元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

「岡山⇔東京 急ぎ旅」

2010年12月31日 | 住まい、場所
岡山・東京間の急ぎ旅でした。
叔母の葬儀で、とんぼ返り。
年末の慌ただしさに加えて、身内の不幸。

東京を離れて、2年。
その後も数回は訪れているのに、今はまるで初めての感じの東京。
この街に住み、勤務したのが夢のようです。

岡山始発の新幹線には、しばらくだれも乗ってきません。
新聞数紙とサンドイッチ・紅茶を簡易テーブルに。
でも活字を読む気にも、食欲もない旅。
娘のコンサートを聴きに上京する時とは、気分が全く異なります。

無事に葬儀が終わり、久しぶりの親戚との会話も何かふわふわと落ち着かないもの。
岡山への新幹線も、最終電車。帰省ラッシュの余波でようやくとれた指定席がこの時間。

今日は大みそか。
あっという間の1年間。猛スピードで流れた時間の感覚。

三女の就職、四女の進学。希望の道に進めた娘たち。
四人の娘 全員が東京に住むことになろうとは、想定外でしたが・・・。
就職支援の仕事、農業、神社総代 と「急ぎ旅」の年でした。

来年も多分今年の延長線上にあるでしょう。

画像  バスから見えた建設中のスカイツリー(葬儀の途中、偶然この下を通りました)
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急ぎ 東京に行かなくては!

2010年12月28日 | 住まい、場所
親戚から突然電話。
母方の叔母が亡くなったとの訃報です。
通夜・葬儀は当然のことながら、住んでいた東京。

母の兄妹で生き残っていた3人。そのうちの一人が亡くなったのです。
母親の落胆ぶりは、そばにいても可愛そうなくらい。
妹が先に逝ったことが辛かったのでしょう。

この叔母には世話になりました。
20年前の東京勤務の時、世話になった記憶が鮮明。
広島から引っ越しの時、移り住む新百合の家を掃除し待っていてくれました。
その上、娘たちにそれぞれ高価な西洋人形を玄関に並べて。
娘たちが大喜びしたのはもちろんです。

また私が投資用マンション一室の購入に迷った時、後押しをしてくれた叔母夫婦。
転勤で東京を留守にする間、近所だからとマンションの管理も。

子供心にも優しく美しかった若いころの叔母。叔母というより姉に近い歳の差。
縁談話も結構あったらしい。
近くを望んだ祖父母でしたが、東京に嫁いだ末娘の叔母です。

この時期の東京往復は、最悪。
行きはともかく、岡山に帰ってくるのが至難の技。
年末の帰省ラッシュのため、飛行機も新幹線も予約で満杯。

でも亡き叔母のために、東京に行かなくては!
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クリスマスではない「冬祭り」

2010年12月26日 | ふるさと
12月25日は、「冬祭り」。
クリスマスでなく、神社恒例のセレモニーです。
宮司2名、総代8名、あとエリアの当番組の面々が参加。

朝 起きると雪景色、数センチの積雪。道路には積っていませんが。
8時集合後、一斉清掃。庭を掃き清めます。
お供えもの、玉串用の榊を準備し、宮司を待ちます。

祭典開始後も、雪がぱらつき最悪の状態です。
正座し、宮司の祝詞に唱和する間中、寒風が吹きこみます。
神社の構造は、至ってシンプル。外界から遮断されていないのです。

ストーブは準備されているものの、全くの気休め。
足のしびれがわからないくらいの寒さ。
世の中 ホワイトクリスマスをぬくぬくと楽しんでいるというのに。
(神様 不平を言ってすみません。反省、反省)

式典終了後、社務所で直会(食事会)。
ようやくみんな生き返ります。
今日ほどお神酒がありがたいと思ったことはないかも。

でもこれが今年最後のイベントではありません。
大みそかの深夜から、初詣客にお神酒と甘酒をふるまう接待役が残っているのです。
紅白をゆっくり見る暇はないくらい。初詣に参る側に早く立ちたいもの。

家に帰り、年賀状にようやく着手。
今年は例年になく、喪中欠礼のハガキが多い気がします。
私の付き合う人たちが、親を亡くす年齢になったのかもしれませんが・・・。
前職のピーク時の半分になったとはいえ、300枚以上。
もう数日かかるでしょう。

慌ただしい年の瀬、でも家族みんなが無事正月を迎えられることに感謝です。

画像  雪の実家(こんな夜は、ぼんやりと明るいのです)
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「先輩・後輩」

2010年12月23日 | 友人たち
大学入学が決まった四女との会話。

「先輩がいい会社に就職が決まったと言っていた。」
「どこの先輩」と私。「塾の先輩で、大学で同じ学科の人」と娘。
「インターンシップでいい会社に行き、声がかかったらしい」
 私「その人凄いの?」娘「優秀で、教授に可愛がられているらしいよ」

娘の頭にあるのは、すでに就職。まだ大学に入ってもないのに。
不況、不況と大合唱のこの時代。
落ち着いて勉強させない この風潮は「学問の大学」の存在を危うくします。

ただ 入学と同時に遊び始めるよりは、現実社会に目を向けることは悪いことではありません。
就職の厳しい美大ならではの、特殊性かもしれませんが。

先輩・後輩の関係は、学生時代・会社生活において存在します。
自分を振り返るとき、リタイアー後も付き合いたい先輩は数少ないもの。
年賀状を書くこの季節に痛感します。

先輩面されることを嫌がりながらも、自分が後輩に接する態度はどうなのかに想いが・・・。
上司でなくなっても、昔のまんまの物言い、まして生き方がどうのこうのは多分迷惑そのもの。
相手の健康を気遣い、対等な付き合いをすべき歳になりました。

それに比べて、学生時代の先輩・後輩は今でも絶対的関係。
幼いころから、学生時代まで、年齢は永遠に超えられない感覚です。
今でも 先輩に会うと、無条件に敬語になります。
20歳のころの1歳の年齢差は、60歳の今の数倍の成長差だったのでしょう。
そして壮年以降の会社人生の先輩・後輩は多少利害関係が絡むのかも知れません。
ポストや経済的格差があるからでしょう。

オーケストラの先輩後輩の関係はいまだに確固たる存在。刷り込まれた潜在意識?
アマチュアの演奏力は、経験の長さがテクニックの優劣とイコールだったから。
また純粋ゆえに起きていた課題も。音楽性を追求する集団か?音楽を楽しむクラブか?
数10年経って、その答えを師である保科先生から聞きました。
「うまく演奏できれば、もっともっと楽しいはず」とばっさり。

先輩は後輩を指導し、進化のための環境作りを・・・。 
後輩は先輩の伝統を受け継ぎ、追い越し、進化・発展させること。

そのように務めたか、振り返ってみます。「老害」を撒き散らさなかったか? と。

画像 保科洋先生とコントラバス(岡山大学交響楽団の合宿、独り曲想を練る先生)
 
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「私はピアノ」

2010年12月19日 | 音楽
「私」が四人娘の家に来たのは、もう20年近く前。
以前は、クラビノーバだったらしいのですが、タッチが異なるため発表会で困ったそうです。
四人とも「私」を弾いてくれました。

永く弾いてくれたのは3番目と4番目の子。
3番目の子は、音楽好きでしたが、ピアノでなく、結局トランペットを吹くことに。
ただ専門の大学に入るために同じ曲をよく弾いていました。課題曲だったようです。

4番目の子が一番弾いてくれたのかもしれません。
クラシックからジャズまで。最近好きな曲を聴きながらパソコンで採譜し、「私」を弾きます。
この子も音楽の道に進むかと思っていたら、どうやらデザインを選んだようです。

この家の家族は、みんな音楽好きですが、好きなジャンルが違うのです。
お父さんは、オーディオ装置で、よくピアノの曲を聴いていますが、「私」には触れません。
お母さんはロックが好きで、家事をしながらも、運転中もB'z一辺倒。

この家族は、よく引越ししました。もちろん「私」も一緒に。
「私」が初めてこの家族に会ったのは、首都圏の小田急線の新百合ヶ丘の家。
それから博多、浜松、岡山。

そのため いつも「私」を弾くために、家さがしが大変でした。
マンションでは、上下階に迷惑がかかると、戸建てを探したからです。
庭でバーベキューをしたいお父さんの思惑もあったようですが・・・。

今日 岡山の家で「私」に関する会話が交わされました。「私」をどうするか?
お父さんとお母さんと4番目の子の会話の結果。選択肢が三つ。

①お父さんの田舎の新見に運ぶ。ただ弾き手がいないのと湿気のため壊れるかも。
②「私」を売る。家族全員が沈黙。「私」に愛着があり、そうはしたくない?
③4番目の子と一緒に東京へ。しかし家賃が高いため ため息。美大生がピアノ?

4番目の子が来年3月の引越しのため、年明けには東京のマンション探しが始まります。
「私」もこの家族が大好き。できたら離れたくないのですが・・・。 
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「のぼうの城」 

2010年12月16日 | 本・雑誌
ベストセラー小説の「周回遅れ」読後感。
「のぼうの城」 和田竜 著 小学館文庫 上下巻(各480円)。

前から新聞の広告によく載っていた本。
2年前のハードカバー時代は横目で見ながら買いそびれ、文庫になってようやく読みました。
「のぼう」は「でくのぼう」の省略形です。

ストーリーは極めて単純。
秀吉の天下統一の完成間際、関東の愚鈍に見えた城主代行が、10倍の三成軍に打ち勝つ歴史小説。
私の好きな「小が大を食う話」。秘めた知略で不可能を可能にする意外性。
ページ数が少なく短時間で読めます。

深い人物表現はなく、現代風のセリフと人間関係。
しかし 泥田の中の戦闘シーンは絵になり、映画化決定にも納得。野村萬斎が主役とか。
クライマックスで、水責めの堤を切って、敵陣を流すスペクタルシーンは見ものでしょう。

主人公の能力を疑いながらも、周りが(過大?)評価していくプロセスが面白い。
事実っぽいのは、飾らない人柄。百姓たちの農作業を不器用ながら手伝う日々。
主人公が農作業の喜びを感じ、百姓と深く付き合う設定は、現実的ではありませんが、
ストーリー展開の大きな伏線になるのです。

この本がじわじわ売れ出したのは、書店の店員さんのお薦め「本屋大賞」二位に選ばれたから?
高名な作家たちの推薦による○○賞より、読者の目線に近いことでベストセラーを予測。

娘に薦めたら、立ち読みですでに読んだとか。(笑)
気楽に読むエンターテイメント。来年公開の映画も多分ヒットするでしょう。
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「大風邪」

2010年12月13日 | 日常
ここ数日間 風邪でダウン。
週末 終日ふとんの中。せっかくの休日なのにもったいない話。

熱のためか、食べ物には味がないけど、体力回復のため無理やりたべます。
新聞や雑誌は、頭痛とかすみ目のため読む気がしません。

久しぶりの風邪の症状。
もう無理の利かない歳になったようです。
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「ブログ開設 1500日」

2010年12月10日 | Weblog
あと2日でブログ開設1500日。書いた原稿(日誌)600本超。
飽きっぽい私がよく続いていると自分に感心。

当初 「音楽合宿村」開設準備で同志を募る目的から始めたのです。
併せてUターンする岡山県新見市に発信をし、情報収集をしたかったから。
そして 離れ離れに住む家族への近況報告も兼ねて・・・。

発信場所も変わりました。
静岡県浜松市→東京都西新宿→岡山県新見市。
地方の中都市→日本の中枢→過疎地 環境の激変です。
「不夜城」のまっただ中から、夜8時には真っ暗になる田舎に。

パート気分で始めたセカンド就職が、月20日のフルタイム勤務。結構忙しい毎日。
人口減少の新見市に、一人でも多くの就職をしてほしいと始めた再就職支援員の仕事。
前職の経験が活きるカウンセリングの仕事は、まるで「天職」。やりがいがあります。
過疎地に「感動の拠点作り」の「音楽村」設立は、しばし足踏み状態。



ブログを書き始めて変わった自分。
好奇心がますます強くなり、デジカメも必ず持ち歩く毎日。
コンサートや会合に積極的に出かけます。
知人と疎遠にならず、「まるで近所に住んでいる」かのようと言わしめるほど。

逆に疎まれることも。
家族をブログネタにするため、娘たちから「私たちにもプライバシーがある」とブーイング。
書き言葉をついついしゃべる私の口調に辟易している周囲。

地元への就職を薦める私の娘が、4人とも東京に住むという皮肉な結果に。
新見に住んだことのないかみさんや娘たち。赴任先に必ず帯同しました。
「私たちにはふるさとがない」と公言してはばからない娘4人。親元に帰ってこないかも。
そのためか、築120年の実家の新築・改装の決断がつきません。

60歳を過ぎても教育費用のかかる晩婚だった私。
経済的にもまだまだ働く必要があります。
「音楽村」開村は私の夢。着手は今の仕事を辞してからと決断。
家の改装か新築かは早急に決めたいもの。設備の古さはもう限界。

これからも多分ブログは書き続けるでしょう。
多くの人に読んでもらえ、友達が増える間は。 

画像   雪の実家(1月撮影、今シーズン初雪はまだ降りません)
      朝霧(通勤途上の景色、好きな風景)
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「カレッジ ブルー」

2010年12月07日 | 作曲家 保科洋
忙しい岡山での週末。

美大に公募推薦で合格した四女に「良かったね」とねぎらいの言葉を。
しかし 娘はのんびりする暇もなく、入学後の準備でまだまだ画塾に入り浸り。
画塾の課題の小論文の締め切りに四苦八苦しています。
娘から「マリッジブルー」をもじった「カレッジブルー」なる言葉を教わりました。

土曜日の岡大オケの定演では、後輩たちのがんばりにも感動。
難しい曲をさらりとやってのけます。
マーラーの「巨人」。コントラバスのソロの場面では、元C.Bのこちらが緊張します。
フォルテッシモの合間のメロディの美しさを弦が歌い上げます。なんと抒情的!
保科先生がマーラーを好む理由がわかりました。

「レ・プレリュード」に対する自分の感情にも驚きました。
開始早々、自分の学生時代の練習風景と当時の想いが再現されたのです。
学生生活とオケの活動、将来への漠然とした不安。それを癒してくれた音楽。
クライマックスに向かって、徐々に盛り上がる響きを聴きながら、胸が詰まったのです。
涙でステージがぼやけます。歳とともに涙腺が弱るらしい。



翌日 岡山吹奏楽団の定演。
初めて会う「web友」。mixiの顔写真が頼りです。
彼が、バス・トロンボーンで参加しているこの演奏会の招待を受けました。
開演前の文化ホール前でごあいさつ。思ったより若い彼。誠実そうな雰囲気。

この会場はデッドすぎます。新人演奏会の三女が嘆いたのも納得。
演奏会終了後、一緒に記念撮影。かみさんが撮ってくれました。
奇しくも、彼も私も再就職支援の仕事。所属こそ異なるものの同じフィールド。
次回の再会を約して別れました。そして急ぎ新見への帰途に。

彼との縁は、保科先生作曲の「風紋」。
日記へのコメントを通じて知り合いました。そして今回の演奏も「風紋」。
音楽が取り持つ不思議なめぐり合わせです。

今晩 ファイル添付で画像を彼に送ります。

画像  岡山シンフォニーホールへのエスカレーター
     夕日(帰途 総社付近で見たもの、風景も心も温かでした)

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「ヴァーチャル」が「リアル」に

2010年12月04日 | 音楽
週末 コンサートが二つ。
一つはオーケストラ、もう一つが吹奏楽。

土曜日は母校の演奏会。
保科洋先生指揮による岡山大学交響楽団の57回目の定期演奏会です。
マーラーの「巨人」、リストの「レ・プレリュード」、シュトラウスの「こうもり」序曲。

「プレリュード」には思い出が。入学後初めての定演の曲。
早いパッセージの一部分は新人には無理だということで、書きなおした楽譜で演奏。
音を濁さないための上級生の判断だったのでしょう。
チューニングのハーモニックスが高いのか?低いのか?もわからない頃の話。

「巨人」は国文祭で同じ保科先生の指揮で一般部門の演奏を聴きました。
全国から集まる演奏者のオケのため合同練習不足。
楽器によるレベルの差は歴然。バランスが悪い中での熱演でした。
今回は先生の意図するマーラーになるでしょう。

日曜日は知人の吹奏楽の定演。知人といってもまだ見ぬ「知人」。
webで知り合い、会っていないけど何か旧友のような人。
娘の美大受験のため、画材店を紹介され、画塾にたどり着いた際の「恩人」。
ジャズからクラシックまでをこなす?トロンボーン奏者。
お礼の意味も含めかみさんと一緒に演奏会に行きます。

     

ブログやSNSを通じて知り合うことが多い時代。
その日記から生活ぶりや人間性がわかります。
この人に会いたいと思う一人です。

「ヴァーチャルの友」が「リアルの友」になります。

画像  国文祭の「巨人」のリハーサル
     最近買ったパソコン
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