( 高知城の桜 もう 7~8分散り ? の 状態です。)
タイトルは 中村汀女という 俳人の 句です。
桜の季節は 静かに 過ぎつつありますが 今年は 『 追っかけ 』の
せいか 高知の桜を 満腹するくらい 見ることが 出来ました。 日本人の
桜好きは 有名ですが、 それは古代からの 歌の世界にも 現れています。
世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平
散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき 惟喬親王
この二つの 短歌は よく対で 話題にのぼるそうですが 桜が咲き また
散ることへの 日本人の思いを よく 現しています。
ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則
桜花 何が不足で ちりいそぐ 小林一茶
この短歌と俳句も 私には 対句のような 感じがします。 一茶の表現は
俗っぽいですが 十七文字の中に 散りいそぐ 桜への思いが 秘められて
いるようです。
花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町
有名なこの歌も 花にこと寄せて 自分の容色の衰えを嘆いていますが 桜を
愛おしむ心が 根底にあるようです。 日本人の中に 自分とあわせて 桜を
思いやる 精神構造が あるようですね。 外国では 多分 そこまでいかない
のでしょう・・。
最後に 私の好きな歌人 西行法師の 歌を。
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ 西行
今日は 今も咲き続けている花(八重、ボタンや 枝垂れ桜)を 今年の桜への
思いを込めて 載せたいと 思います。
花びらが 一枚、一枚 ひらひらと 落ちていく、 憐れを感じる日本人の心情です。
宴会風の 花見もいいですが、 静かに花を見上げるのも また花見ですね・・。
一輪の花が 地面に落ちていました。 凛としたその桜花 美しいですね。