元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

山陽新聞に載りました

2009年06月02日 | NPO
今朝(6月2日)の山陽新聞に載りました。

小さなスペースですが、「音楽村」設立の夢が。
山陽新聞の、創刊130周年企画「岡山人の挑戦」の別刷り特集に。

数年前からあたためてきた「音楽村」構想。
ブログ以外では、対外的に初めて公表です。

恥ずかしいけど嬉しい記事です。

新見の人が読んでくれて、関心を持ってくれれば。
そして、岡山県下の音楽関係者の目に留まれば。
応援してくれる人が一人でも増えれば。

小さな記事に期待しすぎかな?(苦笑)

画像  新聞記事(岡大交響楽団を指揮する保科洋先生)
     (先生には了解済。でもオケの後輩たちには無断で写真掲載、ごめん)
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あす6月2日の山陽新聞に

2009年06月01日 | NPO
あす6月2日の山陽新聞別刷特集に、私の「音楽村」構想の記事が。
新聞社の企画に応募したものが掲載予定です。

テーマは、「岡山人(びと)の挑戦」。
山陽新聞に籍を置くいとこの勧めで応募しました。
運よく選ばれ掲載とのこと。

閉塞感の充満するこの時代に、「夢」を語れとの特別企画。
私の「音楽村を作りたい」想いを受け止めてもらいました。
地元の多くの人に協力を仰ぎたいため、一歩を踏み出すことに。
(東京のテレビ取材は断りましたが)

小さなスペースらしいのですが、構想の「公的宣言」です。
応募記事に写真を添付。作曲家保科洋先生の岡大オケを指揮中の写真です。
電話で先生に掲載を報告。事後ですが、快く承諾を。

テレビの「題名のない音楽会」で、先生作曲の「風紋」が人気ランキング5位に。
毎日どこかで演奏されている吹奏楽の定番の曲。
保科先生には「音楽村」村長就任の依頼済み。快諾でした。

     

7月18日(土)の新見市太池邸での「六文銭09ライブat新見」も準備進行中。
このコンサートを山陽新聞も後援してくれることに。
まったく素人のライブ開催「実行委員長」の私です。
支えてくれる多くの人たちの存在は、嬉しいものです。

この記事で、初めて本名を明かします。「元ベース弾き」の正体を。
時がきたらオープンにと思っていましたが、今回個人情報の一部開示。
ただし 地元で山陽新聞が読める範囲の人だけに ですが。(笑)

優柔不断な私が、意を決して「飛び」ます。

画像  岡大のコントラバス(管合奏のためお休み中のコンバス、向こう側に保科先生)
     山陽新聞の募集広告(「岡山人の挑戦」を広く求めていました)
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「岡山人(びと)の挑戦」に応募

2009年05月03日 | NPO
地元 岡山の新聞社、山陽新聞。
この新聞社の募集広告のタイトル「岡山人(びと)の挑戦」。

「現在挑戦していること」
「これから挑戦してみたいこと」
世の中を活性化させる勇気の源を広く募集するとの広告が出ました。

この新聞社に籍を置くいとこの勧めで応募します。
インセンティブは決して、大きなものではありません。
山陽新聞の別刷り特集による新聞発表とクオカード。

自分自身の「音楽(合宿)村」構想を不退転にするため。
もうひとつは、広く県内に告知し「同志」を探すことも。
ともするとくじけそうになる気持ちを継続するため。

締切日が迫っています。
この黄金週間に「挑戦内容」を書きあげます。
新聞社に受け止めてもらえるかどうか、楽しみです。

画像  募集広告(山陽新聞社の130周年特別記念企画らしい)

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「音楽村」助成 陳情物語(東京)

2008年09月12日 | NPO

昨日・一昨日と2週間ぶりの東京。
芸術支援機構、ある財団の理事長を訪ねました。
行政の音楽活動への支援の実態を聞き、協力依頼をするためです。

仲介いただいたのは、大学教授。実務のわかる知識人。
彼も理事長も岡山県人。そろって県北の出身。同じ団塊世代。
「友達の友達は、みな友達」の構図です。
このネットワークは、尾道出身の関西の企業トップの友人のおかげです。

理事長は、行政を束ねるある省庁の次官だった人。
地方の行政の首長である市長などの人脈と市の財政に精通。
最近岡山市と新見市の市長も勉強会に呼んだとのこと。

地方の活性化は企業の誘致だけでなく、文化の醸成にあると例を出して力説。
定期的な市長への勉強会を開催しているらしい。
次官を降りてもその影響力は強大な感じです。

残念ながら,NPOなどへの直接支援・助成はできないとのこと。
代わりにスポンサーとなりそうな民間人や行政のキーマンの名前がずらずら。
人脈での支援を約束いただきました。

ただアウトリーチ(財団登録の音楽家の地方への出前演奏会)は支援すると明言。
指揮者の小澤征爾なども登録されているとのこと。
公共ホールとの連携にも支援がありそう。

     

理事長に岡山県北出身者としてのシンパシーを感じました。
行政と民間のスタンスの差はありますが。
民間出身者のアイデアで行政をリードしてほしいとのエールも。
蒜山(ひるぜん)高原を含むエリアも巻き込んだらとのアイデアも。
周辺は音楽の空白地域です。自然の景観も味方にできたら最高です。

今回の訪問は有益でした。
人脈づくりがあれば、「音楽村」は少人数でも起こせると。
ただ音楽好きな多くの人達の共感を呼べないと成立しないとも。
岡山県や新見市周辺の真庭市・高梁市を巻き込みたいものです。

画像   蒜山高原(岡山県北)
      オケの練習風景(母校の後輩たち)
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「岡山音楽村(仮称)」開村への助走

2008年08月23日 | NPO

お盆 実家に来客がありました。

85歳の母を訪ねてくれたのです。
遠い親戚にあたる新見市議会の議員さん。それも二人。もちろん別々ですが。
毎年訪問していただいているようです。

そのうちの一人から「音楽村」の進捗を聞かれました。
驚きました。そんな話を母親も私もその人にはしてなかったからです。
「地元の活性化」のために頑張って欲しいとのエールもいただきました。

新見市へのUターンの状況を聞いてみましたが、数少ないようです。
新聞によると、岡山県も新見市も財政的には厳しい現状です。
地方自治と言いながら、国や県の補助金の構成比の高いローカルの市です。

「音楽村」構想に二つのハードルがあります。
地元の説得と資金計画。

地元の説得は、教育委員会と共同で予定。
そのための精緻な計画提出を求められています。
熱意(夢物語?)だけではない現実性が必要です。
その実現に必要な開設費用・運営費の概算見積もりと資金計画が要ります。
もちろんニーズ(マーケティング)と効果も。

     

9月初旬上京します。

その目的は、ある財団を訪問のためです。
芸術・文化の振興による地域作りが目的の財団。その理事長を訪問です。
仲介いただく方も理事長も岡山県出身。
自己紹介と企画書の準備をして臨むようにアドバイスも。

結果がどうあれ、気にしてもらい、応援してもらえる人たちの存在は嬉しいものです。

定年退社式が終わったとはいえ、正式には9月初旬が退職日。
それを待っての行動です。

画像  新見市の井倉洞方面(伯備線から望む)
     オーケストラ練習風景(保科先生と岡大交響楽団)
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微かに追い風が?廃校利用の「音楽村」に。

2008年05月20日 | NPO

廃校利用の緩和の「風」が微かですが、吹き始めました。

岡山県新見市でも、少子化と統合により、すでに15校が廃校です。
その上、近々数校廃校予定です。
新見市だけでもこの数ですから、全国では数千校にのぼるでしょう。

教育委員会によると、廃校利用に関しては、地元の意向が強く働くそうです。
廃校周辺の地元では、福祉施設の要望が強いとも。

新見市の廃校利用もここ10年で進んでいます。
国際大学、美術館、料理道場、診療所、ケアセンターなどなど。

新見をでて40年、実情を知らない「浦島太郎」状態です。
ウォンツやニーズに基づかない構想ですから、理解してもらうのに時間がかかるでしょう。

特に地元の有志の人たちとの擦り合わせが必要条件です。
ジェネレーションギャップと思い込みに気をつけながら進めたい構想です。

地域の活性化には、地域内外の力が必要です。
構想に賛同いただく大勢の人の後押しが要るのです
新見市に住んでいないけど、情報を提供いただける「村外村民(そんがいそんみん)」として。

つまるところ主旨に理解をしてもらうあらゆる世代の存在が鍵です。
連続性のない一過性の再利用構想は、自己満足だけで将来性がありません。

   

音楽合宿やクリニックを通じて、子供達に音楽の楽しさとレベルアップを図ります。
同時にミニ演奏会を通じて、地元のシニアたちへ「元気の源」を届けます。
予算の少ないアマチュアの発表の場や合宿所の提供も目的です。

地域のメンバーのみの活用では、運営が困難です。
県内はもちろん、中四国地方を対象に考えます。軌道に乗ればもっと広範囲に。
多くの子供達や、若者が新見を訪れてくれれば、新見も元気になります。

「音楽村」で孫世代の世話をするシニアの姿が見えます。
手弁当で指導いただく人たち、真剣に練習に取り組む子供達。
私の夢は果てしなく続きます。

画像   廃校利用の山陽新聞の記事5月初旬
      母校のチェロパート(女性が大半、四女の高校のOGも)
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「厳しい指摘と温かいアドバイス」  音楽村は・・。

2008年05月14日 | NPO

今日、神田の山の上ホテルでランチ。
料理のおいしさに加えて「心の栄養」がいっぱい摂れました。

業界の先輩に、素晴らしい人を紹介いただいたのです。
以前 いかなごの「くぎ煮」をいただいた方が、私のために場を設けてくださいました。
そのうえ、料理代も払っていただいたのです。恐縮です。

紹介された方は、私の母校の先輩で、東京・関西の大学の教授です。
異色の経歴をお持ちです。複数の企業の経営の後、学究生活。同じ岡山県人です。
活動ぶりを、webで見るとさまざまな記事でヒットします。
経済活動を体験した知識人。今も幅広く活動中です。

講演、コラム、地域の市政アドバイザー、県の観光特使、NPOの理事。
数えきれない肩書きです。

この方が、私のスタンスをバッサリ・・・・。
そのあとで、「こうしたら」の温かい実践指導。
私自身の「甘えの構造」を思い知らされました。反省。
最後に、「できることは支援しますよ。」同郷のありがたさを痛感です。
生まれ故郷で、「地域ブランド」の立ち上げ中だそうです

この方を、紹介いただいた方もご自身の母校の評議員。
素晴らしい人の友人は素晴らしい。お二人に憧れます。
この出会いを、かみさんや母親に報告します。嬉しい電話ができます。

   

昨晩、母親から冷蔵の宅配便。
あけてびっくり、いつもの食材に加えて、食パンが入っていました。
電話で理由を聞いて二度びっくり。

連休においしいと評判のパン屋に寄ったのですが、売り切れでした。
その手作りパン屋さんは、30キロも離れているのですが、そこに買いに行ったそうです。
岡山県吉備中央→新見→東京。こんなに旅したパンはないでしょう。
食べそこなった私と岡山の家族に送ってくれたのです。
味もさることながら、母親の気持ちを感じたパンでした。

画像  岡山NPO支援センター(元病院をリフォームしたそうです)
     母親の送ってくれたパン(800キロ旅したパン、高いパンになりました)
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行政は「音楽村」をどう見る? 連休編4章

2008年05月09日 | NPO

ただいま 岡山から帰京。

さすがに疲れました。
でも家族の健康を確認できたことはうれしいことです。

昨日、一昨日 役所を訪問。

まず新見市の教育委員会です。
新しく担当を変わった人もいて、私も新しい企画書を持参。

教育長、次長、課長、参与。地元ではそうそうたるメンバーです。
先回の訪問は、「ひとりの定年退職者の夢」としての受け止め方だったらしい。
今回は、時間をかけて具体的に説明。質問も多い。

結論 廃校周辺の地元が受け入れてくれるなら、教育委員会も了承とのこと。
地元への説明会は、セットします、もっと詳しい企画書が欲しいとの要望。
廃校の再利用のことは、上部組織に確認しますとのこと。
NPOへの貸し出し可能の方向に変わってきたとの朗報です。

廃校周辺の地元の了解をどうとるかの大きな山場が年内です。
40年ぶり帰還の「浦島太郎の私」だけでなく、新見の支援者の力が必要です。



前日地元の山陽新聞に、新見市の廃校の活用の記事が出たこともいいタイミングです。
そのことをある議員さんからも情報提供あり。それもこのブログのコメントとして。
案の定、この話題がその場で出ました。もちろん新聞を持参していました。

昨日は、岡山市内のNPO支援センターを訪問です。
県庁のメンバーが常駐しています。
NPO申請の大枠の説明、2年後の国民文化祭・岡山2010の活用も薦められました。
岡山県には、音楽関係のNPOがほとんどなくおもしろいとのことです。
今後助成の情報も提供いただけるとか。ここの訪問が増えそうです。

個人の想いだけでは、実現は難しそうです。
新見の多くの人の後押しが要ります。
しかし時間はかかりそうですが、道が見えてきました。

今回 かみさんとずっと一緒に訪問です。応援してくれています。
母親はじめ、弟妹も励ましてくれます。
家族のありがたさを痛感です。

   


画像  ゆうあいセンター(岡山市内のNPO支援センター)
      廃校(候補校ではありませんが、先日訪問。まるでホテル)
      倉敷銘菓 むらすずめ(お茶によく合うおいしい和菓子)


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伊豆修善寺で会った「素晴らしい若者」

2008年04月25日 | NPO


昨日 有給休暇を取り、伊豆の修善寺に出かけました。
温泉めぐりではありません。若手の経営者に会いに行きました。

mixiで知り合った「凧?」さんの紹介で、同行もしていただいたのです。
素晴らしい人に出会えました。「凧?」さんに感謝です。

その人は、お米屋さんを経営しています。。
突然倒れたお父さんの後を継ぐため、2年前東京からUターン。
花形のIT業界からの転身です。

私の事業の構想の一つをすでに実践しています。
いや2周くらい先を進んでいます。システム化ができているのです。

「スーパーマン(スーパーの御用聞き)」制度が進んでいるのです。
車の運転のできないシニアの代わりに、食料品の注文を聞き、配達するのです。
彼の事業名は「よろず便」です。口座引き落としの決済制度までできていました。



彼には、地元の商店街の活性化も大きなテーマです。
突然のUターンで見た、田舎の衰退ぶりに衝撃を受けたそうです。
活動はまだまだ発展途上の様子でしたが、目標が見えているようです。

若手経営者の彼の視点は、私とは若干異なりますが、確かなものです。
マスコミにも取り上げられていました。テレビでも放映されたそうです。

団塊世代の私や私の仲間にも、このような活動ができたらと思います。
何もしないで、評価が先行する時代において、若くても実践している彼に脱帽です。
お互いの健闘と今後連絡を取り合うことを約束して別れました。

彼の住む伊豆市は、温泉と観光の街です。
規模も新見市と同じくらいです。
川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台や石川さゆりの演歌「天城超え」の浄蓮の滝はすぐ近くです。

彼の店で作っているうどんを買って帰りました。夜さっそく食べました。
こしのあるうどんで、ここにも彼の「こだわり」を感じました。

全国の過疎地で頑張っている仲間の存在は、大きな励みです。
小雨の中の一面の若葉も私にエネルギーを注入してくれました。




画像  修善寺駅(伊豆箱根鉄道の駅、三島から30分です。)
     「よろず便」の企画書、お店の自家製の乾麺
     アジの寿司(三島駅で販売、ワサビの葉や香りとマッチ、おいしさ最高、880円)




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「音楽村」進捗は?5月の連休の予定!

2008年04月23日 | NPO

5月の連休のスケジュールが決まりました。
東京から岡山市・新見市への帰省です。会わねばならない人が多いのです。

この秋退職を期に、岡山県新見市に設立のNPOの申請を考えています。
その前に新見市の行政の担当者との面談です。

廃校の正式借上げの条件を確認します。
国の補助金で建てた校舎の扱いは、結構微妙です。
教育委員会の責任者や担当が変わり、改めて挨拶に行きます。
「音楽村」構想のキーになる廃校の件です。
電話での申し入れに対し、担当の課長は快く面談を受け入れてくれます。
候補の廃校の地元に了承を取る必要があります。是非納得して欲しいものです。

「音楽村」の村長に、「風紋」などの作曲で著名な保科洋先生を予定しています。
先生に携帯でアポを取り、母校の合宿のため岡山にきている先生と、食事の約束です。
「先生。馬(オケ時代のあだ名)です。例の音楽村の件よろしくお願いします。ご挨拶に行きます」
正式な「村長就任依頼」です。かみさんも同行です。
母校の練習に立ち会うのも30数年ぶりです。少しどきどきします。

   

この日最初に電話したときは、ゴルフの途中でした。元気な先生です。
我が家においでいただき、おいしい酒を一緒に飲みたいのです。
先生は、7月1日横浜で吹奏楽の指揮をするとのこと。
トランペットの三女と一緒に来ない?との誘いを受けました。もちろん快諾です。

実家の改装をお願いしている設計士さんとも会います。
厳しい予算内でのプランをお願いしていますが、大枠が決まったようです。
詳細の説明受け、確認と希望を伝えます。楽しみです。
しかし 満足感は犠牲になるとの「念押し」。

実家の家に「シロアリ」の巣があるらしく、連休ころ飛び立ちます。昨年は出ませんでした。
風のない暖かな曇りの日、連休前後に現れます。アリの体内時計は正確です。
めくってみないとその被害状況はわからないのです。どうか少ない被害でありますように。

   

ハローワークにも寄って見ます。昨年も行ってみました。
この歳になって、肉体労働はできませんが、募集内容の確認です。
失業保険を受け取るためには、秋からは行かざるを得ないのです。

ゆっくりとすごせるゴールデンウィークではありません。(ため息)
でも家族と会えるのはうれしいことです。

画像  新見市の教育委員会の入っている建物(名前は知りません)
     「風紋」のCD(保科先生の作曲集、ベストセラーです)
      石垣の上の実家
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「理想郷」を支える「スーパーマン」は今どこに?

2008年01月28日 | NPO

ふるさとで、不便な田舎の生活に苦労しているシニアたちを元気付けることも、「私の夢」です。
(私自身は、最近の介護訪問やデーサービスの実態を知らないのですが。)

一人暮らしのシニア(年配者)、夫婦のみのシニア、の「宅配便」の梱包と発送を手伝う
「助っ人制度」=「スーパーマン」制度を立ち上げます。

「スーパーマン」は、デジカメでシニアの姿を撮り、簡単プリントの後、宅配便に写真を同梱します。
荷物を開けて、写真が入っていることで遠隔地の子ども・孫・知人・親戚がシニアや田舎
を思い出し、電話をしたり、帰省して欲しいのです。
(この「魔女の宅急便」構想は別途説明します)

  

「スーパーマン」はまた宅配の梱包・発送を手伝うだけではありません。
シニアの欲しいものの買い物のリクエストをもらい買い物の代行をするのです。
(チケット制、一回500円程度))
(スーパーマーケットの注文取りから「スーパーマン」制度と名づけました。しゃれです)

また買い物の代行のほか、不便を強いている家屋・設備の営繕仕事の要望を聞き、
簡単な営繕仕事は自分でこなし、そうでないものは市内の大工・工務店に取り次ぎ
ます。(有料ですが補助金もあるのです)
 
 この助っ人「スーパーマン」の登録は、同じ街で60歳以上で、信頼されている人にお願いを
しますが、見直しもします。
ふるさとの町では60歳以上が40%を占めています。
又Uターンする団塊世代にもお願いをし、知恵と力を貸していただこうと思っています。

        

これらの運営費用をどうまかなうかは大きな課題です。
地方債の発行で、大きく痛んだ地方財政です。
自治体の助成は、望めません。ただ現在の助成の内容を確認します。
行政以外に、NPOへの各種助成、全国企業のメセナ、地元企業の支援、
最終的には、行政や出資法人をベースに地域通貨の発行を視野に入れています。

しかし シニア側も支援してもらうだけでなく、支援する側にもたってもらいます。
双方が必要なのです。シニアができることを登録してもらうのです。
誰かの役に立つことが「生きがい」そのものだからです。

画像  「空中散歩」スーパーマンから見たらこう見える?
      新見市の鯉ガ窪湿原
      新見市内の城山の桜
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廃校の音楽合宿所を活用してもらうために!

2007年10月15日 | NPO


1年後に故郷に帰り、NPO設立、「音楽村」立ち上げと いよいよ
第四コーナー直前です。

優柔不断の性格に「むち」を入れるために、このブログを始めました。
ちょうど1年になります。mixiも同じ内容でアップしています。
厳しい現実から逃避しそうになったり、選択する苦悩を回避するため、
妥協案でお茶を濁してきた「性格」改造のためのブログです。

行政の「箱もの」政策ではありませんが、合宿や演奏会用の場所は、
岡山県新見市の教育委員会の好意で見通しが立ちつつあります。
候補も数校あります。



数十年前のオーケストラの合宿時のイメージだけで、構想をスタートしました。
時代の変化は私の想像を超えた「音楽合宿」になっている可能性があります。

貧乏学生の多かった昔のオケと異なり、リッチになった学生や社会人の吹奏楽や
バンドの団体が、へき地の廃校を使ってもらうためには相応の条件が必要です。

まずロケーション、経費、大物楽器の常設、合宿シーズンの平準化などです。
また宿泊に伴う設備、食事提供などは法律のクリアーが課題です。

独りよがりではなく多くの個人や団体のアドバイスや協力が必要です。
とりわけ家族の理解や協力です。

初めて聴く生の音楽の感動、学校訪問演奏の子供の目の輝き、合宿を
サポートする凛としたシニアや地区・行政・企業の支援などが目に浮かびます。

過疎地の活性化などの大義名分より、年老いた母やかみさん、子供たちなど
家族が親父のどうしようもないわがままを見守ってくれる姿を見たいのです。

娘たちの影響で、関心のなかった吹奏楽が好きになりました。ジャズや
ポップスなどほかのジャンルも聴いてみます。気持ちを理解したいからです。

今後もブログ発信を続けます。今はまだ会ったことのない多くの仲間に「音楽村」を
訪ねてもらうために。

画像  「音楽村」候補
      第一候補
      第二候補
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「え!これが廃校?」 (音楽村設立の進捗報告)

2007年08月15日 | NPO
お盆の帰省の目的の一つが、「音楽村」設立準備のためです。

事前にアポをとって、新見市役所を訪問しました。
廃校の活用については、市の教育委員会の管轄です。

約束の時間に訪問すると、応接室に通され、何と4人の出迎えを受けました。
驚きました。一人の定年退職予定者の「夢物語」を聞いてもらう場にしては、意外な応対です。

訪問目的について説明すると、若手担当者から聞いておりますとのこと。もっと驚いたことは、私のこのブログを読んでもらっていたことです。正式な企画書を持たなかったにもかかわらず、スムースに会話が進みました。さらにその責任者の出身が私と同じ町内で、顔も見たことがある後輩ですと言われました。

故郷と人間のつながりの不思議さとありがたさを痛感しました。

廃校の利用については、社会的な活動内容が必要だそうです。「音楽村」構想は条件を、満たしているため、後はNPOの定款にそれをうたって欲しいとのことです。

団塊世代の市の受け入れについての要望を話すと、市長との対話の場面をセットしますと約束してくれました。変革を目指す行政の姿勢が少し見えました。

廃校のリストと状況をきいてビックリしました。
廃校といいながら新しい校舎があったのです。それもいくつも。

私にとっては、嬉しいことですが、事情はあったのでしょうが行政の計画の見通しの甘さについて考えさせられました。

                  

早速 候補の廃校の下見に出かけました。
想像以上の新しさと教室数、体育館、給食設備は私の期待以上です。
嬉しさがこみ上げてきました。音楽合宿の場所の見通しが立ってきたのです。

上の大きな写真が第一候補
下の写真が第二候補







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「音楽村」のきっかけ  Ⅱ

2007年07月06日 | NPO
音楽村の設立に必要なものが建物・食事以外にもあります。
仲間とネットワークです。

この構想に当たって、大先輩からアドバイスがありました。
田舎を離れて生活している私の価値観とふるさと新見の価値観が、必ずしも同一ではない。つまり独りよがりに陥らないようにとのことでした。

高校時代から数えて40年新見を離れているのです。
懐かしさだけではふるさとで活動できないのです。

この「音楽村」の構想の原点は、初めて聴いたオーケストラの響きです。
テレビでも「N響アワー(だったかな?)」で観た経験はあっても、生の音楽に触れたのは大学が初めてでした。
大学のオリエンテーションで初めてオケを聴いた感動が、大げさに言うと私の人生を決めたのです。ほかのスポーツや芸術のことはよく知りませんが転機となることがあるのは多分同じでしょう。

大学卒業後 音楽総合企業にはいり(仕事は音楽とは関係ない事業部でしたが)、オーディオにはまり、社内結婚をし、4人の娘を授かりました。
二人の娘がトランペットやチェロに親しんでいることはまさにその証明です。

学生時代「どさ回り」で所属のオケが新見の少学校で演奏会を開催したことがありました。多くの小中生が聴いてくれた記憶があります。そのとき私の両親が田舎のちらし寿司を楽団員に作って運んでくれました。応援してくれたのです。

今 全国に仲間を必要としています。音楽好きな人の人的ネットつまり口コミでのPRによる「広報」担当者が欲しいのです。
「村外の村民」です。精神的バックアップや側面支援です。それぞれお持ちの知恵や技術をお借りしたいのです。知り合いの広告会社の人やデザインのプロが協力を約束してくれています。
                 
 岡山県内の音楽好きの人もネットを通じて応援を表明してくれています。ありがたいと思っています。どれだけ勇気をもらえているか。会ったことも無い人だから好意が嬉しいのです。将来「音楽村」においでいただき、村長就任予定の作曲家の保科洋先生を交え、音楽とお酒を楽しめるでしょう。

クリアーすべきことは多いのですが、「音楽村」開村を目指します。

画像はふるさとの芸能 備中神楽です。
 たかはしフィルムコミッション より
 http://bitchu-takahashi.chu.jp/fc/
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私の夢 廃校で「音楽村」を

2007年07月04日 | NPO
退職後 ふるさと新見市に設立予定の「音楽村」の準備も本気でかかる必要があります。

ふるさと新見市では、少子化と過疎化で学校が統合され、廃校が増えています。
この廃校を利用して、「音楽村」を開きます。

この廃校をオーケストラやバンドの合宿所にしたいのです。
予算に苦しんでいる各団体に格安で合宿所を提供したいのです。
パート練習や合同練習のできる教室のある廃校は最適ではないかと考えました。
しかし いくら田舎とは言え、下手な音を出すことは近所迷惑です。
防音のため二重サッシにして、音漏れを防ぎます。この費用をどこから調達するかも
思案中です。助成金か企業メセナか。

また食事も重要です。プロの仕出しではなく地域でつくります。
元気なシニアの力を借りたいのです。田舎料理を中心に量はたっぷり出します。
ボランティアではありますが、料理人のプロとしての賃金は支払います。
好意のみに依存するのではなく、永く続けるためにけじめをつけるのです。

オケやバンドは合宿費用を安く上げてもらったお礼に、近所の人対象のお礼の演奏会を開催します。これを義務付けたいのです。
どんなジャンルであれ、生で聴ける演奏会は、子供たちに夢を与えます。
               

市の施設担当者は、廃校の活用の申し込みに積極的な協力を約束して
くれています。宿舎としての活用には、衛生課より設備の条件が重要といわれています。
基本的なルールは、事前に東京の保健所に確認してはどうかとのアドバイスも
いただきました。法律の壁は厚そうです。

市庁舎には今年も、お盆に帰省したときに、直接訪問し詳しく教えてもらいます。

素人が手探りでやるのですが、必ず実現させます。
多くの仲間、同志が期待してくれています。もちろん家族も。

下側の写真は 新見駅前の銅像

画像の校舎は  ながのフィルムコミッションより
  http://www.nagano-fc.org/locationlib.php?cat=school)
コメント (6)
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