元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

大正生まれの母親の退院と施設入所

2016年01月31日 | ふるさとの母親
私の母親は、この3月で93歳。

今まで病院と老健の施設を行ったり来たり。
脳内出血の後遺症のマヒは治りませんが、病院から退院勧奨。
2月に、以前から申し仕込んでいた特養に移ることに。

その施設は、自宅から遠くない市内に位置するため、私たちの毎日の訪問は可能。
築11年とまだ新しく、10畳の明るい個室です。
費用も世帯分離をしていることと、受給中の遺族年金などが非課税のため納得の範囲。

病院にいると医師や看護師が居ることで母親には安心感が・・・。
特養に入ると、看護師は常駐だが、病気発症の場合病院に救急搬送らしい。
未知の施設に本人は若干不安がある様子。

体に不自由さはあっても意気軒高。
本人は完全治癒が目標。花作り・野菜つくりをしたいらしい。
大正女の強さを感じます。

記憶力も年齢の割にしっかり、新聞も見出しを読破。見舞客の顔は一目で認識。
会話も弾むためか、いまだに多くの知人・友人・親戚が話し相手に病院訪問。
ありがたいことです。

岡山県北は、人口の割に施設が多いが、それでも順番待ちが多いとか。
要介護2以下の場合、自宅療養を目指すように国も政策転換。
医療費の抑制のためでしょう。

運よく入れた施設に、母親が早く馴染んでくれたら、嬉しいのですが・・・。

今朝 東京の知人の訃報が入りました。まだ70歳代。少し早すぎます。
お世話になった人でした。ご冥福をお祈りします。合掌。
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高所恐怖症でもやらねば!庭木の剪定。

2016年01月11日 | 住まい、場所
休日の二日間は恐怖の連続。
庭木の剪定のため、木に登り、枝を切ったためです。

ここ数年、手入れを怠っていたため、庭の木は伸び放題。
まるで廃屋の庭。
冬は農作業もないため、体を動かすこともなく、運動不足。
思い立って、剪定をすることに。

まず、春に美しい白い花を咲かすフジの花の蔓のカット。
隣の木に巻き付いていて、かなり高いところまで伸びています。
低いところは脚立に上がって切り、高所ははしご状に伸ばして登ってカット。
切った蔓にはもう固いつぼみが。自然は準備万端?それとも暖冬のせい?

そしてプロの庭師が一番難しいという松の木にとりかかります。
素人の私は、切った後の形を考えずバサバサと。
玄人には笑われそうな形になりました。

そして最後に名前も知らない高い木に。
この時期「南天」のような赤い実をつけ、葉も青々とした木に挑戦。
多くの小鳥が実を食べに集まる木です。
木の幹にしがみつき鋸を使わなければなりません。
目線の高さはおよそ5メートル。足が震えます。

何とか切り終え、切った枝の移動。
全部合わせるとかなりの量。乾燥後燃やすつもりです。
うかつに火をつけ、炎が大きいと消防から警告があるため要注意。

夕方 かみさんから「明るくなった」とお褒めの言葉。
手入れをした庭は、まんざらでもないと自画自賛。
お金をケチって、庭師やシルバー人材センターに依頼をしませんでした。



亡くなった父や祖父が植えた木々。私の時代に枯らすわけにはいきません。
でも将来 娘たちはどうするのでしょうか。
庭の梅は、いま満開。素晴らしいピンクが田舎暮らしを満足させてくれます。

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67歳の正月とは

2016年01月02日 | ふるさと
60歳を超えたあたりから、正月への考え方も変化。

嬉しいことといえば、子供たちの帰省。今回は東京から、三女・四女の「独身組」の「帰還」。
めったに会えない娘たちが帰ってきて、都会の暮らしを喜々として話します。
仕事の辛さや金銭的な厳しさはあるものの、遊びや買い物、イベントの多さはさすが東京。

娘たちが母親に甘えている姿も正月ならではの光景。
大晦日に、一緒におせちを作る様子は、まるで臨時の「料理教室」。
娘たちにちゃんと料理の手ほどきをしなかったためか、何も知らない娘たち。
重箱に詰め完成した料理は、出来はともかく、みんなが満足。達成感があるのでしょう。

年越しの「けんちんそば」は岡山県北のみらしい。
昔から「煮干し」で出汁を摂るため、頭や黒いはらわたを除くのが私の唯一の手伝い。
けんちんの由来を長々語ると、聞き飽きたと言わんかりの娘たちの顔。
油でいためた豆腐と野菜のたっぷり入ったそばは、何よりのごちそう。私の大好物です。

     

子供のいる長女、次女は東京で、家族水入らずの正月。
元日にLINEのライブカメラで、孫たちのリアルな「今」を見せてくれ、おめでとうのあいさつ。
孫たちの成長とともに、「母親へと変化する」娘たちの成長も嬉しいもの。

どさっと届いた年賀状。これを読むのも楽しみの一つ。
近況報告や趣味への没頭の様子。一人一人の顔が浮かびます。
その中には、今年を最後に「筆を置く」との賀状も数枚。
年賀状のみの付き合いとはいえ、糸がきれたとの想いは寂しいもの。

年末に喪中欠礼も数多い年でした。
ショックだったのは、本人が亡くなり、家族からの連絡で逝去の判明が四人。
訃報も数年前までは、親や兄弟でしたが・・・。

前期高齢者に突入して数年。残りの人生を考えるようになりました。
健康で正月を迎えられたのは幸せなことかもしれません。
子供や孫が「平和」な時代を迎えられるようにするのが、私たちの世代の義務。
私は今の仕事を通じ「社会に貢献」することを誓った正月です。
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