元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

我が家の総括 続編

2023年12月31日 | 思い出

今日は大晦日
護持会役員と住職で「除夜の鐘衝き」を運営。
火を焚き、甘酒で檀信徒を迎えます。
悟り切れない自分、高齢でも多少「前に進めたか?」の反省です。

私の総括 後半。

⑦ 新しいジャンルのミュージックを
  ・ドラマーの菩提寺の住職の招待で、ロックの衝撃体感
  「圧倒的な音量」「シャウト」は未知の体験
  ・かみさんの影響で「藤井 風」「king Gnu」も
   毎日聴かされ覚えてしまいました
 ※かみさんは、年初大阪に「風」、夏東京に「B'z」のライブに

⑧スポーツ・ドラマ・ミュージックに新しい「チャンネル」設定
  ・今までのWowwow・Netfrixに加えて
  ・Amazonプライム、Ðisneyに加入(娘たちのお勧め)
  ただし 面白い中身に出会うのは奇跡?(検索に疲れます・・)

     

⑨買物・好物を求めて県南(岡山・倉敷)山陰・広島に40回以上
  ・寿司・天ぷら・麺類の名店を訪ね歩く楽しみが
  ・名物・名産品・旬のフルーツの取り寄せ
   ネーブル・メロン・スイカ・桃・ブドウ・梨・ラーメン
   (秋口 梨の「新甘泉」求めて2週連続で鳥取へ)
 ※友人知人に送るとお返しにまた珍しいものが届きます

⑩多くの知人・家族との「繋がり」を継続
  ・ブログ 閲覧数180万・訪問数72万・投稿1250本
  ・求職者・求人事業者とは、ショートメールでやり取り
 ※最近増えた「忘却・記憶違い」を防ぐため。認知の前兆?

⑪「コーヒー倶楽部結成」?(笑) 趣味の押し付け?
  毎朝 始業前、コーヒーポット大小を5~7本職場に持参
  各フロア(課)のコーヒー好きな仲間に配ります(重い!)
  同じフロアでは7時半~8時まで、紙コップで自ら「サービス」
  年間コーヒー豆40kg(約4000杯)以上使用

     

来年4月以降の勤務も継続予定。
あとは、私の「意志・意欲」と「健康」の持続でしょう。

画像    除夜の鐘     3年前 雪の鐘衝き
      梨        鳥取の新種「新甘泉」甘くておいしい
      コーヒーカップ  娘のくれたウェッジウッド
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2023年我が家の総括

2023年12月24日 | 思い出
昨晩 岡山から我が家に帰宅したのが午後11時。
「音楽の師匠」保科洋先生指揮の、岡山大学交響楽団の演奏会でした。
演奏後の先生を楽屋に訪ね、「感動」のお礼を。

今年の師走は音楽で終わりを迎え、充実の年でした。
1年間 健康で過ごせたことを感謝です。

① 夫婦そろって地元新見市の任用職員勤務。
  私はサラリーマン50年、職員最高年齢更新中です。
  認知と戦うために働く毎日。(かみさんからの叱咤が真因?)

② 後期高齢の仲間入り。保険負担割合が3割に増加。不満です。
  春にタバコを止め、血圧も低め安定。ドック検診で異常なしを確認。
  しかし 筋肉痛や気力・運動能力減退、車の運転のバックが蛇行。

③ 護持会長就任4年、任期最後に「山門建設」の大事業。
  母親の1周忌も挙行。終活も進行中。

④ 素人で始めた「米作り・花つくり」もようやく半人前。
  米作りは、確定申告で25万円の赤字。「高い」米を食べています。
  野菜作りよりは、「花作り」に関心が。自称「花咲爺さん」
  チューリップ1200本、ヒマワリ500本を栽培。

     

⑤ 終活継続中。「建物資産」整理。
  使っていなくて、屋根から雨漏りの建物を解体。
  整地した跡地に「カーポート」新設。費用高騰。

⑥ 様々音楽を楽しむ。
  母校のオケの「ショスタコーヴィッチ5番」に感動。
  指揮後の保科先生は訪ねた楽屋でぐったり。全エネルギー放出?
  管楽器のハイトーン、弦楽器のハイポジションに後輩たちの苦労が。
  フォルティッシモと繊細な表現の「同居」はプロでもハードなはず。

※ 以下次回

     
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2021年の我が家は・・

2021年12月26日 | 思い出

2021年も残り数日。

高齢になると、一日は永いのに、一年はあっという間。

ふり返ってみると、コロナに影響されながらも、何とか生活してきたとの想い。

 

何より、サラリーマン生活を50年も続けてきたこと。

民間のメーカー勤務から、ハローワークの相談員、今は市の相談員。

「こんなに永く勤務するとは・・」自分でも不思議。

健康と様々な経験が、今に繋がっていると実感。

来年も、継続意思があるかとの打診に、迷いながらも了承しました。

 

かみさんも民間から、この4月市の任用職員に転職。

共働きで「同伴出勤」と休日の共有が可能になりました。

夫婦ともに持病もなく、高齢の「共働き」は珍しいと周りが。

     

 

この夏 久しぶりに東京に住む娘や孫たちが帰省。集合は久しぶり。

タープやパラソルで雰囲気を作り、連日の「デーキャンプ」は楽しい思い出。

「田舎の満喫」の要望に応える「じじ・ばば」も「非日常」の演出にわくわく。

年末は「ウェルカム・イルミネーション」の設置の第2弾も。

 

その中、施設入所の98歳の母親も入退院を繰り返しながら、認知発症もなし。

入院の都度、悲観的な見通しをくつ返し、「奇跡の復活」連続の超高齢者。

治療と共に体力温存を医師に依頼。母親の免疫力にも期待。しかし 余談を許しません。

 

     

 

サラリーマンの傍ら、農業の継続も。

米作りも10年経過。不作はないものの、今年の米価暴落は衝撃。

もし 農業専従なら、経済的打撃は大きく、農業断念も視野に入れていたはず。

私にとっての農業は、季節体感と草刈りなど適度のリハビリ目的。

 

米作りに加えて、自家消費の野菜つくりも「猿軍団」との闘い。

注力の最たるものは、「花つくり」。この花を楽しみにしている近隣や通行人。

春のチューリップ、夏のヒマワリ、秋のコスモスは、「田舎暮らし」の醍醐味です。

 

     

 

年間を通じての楽しみは。季節感を味わえる「食べ物」。

広島・瀬戸田のネーブル、茨城のメロン、県内・七地のブドウを毎年大量購入。

この「美味しさ」を全国の知人・友人に直送し、喜ばれるのも私の喜び。

 

その返礼として全国から届く「グルメ」便。友人たちの心遣いです。

丹波の「黒さや」、福岡の「辛子明太」、大分の「ふぐ」・「干物」。

福島の「リンゴ」、新潟の「ル・レクチエ」。米子の「吾左衛門鮓」。

 

     

 

コロナの影響が大きかったのが、音楽との関係。

演奏会開催中止や延期、密集回避から生演奏を聴く機会がなかったこと。

母校の岡大オケの保科先生指揮の演奏会も行けなかった年でした。

 

家族の健康と相談員継続、美味しいものとの出会いに恵まれた幸せな年でした。

 

画像   ルレクチエ       岡山にない果物をと選んで送ってくれたもの

     チョコレートケーキ   かみさん手製のケーキ  喜ぶ孫娘

     イルミネーション    飽きずに観る孫娘

     前菜          隣町のレストランAQUA メニューにないもの

                 少量多種のわがままを聞いてもらいました

     餃子          注文殺到の宮崎の店製  納期一か月は異常?では

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「終活」の始まり

2020年03月15日 | 思い出

「日残りて 昏るるに未だ遠し」。

作家 藤沢周平の書いた「残日録」の実感が強くなったここ数年。

「人生の残りにやるべきことに着手しなければ・・」と焦りも。

 

帰省していた次女と孫娘が、今日東京に。

桃太郎空港(岡山空港)まで車で送ります。

 

コロナ禍中 3週間の親娘孫の三代の生活は、久しぶりで楽しいけど少し疲れも・・。

有り余るエネルギーを発散する孫娘を看ることは、高齢者にはきついもの。

4歳の孫娘の思考や発言に、驚くほどの成長を感じます。

 

     

 

定年後、ふるさとの生活を選んで10年以上。

ずっと考えてきた、「家を守る、墓を守る」とは何か?

その手始めが、墓地の移転、「代々墓」の建立。

 

裏山の少し小高い場所にある墓地、石塔が40本弱。

山道がきつく感じる年齢になり、家の隣に移転を考えたことも。

しかし 私やかみさんの亡くなったあとを考えると・・。

 

四人の娘に恵まれ、全員が東京で勉強・就職、二人が結婚。

転勤族だったため、誰一人 私の実家での生活経験はなし。

実家は、父親のふるさとであり、自分たちのふるさとではないのです。

 

信心の薄い我々夫婦。「散骨でも良い」くらいの「軽い夫婦」でした。

しかし 菩提寺の東堂の「子孫がルーツを探し、手を合わせる対象は?」

とのアドバイスで、永代供養の寺を「終の棲家」にすることを決意。

 

石材店に「墓らしくない墓」のデザインと見積もりを依頼。

現在 その完成と移転スケジュールを調整中です。

石碑に刻む言葉を10以上の候補から選択中。今週決定予定。

費用の手当ても銀行と協議終了。行政への手続きは残っていますが。

 

「終活」を始めて、少し「肩の荷」が下りてきた感じ。

先祖が残してくれた田畑や山林の「行く末」は今からの懸案事項。

「日の残る時間」が少なくなってきたものの、「昏れる」のは少し先。

 

     

 

          

 

私の望みは

 施設入所中の母親が一日でも長く生きてくれること。

 四人の娘や孫たちが、健康でそれなりの生活を営んでくれること。

 何よりかみさんが、元気でそばに居てくれること。

 

「終活」は来世のためでなく、「今を生きるため」に必要だと・・。

 

画像   若かりし頃の母親(左端)   80年前の母親、かつて国鉄勤務。現在97歳

     かみさんと孫娘        市内中央の城山から市街地を望む

     四人娘と私たち夫婦の絵    知人の画家に書き加えてもらった部分

     知人の絵           左下の円の中に家族を書き加えてもらいました

                    この絵は玄関先に飾っています

 

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あっぱれ! 大坂なおみ 全豪優勝!

2019年01月27日 | 思い出
昨日の夕方は、テレビに釘付け!
テニス・全豪オープンの決勝観戦です。
結果 大坂なおみの優勝、見ていた甲斐がありました。

かみさん曰く「にわかテニスファンだね。」
テニスの経験もなく、ルールもよく知らない私。
でも彼女のパーソナリティのすばらしさに惹かれていました。

毎試合ごとの彼女のインタヴューへのコメントが好きです。
素直で謙虚で偉ぶらない人柄と片言の日本語。率直な物言い。
卓越したテクニックとのギャップが面白い。

ただ 昨日2セット目を失ってから、彼女のスマイルは消えました。
悔しさと自分の対応力の無さが腹立たしかったのでしょう。
無表情に3セット目を取り返し、そして優勝。世界ランク一位。

優勝が決まった瞬間、下を向き数秒間。顔を上げ相手に近寄り抱擁。
ベンチで、泣く姿は21歳の「少女」です。
表彰式でも、彼女本来の「なおみ節」はさく裂しませんでした。
相手を思いやる気持ちで、抑えた感情とスピーチ。

全米オープン優勝に続く快挙。
大坂の短期間での成長は、今までにないタイプの「スター」。
「根性」・「努力」などを感じさせない「新世代の人類」です。

サッカーの「堂安 律」「大迫 勇也」も同じタイプ。
広島カープの若手選手にも「新世代」を感じる「旧世代」の私。
相手の名声やポジション・ステータスに憶することなく、対戦する姿に感心します。

   

営業マン時代、大会社の経営者に会う前の緊張感を思い出します。
得意先の大きなビルの前に立っただけで、足のすくむ私。

一番緊張したのは、特約店総会の司会を任されたとき。
VIP数百人が居並ぶ、広く豪華な会場での開会の挨拶。
暗い会場でピンスポットが自分に当たった瞬間、頭の中が真っ白。
準備した原稿が光って読めません。気の小さい私は緊張感で硬直。

大坂なおみが決勝で闘う気持ちはどうだったのか?
2セット目の自滅から、3セットスタートへの気持ちの切り替えをどうしたのか?
優勝を勝ち取った彼女に脱帽です。

優勝を見届けた後の夕食は、心身共「満腹」でした。
ハッピーな夜にしてくれた大坂に感謝です。
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感動!「大坂 なおみ」

2018年09月09日 | 思い出
昨日と同じく、今朝も5時からテレビの前に。
それは、テレビの全米オープンテニスを観るため。

テニスに関心はなく、自身テニスのプレイの経験も全くなし。
でもなぜか、躍進を続ける日本選手の決勝が気になりました。

昨日の男子準決勝には、落胆したものの、今朝は感動。
大坂なおみの優勝の瞬間は素晴らしかった。

テクニックやルールを知らない私にとって、大坂の「人間」が見えたのです。
完全アウェイで相手は、元女王。大人と子供です。
わずか20歳の女の子が、打ち勝ち、目標を達成したのです。

幼いころから尊敬し、対戦を夢見た相手との試合に臨む気持は想像できません。
勝利のあとの謙虚な態度は、「大人」が手本にしたいもの。優しさと冷静さも。

決勝までの試合後のインタビューも記憶に残っています。
お茶目でありながら、その受け答えに素直さが感じられ、「ファン」になりました。
セリーナをどう思うかの質問に「アイ ラブ ユー」と言ったことには喝采。
ますます強くなりファンも増えるだろうが、今日の気持ちを忘れないでほしい。

     

技術的な進化はコーチの存在が欠かせないもの。
コーチはメンタル面でも相当彼女を鍛えたようです。
又 こんな風に娘を育てた両親はどんな人なんだろうかとも考えます。

娘4人を育てた我が家、彼女たちに図抜けた能力や分野はなく平凡な道。
娘たちが、販売・医療・音楽・デザインの道に進んだ時、どんな気持ちだったろうか。
私の安定願望でなく、困難な想定外の道に進んだ娘も。

子供たちと親の責任のあり方には、大きく二通りがあると考える私。
大まかな職種を想定し、大学や高校・中学や塾を考える方法。
将来の仕事はともかく、現在の勉強に精出すことを勧める方法。

『子育ての「成功・失敗」は子供が子供(孫)をどう育てかでわかる』が持論です。
長い時間がかかるのが教育でしょう。
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北海道旅行 (旭川・美瑛・富良野) ①

2016年07月02日 | 思い出
晴天に恵まれた北海道旅行でした。
孫たちのチャイルドシート設置のため、二台のレンタカーで。
運転手は私とかみさん。ペーパードライバーの娘たちには任せられません。

羽田で合流し、旭川に着陸。
まず旭川ラーメンの有名店に。老舗の店で、その味にみな満足。
続いて定番の旭山動物園。
シロクマやカバの泳ぐ姿をガラス越しに見て、その迫力に圧倒されます。

     

何より印象的だったのが、ペンギンの泳ぐ水中のアクリルのトンネル。
頭上を通りすぎるペンギンが、まるで空を飛んでいるかのような錯覚。
また何匹ものオオカミの遠吠えは、少し恐怖感も。



翌日の美瑛の青い池には驚き。
自然の色とは思えないコバルトブルーは鮮やか。
水酸化アルミニウムなどが分解され、太陽光との衝突で起こるとか・・。



富良野のラベンダーの畑も見事。
おすすめのファーム富田。満開前ですが、広い畑に圧倒されます。
でも もっと広い土地を想像していました。

レンタカーの運転は車が少ないため楽。
しかし 信号が縦に並んでいるのは、多少違和感がありました。
怖かったのは、一旦停止の標識が空中にあり、停止線もほとんどありません。
このため事故を起こすのは、観光客と聞いて、緊張も。
雪のシーズンのために、道路の端を指す標識がずらり。さすが北海道。




泊まったホテル、ラビスタ大雪山と富良野プリンスホテル。
ラビスタは、山荘風の外観と部屋の作りが、非日常を感じさせ満足。
二つのホテルとも温泉浴場はリッチで、寛げました。

娘たちの招待のため費用負担がないため、二つのサプライズを計画。
食事後デコレーションケーキに花火の演出で孫たちを驚かせました。
またポスターの裏を利用し、あみだくじを実施。

動物とアンパンマンのキャラクターを結び、賞金を。
お土産購入代金と称し、「ほんの気持ち」と印刷のポチ袋を全員に。
中身の金額は、大当たり・中当たり・小当たりと差をつけます。
表彰式は、あらかじめ仕込んでいた音楽で雰囲気を盛り上げることも。

娘たちにも内緒だったため、驚きと歓声が。
大成功です。

食べ物偏と家族の様子は次回に。
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「龍馬の顔」に大接近(高知)

2011年05月08日 | 思い出
黄金週間の中ごろ、香川・高知を訪問。
車で600キロの旅です。

瀬戸内海にかかる大橋と高速道のおかげで、四国が近くなりました。
橋を渡る途中、与島のパーキングで小休止。
下から見上げる橋の雄大さに、人類の技術力を感じます。

香川に入り屋島を目指します。
景観もさることながら、行きたかったうどん屋が屋島にあったから。
青く穏やかな瀬戸内海の眺望と「醤油うどん」に満足し、一路高知へ。



高知旅行の目的は、やはり「龍馬」。
ブームに遅れること1年。でもミーハー気分は抜けません。
目指すは桂浜。今から20年以上も前にも一度訪れた浜辺。
あのころは人も少なかったのに、今は観光客のメッカ。
渋滞が激しく、駐車場に近づくのにも一苦労。

昨年の大河ドラマで福山雅治の龍馬が、浜を走る姿で一挙にブレーク?
波打ち際で、受ける潮風が心地よい絶好の季節。
海が陽光で輝く様子は、ドラマの中に入り込んだ気持ち。

桂浜の龍馬の銅像の横に、大きなやぐら。
新たな建築物かと思いきや、なんと18mの龍馬の銅像の横顔を近くで観るイベント。
銅像は仰ぎ見るものと思い込む私は、もはや古い世代?
横から見る龍馬の顔は優しさにあふれていました。

     

次の日も龍馬デイ。
下士に生まれた龍馬の町や、友人たちをクローズアップした記念館。
大きな木造の展示館。等身大の龍馬の生活ぶりをガイドが説明。
狭い駐車場ながら次から次へ観光客。
訪問する人たちは研究家並みに龍馬に詳しいのか、説明に全員がうなづいています。

帰り道香川で途中下車し、「こんぴらさん」に。
小学校の修学旅行以来、50年ぶりの再訪。
きつい石段に息の上がる歳になったことを痛感。
閑散さは、勢いのある「龍馬ブーム」の高知とそうでない観光地の差を感じます。

       

武士の時代を作った源平の古戦場の屋島。
その武士の時代を終わらせた幕末の志士たちのふるさと。その間800年。
観光目的ながら、かすかに歴史を感じた四国の旅。

駆け足の観光地巡り。初日14000歩、二日目8000歩。   
少し疲れましたが、久しぶりの四国を楽しんだ黄金週間でした。

(次回は食事編)

画像   桂浜の龍馬像(銅像の隣に組んだやぐらから)
      屋島
      生まれた町の龍馬像
      こんぴらさん
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蒜山(ひるせん)と新庄「凱旋(がいせん)桜」、春の旅

2011年04月28日 | 思い出
日曜日は絶好の行楽日和。
かみさんと岡山県北の新庄と蒜山めぐりを。
「凱旋さくら」と道の駅を四か所廻りました。

肌寒い春の早朝。凱旋桜の見物客はまだ少ない時間。
満開を過ぎてはいるものの、盆栽風な低い桜は魅力的。かみさんも感動。
並木の両側の民家も景観保存でクラシック。桜とマッチしています。



     

蒜山高原は、マイカーで訪れた観光客の車の列。
山頂や山肌に残った雪が、日本離れした風景。
薄いブルーの色合いの遠景が、わくわく感を増幅。

どこの道の駅も人でいっぱい。

新庄は、「凱旋さくら」に因んだお菓子・そば・うどんのオンパレード。
蒜山はジャージー乳の加工品とB級グルメの「蒜山焼きそば」。
醍醐の里は、同じく桜に関する商品。
いずれの道の駅も野菜や米の販売も。

     

昼ご飯をどこで食べるか迷いましたが、結局蒜山休暇村のバイキングで。
二階の広めの部屋と大きく採った窓の明るい光の下で好きな料理が食べられます。
四人がけのテーブルに窓に向かってかみさんと並び、高原の緑も楽しめます。
バイキングの品数は、多くないものの、地元の蒜山そばなども。
肉系が少なく、若干不満ですが、エビや魚は豊富。デザートはわずか。



道の駅で買い求めたもの、ジャムが3種類。
山ブドウやイチジク、リンゴ。パンが好きな私はジャムも大好き。
衝動買いを抑えたのはかみさんの視線。見たものすべてが欲しくなる私をコントロール。

バイキングで食べられなかった肉類を夕食で。
焼肉屋で都合5人前のカルビ。シニアの私たち夫婦には少し量が多かったかも。
昔は5人前なんか一人でペロリと食べた時代も。
おいしい肉と程よい辛さのタレ。キムチは「若い」もの、もう少し熟成したのが好みです。

この日 乗ったのはかみさんの事故の代車。レンタカー仕様の高級車。内装もリッチです。
快適なツーリングと食事、満足した休日です。

画像   蒜山高原
      凱旋桜  ① ②
      蒜山   バイキングを食べながら見た風景
      道の駅  新庄
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桜 (岡山市半田山植物園)

2010年04月05日 | 思い出
絶好の桜見物の日。
岡山の家族と出かけました。日曜日の午後です。

市内は大渋滞、特に後楽園周辺はひどいとの情報。
思いついたのが、「半田山植物園」。
家から15分、駐車場にもスムースに停められました。

40年ぶりの半田山。大きく変わっていました。
遊歩道が整備され、見違えます。
家族はその存在すら知らない植物園。近くにこんなところがと驚き。
有料の為か、ほどほどの混雑。暖かく風もなく最高の桜日和。
寿司とサンドイッチも美味しく満足です。

この植物園には、思い出が。
当時の貧乏学生、それも「健全な?」私の青春時代のひとコマが・・・。
就職も決まり、未来への期待と不安の日々でした。

今思うと純情な頃です。
生き方や学問、音楽も中途半端、これでいいのかと悩んでいたのです。
そこそこの会社に入り、サラリーマンになることに後ろめたさも。

桜を見逃した年もありましたが、今年は十分に堪能。
しかし 来年は多分、子供たちとは別々の桜を見ることになるでしょう。
寂しさはあるものの、子供の成長と巣立ちは仕方ないもの。

桜の木の下での会話は「宝物」です。

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高校時代の「喧嘩」相手が親子で来てくれました。

2008年12月18日 | 思い出

昨日 思いがけない人の訪問を受けました。
高校時代の「友人」。「謹慎仲間」です。

一緒に来てくれたのは、友人の息子さん。
ハンサムな「外人」さんの風貌。
それもそのはず、友人の奥さんはアメリカ人。
風の便りで、奥さんをアメリカから連れてきたとは、聞いていました。

すっかり頭の白くなった友人。でも顔は昔のまんま。
つまらないことで授業中に喧嘩をして、二人とも謹慎処分を受けました。
そのあと仲良くなり、学生時代に岡山でも会いました。それから数十年。
付き合いが、途絶えていました。

その友人が、突然訪ねてくれたのです。
それも俳優のような息子と一緒に。
お互いの「その後」の情報交換です。

いまは、「菊つくり」をメインにしてるそうです。
チェーンソーを使った家具作りも。

進駐軍の通訳だった友人の祖父と私の母親も、国鉄勤務時代に新見駅でニアミス。
母親も加わり、友人との会話は大盛り上がりです。
私は、ローカルな地名や人名についていけません。

     

最大のトピックスは、アメリカ人の伴侶を連れてきたこと。
アメリカ留学の「成果」をあげたようです。

息子さんは、ハンドルネーム「elf」と称する好青年。
聞けば独身とか。二輪が大好きな「アホライダー?」。
仲間と原チャリで「雪道プチツーリング」も楽しんでいます。
この息子が、mixiで私と知り合い、親父とつないでくれました。

今週土曜日「そばパーティ」に、この友人も夫妻できてくれます。
アメリカ生まれの奥さんに会えるのが楽しみです。

総勢10名ほどの異色のメンバーで、「けんちん汁」を食べる会。
私の友人たち、近隣の人たち。
母親は、けんちんそば作り準備に張り切っています。

画像  友人と息子(掲載の許可をもらいました)
     (左が友人、右が息子elf、かっこいい青年)
     友人のワラの梱包(十数年ぶりに活躍、昔は牧草用だそうです)
      (この画像は、息子のブログから無断掲載。許してくださいね)
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企画を支えてくれた人達

2008年07月16日 | 思い出

今日は、15年間お付き合いした小さな販促企画会社のメンバーと食事です。

昔 企画の実務を助けていただいた会社のオーナー達です。
待ち合わせ場所は、新宿のデパートの上の鮨屋です。

出会った当時 私は山口の出向先の販売会社から、東京の販売企画です。
全社の販売統制と企画担当セクションですから、責任は重大です。

キャンペーンなどのコンペで多くの会社の企画担当者に接しました。
どこと手を組むかの「キーワード」は、実は「企画力」そのものより「人間性」でした。
こちらの企画の「コンセプト」を理解し、期限を守る人にお願いしました。
マーケティングなど広告販促業界に精通しながら、ルーズな会社は使いません。
もちろんコストは重要な要素です。大手は高いのです。

ラインを離れ、エリアを転々としながらもお付き合いいただいたオーナーです。
発注していたころは、食事やゴルフは一緒しませんでした。
「李下に冠を正さず」癒着していると思われたくなかったからです。

会社を去るに当たって、私もどうしても会いたかったのです。
世代交代で、今は息子が社長で、今回同席です。

発注者と受注者の関係を超えて、「同志」の感覚です。
仲間と思える人たちに出会った幸運に感謝です。

このような人に支えられた私のサラリーマン生活がもうすぐ終わります。

画像  バー(今日二軒目に行った隠れ家、変わったボトルがいっぱい)
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九人兄弟の父の私の従兄弟(いとこ)たち

2007年10月05日 | 思い出


今週 叔父が亡くなりました。85歳でした。父のすぐ下の弟です。

顔を見ると、病気のせいもありますが、すっかり痩せていました。
もうずいぶん前に亡くなった祖父にそっくりです。親子ですから当然と言えば、そうですが、その年齢になると身内は同じような顔になるのだと実感しました。

葬儀に出席して、久しぶりに従兄弟たちに会いました。

幼いころの話をしだすと、一気に昔にタイムスリップです。いつも集まる母や叔母たちが、今回いないので雰囲気が違います。

頭を押さえる世代がいないため、若い(?)従兄弟たちは気を遣わなくて済みます。その中でも私が一番年配格になってしまいました。実家は昔で言う「本家」ですから、従兄弟たちが小さい頃、良く来ていたのです。築120年前の古民家には、皆思い出があります。



                                  

来年Uターンすると告げると一様に驚きます。40年も出ていたからです。
田舎に帰ったら、従兄弟たちに集合をかけると言うと喜んでくれます。

昔のように、親戚が行き来をしなくなり、葬儀の時しか会えなくなっているため、慌ただしくて、近況も語りつくせません。

父も母も9人兄弟でした。従兄弟や身内は相当な人数です。

冠婚葬祭は自宅でするため、田舎の家の造り方は独特で、ふすまをとっぱらうと、大広間になります。雑魚寝でした。個人のプライバシーなんてありません。

この古い家を四人の娘たちのためにどのように作り替えるか思案のしどころです。

画像は、実家のイチョウの木の下の奥の間と床の間
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小京都 松江の忘れられない恩人

2007年08月28日 | 思い出
小学館発行のシニア向け雑誌「サライ」の最新号は「小京都を廻る」です。
この中に松江が特集されています。お茶とお菓子のおいしいところです。

松江・出雲・米子は、昔 新入社員時代、初めて担当したエリアです。
その松江から40分ほど離れた島根半島の日本海側に、野波という小さな漁港があります。

                

ここに販売店があり、月に1~2回営業で訪問していました。
そして独身の私は、食事をごちそうになり、泊めてもらっていました。家族同様の温かいもてなしでした。経営者は女社長さんで、社会人1年生の私に仕事の厳しさや経営のことを教えていただいたのです。

おつきあいは30年を超えました。いつも長い手紙のやり取りでした。
しかし 3年前にがんで亡くなったのです。

連絡を受け病院に見舞いに行きました。
帰り際、それまで横になっていたその人が、起き上がりベッドに腰をかけ、「よく来てくれたね、ありがとう」しっかりした口調でお別れを言ってくれました。

「また来ますから」と気楽に別れましたが、そのあと1週間で亡くなったのです。まさかと思いました。本人はたぶん最後だと覚悟し、気力をふりしぼって起き上ったのでしょう。凛とした姿です。その想いに気がつかなかった自分を後悔しました。

                   

私の娘の成長を自分の孫のことのように喜んでくれていました。
初盆に、4人の娘と墓参りに行きました。当時の従業員さんが、集まってくれて同窓会の雰囲気です。

松江の記事や写真を見るたびに野波の「お母さん」を思い出します。 合掌

画像は 駅は世界さんより   松江駅、宍道湖
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium



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恐怖の体験 「まむしを手づかみ!」

2007年08月15日 | 思い出
自分でも信じられない恐怖体験をしました。

帰省中のことです。

朝7時過ぎに、家の周りを掃除をしていたときのことです。
階段の掃除を終わり、家の方に上がりかけていたとき、階段の横の溝に落ち葉と小枝が固まって残っていることに気付き、拾い上げて捨てようとしたのです。



拾い上げた瞬間、葉っぱや小枝にはありえない冷たい「ぬるっ」とした感じがあり、そのゴミを思わず投げ捨てました。すると茶色い蛇がその中に居たのです。それも頭が三角のマムシだったのです。目を離すと逃げられると思い、大声で家族を呼びましたが聞こえないのか誰も出てきません。

仕方なく覚悟して殺そうと思いました。逃がしたあといつ出てくるかの恐怖よりも、殺して安心したかったのです。

前日も一匹出てきて、母親が処分したそうです。マムシは2匹一緒に居るそうで、母親が心配していた通りもう一匹が居たのです。

よく噛まれなかったものです。

近くの丸太で頭を潰しました。
お盆に殺生をしたわけですが、マムシですから許してもらえるでしょう。

爬虫類の大嫌いな私が、マムシを手づかみしたことを今思い出してもぞっとして、身震いします。

ふるさとではマムシのことを「ハミ(噛む?、食べる?)」と呼びます。

動物が何でも居る田舎の「八つ墓村」ですが、「たたり」より怖い今年の体験です。
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