別の機会に。

私の「カフェイン中毒」とは「コーヒー中毒」。
毎日数杯、休日には10杯を超えるコーヒー。
砂糖抜きは当然、その上医師にはミルクで胃壁を守ることを指示されています。
いつも使うフレッシュも植物性のほうが動物性よりも体に良くないとか・・・。
しかし 価格の安さから植物性を使っています。

毎日職場に、ポット入りコーヒーとフレッシュを持参。
「同好の士」と香りと味を愉しんでいます。
私のコーヒーを愉しみにしてくれる仲間のためにも欠かせない日課。
コーヒーが人間関係の「潤滑油」になっている気がします。

永年使ってきたコーヒーメーカーが、故障。
淹れている最中に内部が高温になるらしく、スイッチが切れます。
20年近く前に購入し、愛用してきた「優れもの」ながらもはや使用の限界。

かみさんがネットで新しい製品を注文してくれました。
今回の商品購入は、機能で選択。数種類を比較検討。
八人前以上を一度に淹れられること。
貯水部分が取り外し可能なこと。
フィルター部分がスウィングすること。
ポット部分がステンレス製で保温効果の高いもの。

上記の条件下、選んだものは、国産でオーソドックスなタイプ。
ブランドを売り物にするメーカーは意外に機能が充実していません。
価格は前商品の三分の一。コーヒーメーカー業界もコストダウンが進んでいます。
本体はプラ製で少し「やわ」な感じですが、スリムなところが気に入りました。

早速 試飲。八人前で約八分の時間がかかります。
透過時間の関係か、苦みが少なくはなったものの、コクはいまいち。
結局ミルのコーヒー豆の粉砕の細かさが美味しさの最大の要素の可能性大?
加えて、毎日変わる味は、飲む側の体調にも影響されているかもしれません。

昔 聴いた西田佐知子の「コーヒールンバ」。
若返りの秘薬だったとか。それにしては体力は下降の一途。(笑)
でもコーヒーの香りは「癒し」につながることは確信しています。
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「かみさんの引越し&就活」

2011年04月11日 | 娘達・家族
先週半ばかみさんが岡山から新見に引越し。
トラック二台と4人の運送屋さんが運んでくれました。
娘と二人の生活ながら、荷物はけっこうあります。

石垣の上の我が家に運びあげるのは大変。
開始後 しばらくすると、若い人たちでも息切れ状態。見かねて小休止を勧めます。
不急の段ボールは離れに。即開梱のものは母屋に。
タンス類は昔からのものと入れ替えのため、とりあえず軒の下に。
一所帯にもう一所帯の荷物が入るのですから、家の中は家具の山。

いまだ荷物整理の終わらない週末、かみさんが職場に。
雇用保険の申請と就職活動です。

あいにく この日は認定日と重なり求職者で事務所は満杯状態。
ごった返す受付のため、会話も交わせない状況。
まさか夫婦の私が担当はできないため、仲間に依頼。

隣の窓口で相談しているかみさんが視野に入ります。
話している内容はわからないものの、どうも落ち着かず集中できません。
引っ越しが退職理由の離職は、全くの自己都合。
三か月の給付制限があり、すぐには雇用保険のお金が出ません。

その上、もう「おばさん」のかみさんには、適職での就職は無理かも。
本人はなんでもするといっているものの、資格・経験なしは大きなハンデ。
じっくり探さなければ、就職口はないかもしれません。

かみさんは事務・介護・サービス・製造のうち何ができるのか?
東日本大震災後、企業も先が見通せない様子。正社員の求人が少ないのです。
新見に多いのは介護、ヘルパーなどの資格なしでもokの施設も。
かみさんは、介護職は気乗り薄の様子。
就活に苦戦しそうな予感です。

四女の教育費用がまだまだかかる我が家。
かみさんの働き?にかかっています。

画像  新見市内最大手の介護施設
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「娘たちのアルバム」

2011年04月05日 | 娘達・家族
週末から引越し準備で岡山に。
行ってみると、居間にアルバムが積み上げてあります。
娘たちの子供時代の写真の山。

引越し準備中に、未整理の写真をかみさんが子供別に貼り直したらしい。
かなり時間がかかった様子。
成長していく様がわかるようにとの母親らしい配慮。

東京に住む娘たちそれぞれに、日用品も同梱しアルバムを送るとのこと。
関心のなさそうな私に「見てみる?」とかみさん。
初め気乗り薄でパラパラとめくっていると、昔を思い出しついつい真剣に。

子供のころの顔を忘れている自分に気付きました。
複数写っている、子供たちの一人に見覚えがなく、つい「これは誰?」と私。
友達の誰かと写ったものと思い、聞いたのですが・・・。
「なに言ってるの!」とあきれ顔のかみさん。
四人の娘の一人だったのです。「表情が違うから・・・」と言い訳。

子供たちの参観日はもちろん、入学式・卒業式に一回も出たことがなかった私。
「企業戦士?」だったことを恥はしませんが、いい父親でなかったことは事実。
娘たちが母親びいきの理由がここにもあるのです。

翌朝、早く起きてもう一度アルバムを。
子供の顔が「娘」に変化していくのがよくわかりました。
写真を撮った場所を思い出せないことも。
10回近い引越し、住まいも東京・浜松・広島・山口・博多 etc。

写真はその頃の娘の生活を鮮明に思いださせます。
上の娘が下の娘たちの面倒をみている様子、祭りを楽しむ娘たち。
家族一緒に住んだあのころを思い出し、しばし感傷的な気分。

東日本大震災で、身内を亡くした人たちがガレキの中で写真を探す理由がわかります。
思い出だけでなく、当時の生活そのものがなくなってしまう気がしたのでは・・・。

東京でアルバムを受け取った四人の娘たちが何を感じるか?
その感想をいつか私に話してくれるでしょう。

画像 新百合ヶ丘駅前(バスターミナルの上の回廊が気に入り、数年間この街に)
    
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