ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

  富士山観光 光と影 !?

2019年07月31日 | 自然 花 写真

 ( 昔の写真ですが 黒い夏の富士山です。忍野に来てから まだこんなスッキリした富士山を見ていない・・。 )

 

富士山が信仰と芸術の為の世界文化遺産になったのは2013年 6年前のこと。私を含め静岡、山梨県民は

こぞって喜んだと思います。美しい自然美を評価する世界自然遺産でなく 文化遺産だったのは理由がある。

富士山信仰が特に評価された。いわば過去の価値が評価された。しかし自然の富士山は実は傷だらけの状態だと

学者は警告し ています。登録にあたって課された宿題である環境保全や安全性の確保 開発の抑止 景観保護などの

問題について この6年間どれ程の対応がなされたのか? 現場で環境被害が拡大してはいないか・・と ?  

 

内外の富士山人気が高まり 頂上を目指す人々は多い日は1日1万人を超えます。50年前 富士スバル ラインが

開通して 五合目まで簡単に車で行けるようになり 富士山は信仰の山から 観光の山に変わった と言われます。

富士山が大衆化したとも言えます。私なども結構長い道のりですが バイクで五合目まで 何回か行きました。

富士山が五合目観光となり 大型バスや車が富士山五合目に押し寄せました。勿論頂上まで登山をする人々も

増えました。五合目まで車で来て簡単に頂上や雲海を眺め 買い物をして帰る人々も多いという。任意の入山料も

3割程度しか払う人がいない・・・。

 

昔富士山は人々の崇拝対象でした。畏敬の念をもって 崇め眺める対象だった。不二山とは二つとない 美しい山で 

度々噴火を起こす荒ぶる山でもありました。人々はそこに神の存在を思い その怒りを鎮める為に麓に神社を幾つも

建立しました。近くにある浅間神社のご神体は赤い富士山です。室町時代からの山岳修行から 江戸時代の富士講へ

引き継がれ 今は観光する山へと変わって行きました。江戸時代 富士講が盛んになり 各地から庶民が登拝しました。

白装束で金剛杖をもって 忍野八海などの清い水で身を清め富士吉田(1合目)から徒歩で 神に近づく登拝を目指し

ました。『 懺悔 懺悔 六根清浄 』と唱えながら歩き 身体を浄めれば 罪も許され 新しい自分に生まれ変わる

という信仰でした。  『 富士山の光と影から 』

 

富士山登拝が盛んになり 幾つかの登山道が開かれ 御師(おんし)住宅なる宿泊場所が開かれました。

富士吉田には今も多くの御師住宅があります。登拝には先達と呼ばれる修行僧が率い 神事を行い 色々世話を

してくれたそうです。御師では 先達が登拝者達に 富士講の意義や人間の生きるべき道を語り 安全な登山の

方法や環境に 負荷をかけない自然との共生の知恵を授けたと言います。

 

今オーバーユース(過剰使用)が問題になっています。本当は五合目までの植生や 歴史的な古道が楽しいのに 

そこは一気に駆け抜けてしまっています・・。おまけに山梨県は 今富士登山鉄道を企画中です。冬場の観光を

盛り上げる意図です。開発による観光破壊も心配されます。

 

例えば 昔登拝の時 現在の価格で3500円程の入山料を払い 杉チップを敷き詰めた小箱を貰って 携帯トイレにし

道中はその中で用を足し 持ち帰ったと言います。ご神体である富士山を汚すなど もっての他だった訳です。

御師は現在のレンジャー(自然保護官)のような役割をしていたのです。お互い助け合って登拝し それぞれの

故郷に戻り 富士講の仲間に伝え その輪が広がったようです。『 江戸に八百八町 八百八講 』 とうたわれた程

江戸時代の富士山信仰は熱心に行われ それが今 世界文化遺産となった大きな要因です。又北斎 広重 大観など

多くの画人の芸術の対象となりました。ユネスコは信仰の文化的側面を評価し 世界『文化』遺産としてようやく

登録を認めたのです。

 

現在ゴミ問題と共に 富士山のトイレ問題が深刻です。トイレの容量より観光客の数が多い オーバーユース の

問題です。観光業は総合産業で 平和産業としてどの県、どの国でも力を入れています。確かに富士山の 観光客は

増えましたが 光と影が必ずあります。一方に偏ることなく 世界『自然』遺産として 再度出直すべきという声も

あります・・。

  

 

美人を遠くで見る感じ ? あばたもえくぼ !? と言いますが 近づくと崩落もあって 痛々しい!!

ディープインパクトが 死んだ ! そうですが 競馬に興味の無い者でも名前だけは・・? 忍野村の馬。

冬の富士山。 白粉でキレイに見える美人と同じ !?  冬の富士山は最高です。

富士山は崇める存在 !?   富士山が今の形になったのは 1万年前 !?

忍野村から。 裾野の長い富士山。 真ん中の薄茶色は 演習地。聖地に実弾を撃つのは 間違い!?

鳴沢にある川崎さんの畑。 育ちは遅いですが 無農薬のトウモロコシが育っています。

同じく。これはスイカ ? 農作業は土作り 雑草取りなど大変。 昆虫 小動物 病気から守る工夫をします。

これはカボチャですね。 農作業はイヤされるそうです。先日伺って BBQ用の野菜をわけて貰いました。

銭葵(ぜにあおい) 初夏咲く花。紫の線の入った5弁の花。 花の大きさが 一銭の大きさに等しいから。

。 

ユッカ蘭 いつも久し振りの感じ。

忍野村に珍しい ハイビスカスの花。

モントプレチアの群生。 赤い色が強烈です。

久し振りのバラ。 6月はバラの季節ですが 植物園以外では 今年余り見なかった !?

ツバメの巣に二羽。 この世界も少子なのでしょうか・・?

 

 

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  忍野物語

2019年07月28日 | 自然 花 写真

     (   虫取撫子(むしとりなでしこ)が緑の野に咲いている。  )

 

忍野村は昔 湖でした。富士山の噴火などで 地表が変化して 湖は乾いて盆地となっていきますが

富士山の湧水が幾つか小さな池を作り 今の忍野八海(8つの池)となりました。富士山に降った雨、雪が融け 

地下の伏流水となり 二拾数年かかって 地表に湧いてきます。忍野八海を源流とする桂川は流れて相模川となり

相模湾にそそぐ210kmの一級河川です。元が湧水なので水温は一定で 澄んでいます。上からでも 魚が

泳いでいるのがよく見えます。私のマンションなども 夏は手が凍る?ほど水は冷たく冬は逆に暖かく感じます。

地下水を汲み上げているからです。自然のミネラル一杯の水で米を炊いたり 調理が出来る 薬を飲む水もミネラル

ウオーターとは 贅沢な話しです・・。

 

今でこそ観光地として 村の中心部は観光客でごった返していますが 忍野村の多くの地域は 豊かな自然に

恵まれた 心落ち着く田舎です。今色々なトンボやツバメが飛んでいますが 夜中でもカジカが鳴き 鶯や

ホトトギスが鳴くのどかな所です。私のベランダにも雀が来るので 古米を時々やりますが 糞をするので困り 

どうしようか・・と思っている所です。ツバメが色々な所に巣を作り 一月遅れのアジサイが今盛んです。 いつか

土田さんが教えてくれた真っ白なアナベルが美しいです。未だつつじが咲いており 高知では見ない花も見えます。

高知ではムクゲが一月前から咲いていましたが こちらではまだ蕾も見ません。やはり高知とは一月以上遅いですね。

ちなみに桜は4月末から5月初旬 札幌と同じ時期です。標高が平均936mある高原型(高冷地)気候のせい

でしょう。 今でもクーラーがいらない!と言うと羨ましがられます。

 

もう忍野に通い始めて10年になります。『 富士山に憧れた !! 』 一言で言えばそうです。大きく言えば

自然の中に居たいという思いです。手つかずの自然など 今はもう望めませんが 出来るだけ自然の残る世界に

居たいと思うのです。都会とか社会が嫌い と言うわけではなく 自然の素晴らしさを感じるからです。

里山という言葉がいいですね。自然と人間が調和した世界です。こちらの桂川は 護岸工事の無い自然の 水辺です。

魚 虫 鳥 小動物がいます。勿論草花も・・。ホタル バイカモ コウモリもいるそうです。ツバメが村の鳥です。

色々な生き物の営みがあります。もしかしたら大雨で水害にあうかも知れません・・。 実は忍野村はフライフィッ

シングの名所のようです。私にはその趣味が無いので 宝の持ちぐされかも知れませんが・・。桂川の清流に竿を

忙しく動かしている人を結構見ます。ヤマメ ニジマス等が釣れるらしい。

 

私は夏だけの 『 忍野ッ子 』ですが 忍野村の人口は平成28年 9710人でした。平成12年 8367人

ですから 人口は大きく増えています。過疎 人口減少の進む日本では 珍しい村です。去年忍野村小学校の生徒数は

603人(一年生108人)。中学校は253人だそうです。 多いと思いませんか? ファナックという成長会社の

本社 工場があるからです。 自衛隊の駐屯地があることも起因 ? 観光地であることも理由でしょうね。

 

青空に白い雲 そして向日葵(ひまわり)  待っていたシーンですね。

茂みの中に 藪萱草(やぶかんぞう)の花があざやか!

やわらかそうな マンネングサ。 

 

百日草。 高知で見るものより 花が小さい・・。

もう一度 アジサイを見られるとは・・・。

アナベルです。 高知では見ませんでした・・。 

大きな 真っ白い花が 塊のように。

忍野村には ホタルブクロが よく咲いています。

下野(しもつけ) でしょうか。 今忍野村に咲いている花を紹介出来るのは 幸せですね。

散策公園のお花畑。

富士山は相変わる 姿を見せません・・。 ホントいうと 朝一番には顔を見せていたんですが・・。

富士山を見上げる石像も 心待ちにしています。  地区的にはここは富士吉田市です・・。

私の部屋から見える富士山 !  松の木がすっかり大きくなって  残念なことです・・。 

 

 

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  第72回 富士登山競走があり 応援に行きました !!

2019年07月26日 | 自然 花 写真

( 富士山登山競走。 朝7時スタートの頂上コースと 8時半スタートの五合目コースです。)

 

7月26日は 富士登山競走が行われました。山頂コースは21km 標高差3000mに2500人、五合目コースは

15km 標高差1480mに 約1300名が挑戦しました。距離的には普通のマラソンの半分ですが 標高差が

もの凄い・・!! それを2時間半位で登る訳ですから まさに鉄人コースです。台風が近づく中ですが 陽も

指して良い気候の中で 行われました。( 但し山頂付近は悪天候で 五合目打ち切りとなったそうです。)

 

私はこんなハードなマラソンには参加したことはありませんが 以前応援はしたことがあります。オリンピック

とは違い 警備は全く厳しくなく 汗を感じる距離で 『 頑張れ !! 』と声をかけ ハイタッチも多く

しました。余裕のある人は 『 有り難う ! 』と笑顔で言ってくれるし そうでない人も小さく頷いてくれ 

応援のし甲斐もありました。以前に比べ少し応援が少ないと思いましたが これは私の居た場所が少々辺鄙な所

だった? せいもあるのでしょう・・。

朝7時スタートの山頂組の応援はさすがに出来ず。8時半に吉田市役所を出発した皆さんは最速22分で 私の前を

通過しました。結構女性も早い方もいました。明らかに高齢者?も頑張っていました。息切れ切れ で 『 適当に

休んで ! 』  という声もかけたくなる程・・。まだ3km辺りから歩き出す人々も 結構いました。相当な

傾斜ですからね・・。 多分皆さん普段から鍛えているんでしょう ? 想定以上に 元気で カッコよく これを

楽しみにしている感じです。

約一時間 私も沿道に立ち続けて応援しました。最後に本部の大型バスが来て リタイアした人 極端に 遅い人を

拾い上げていく感じでした。ハッピを来た警備のおじさんも もう車の規制も無くなったと声を かけられ 私も元

来た道を戻りました。今日はやはり厚い雲に富士山が覆われていたのが 走る皆さんにとっても残念でしたね・・。

後で聞くと 途中から雨になったとか・・? ご苦労様 !!

 

 

途中経過ではこのランナーが1位。 五合目コースは15kmで 結果は1時間26分台で3位。

エントリーは 1276名 TOPは1時間17分26秒。 山頂コースは2500名だったとか。 

女性も結構 早い !! 山頂付近悪天候の為 女性TOPは五合目打ち切りで 1時間37分。 早いです。

『 頑張れ !! 』 という声援と ハイタッチ !!  余裕のある人も無い人も 応えてくれます。

かっこいい !!

ユニフォームもユニーク !?

高齢者 ? も マイペースで・・。

このおじさん !? 毎年走っている・・感じです。

笑顔に余裕があります。

中国の人でしょうか? 必達 とあります。ゴールまで頑張って !!

外国人枠も50名あって インターナショナルになっています。

富士吉田にある浅間神社から 中の茶屋へ向かう途中で応援 !! 左のハッピのおじさんはここの責任者 !?

相当な坂道ではありますが 頑張る人 歩く人 様々です。

皆さん 仲々ファッションはいいですね。 水もしっかりもっています。

後ろから大型のバスが迫ります。 ラストの組です。一番とは薬一時間の差でした。

 

 

 

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東北3県の旅 締めは会津若松 御薬園(おやくえん)の花です。

2019年07月24日 | 自然 花 写真

  (  山水庭園らしい たたずまい・・。 昔のお殿様は やっぱり 優雅 !?  )

 

 
先日のフランス人の続きですが 夕暮れせまる甲斐路をバスで走りながら 明日富士山が見えるように 互いに祈りました。
明けて10日は 朝6時頃見えていた富士山が 時間と共に気温が上がり水蒸気が出て 富士山を覆い始めました・・。 
あきらめかけていたら しばらく雨が降って霧が消え 時折黒い富士山が見えました。午後は雨が上がる時もあり 
素敵な富士山を眺めながら 何とか河口湖周遊など楽しめたのではないか・・と感謝しました。
 
話しが変わりますが この夏も異常気象が止まらない。以前書いた通りフランスでは45℃の熱波 スペインでは山火事が発生。
アメリカ中西部のミシシッピー流域では未曾有の大洪水が発生し メキシコでの雹(ひょう)が1mも積もった・・。もはや 
異常が当たり前 この先も身に危険を感じる大雨 洪水 地滑りを恐れ 絶えず避難に気を使うことになるのでしょうか ? 
高知の山間部でも全員避難の指示があったようです。7月のヨーロッパは全域で目をむく程の暑さに見舞われたといいます。
実は6月も観測史上最も暑い6月だったことが示されたばかり 7月第一週はそれをしのぐ暑さだった。南極海の氷は如何なる
予測よりも早く融けているということ。今年も異常気象と地球温暖化の進行が止まらないようです・・。
 
残念なことですが 今回の参議院選挙でも 地球温暖化・環境問題は遠くに追いやられ ようやく原発問題が5位という低い関心事で 
折角G20が日本で行われたのに その主催国民の関心がこんなに薄いのでは日本がリーダーシップをとって 良い環境を未来に残せない
どころか 毎年毎年異常気象に振る舞わされることになりかねない。地球温暖化と異常気象の関係が完全に位置付けられていないことも
あるが 分からないから放置していていいという問題ではない。各政党も票にならない環境問題を正面から訴えないのには失望した。
ドイツのように環境問題に特化した 『 緑の党 』が必要かもしれない・・・。 
 
今日の写真特集は 会津若松の『御薬園』という薬草栽培をした庭園を訪ね 写したものです。室町時代の別荘から江戸時代 
藩主の好んだ山水庭園となり 薬草園ともなったようです。旅の最後はやはり花で締めたいと思います。 無事に忍野村に
着けたことを 感謝します。 次回からは 忍野に咲く花の特集です・・・。
 

 

池の鯉に えさを投げている 女の子。

名前をチェックするのを 忘れました・・。 マンサクでもないし・・?

西洋ノコギリ草。 葉がギザギザで のこぎりのよう・・?

今年初めて。 アカンサス。 日本語名 はあざみ

ハスはこの時期 どこでも 咲いています。 朝咲き 午後閉じながら 3日間で散ってしまう花

高知ではもう終わってしまった アジサイ。 再度の出会いは うれしい・・!

大きな 大擬宝珠(おおぎぼうし) です。花一杯。

古木に 梅の実が出来ていました。

五葉松 というのでしょうか やはりお城ならではの 余裕です。

半夏生。 高知でも見ましたが・・。  夏至から11日目。 季節の名前にも なっています。

ノウゼンカズラは 各地で見ました。 目立つ花です。

とんぼも沢山飛んでいました。

名前は分かりませんが・・。 花と蝶は 相性がいいんですね・・。

 

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  東北3県の旅もそろそろフィナーレ !?

2019年07月21日 | 自然 花 写真

      

      (月山登山の同行者から頂いた 雪渓の写真です。サイズが少し違います。)

 

今回の東北3県の旅の報告も長くなりました。 最後は旅のアラカルトをお送りします。 梅雨の中ではありましたが 

旅の間はよいお天気に恵まれました。会津若松から東京へ向かう バスの中でようやく雨に出会った ? そんな感じ

でした。

期待した 姥が岳のお花畑は雪渓が深く たどり着けませんでしたが 思わぬ雪のプレゼントは 自然のスゴい

プレゼント!だと自分を慰めました。世の中には こんな雪渓を夏スキーと称して楽しむ 人もいるし あの雪渓を

物ともせず 頂上に至った人々もいるし 世間は広い・・? と思いました。 私は一週間の旅の後 風邪を引いて 

体調がおかしかったですが やはり『 年の病 』ですね、、、。

 

土田さんも風邪気味とか ? 偶然ですが18日 東京だったんですね・・。私は19日でしたが たまに東京へ

出ると 人の多さ ! ビルの多さ 空の少なさ !? 蒸し暑さ ? に驚きます。 高速バスで府中を抜け 

三鷹を過ぎ 新宿に近づくと 高層ビルの乱立に圧倒されます。自分とは違った 世界と感じてしまうんですね。

昨日も京王プラザホテルまで歩きましたが 間近に見上げる高層ビルは 本当に恐いほどです。

 

美子さんや高知の教会の美穂さん そして東京におられるお母さんと食事をした後  新宿バスタから 帰りの高速バスに

乗りました。往きは交通事故があって 1時間半ほど渋滞しましたが 帰りはほぼ 解消してスムーズ。ただバスは

満席で 隣に若いフランス人夫婦が座っていました。そこは外国人担当の ガイドですから 挨拶から始めて 色々

会話をしました。フランスでもドイツに近いストラスブール 出身で ご主人はパテシエ(ケーキ職人)でやはり

日本のケーキに関心があるらしく 又ナイフを買い たい思いがあって スマホで検索していました。京都に行く

というので(高知なら私も刃物店を知っていますが・・)同じくスマホで その店を検索してあげました。

(スマホは便利 !)京都錦市場にその 店があることが分かり 感謝されました。 始めての出会いですが 

色々お役に立てるのは ガイドの 本望です・・!? 

 

 もしスキーが出来たら 大喜びの状景ですね・・。

 

新潟駅に着いた時 駅前で 蒼井優ちゃんの大きな広告を見ました。新潟出身かと思ったら 違いました・・。

会津若松と言えば 鶴ヶ城 ! 日本の観光はお城と その歴史でもっている・・? 

もう何年前でしょうか ? 大河ドラマ 八重の桜がありました。 会津若松でも人気だったと思います。

戊辰戦争の最中 官軍と会津藩が戦った 会津戦争。高知(土佐)からも多くの兵士が参加したようです。

この墓は 土佐藩士のもの。 確か37名のお墓があるとか・・。 

ちょっと前に戻って 山形県鶴岡に近いあつみ地区に面白い舟の形をした路の駅。しゃりん

そのあつみの特産 ? 『 ボクたち しあわせ・・ 』 にはちょっと苦笑・・?  

色々な食事を頂きましたが 鶴ヶ城近くのレストランで食べた 厚切りハムサンド他は 美味しかった !

これは旅館で出た 野菜の天ぷら。 やはり地産地消に限りますね・・。

最後に泊まった 会津若松の旅館。キレイで料理も良かった !!

年期の入った いかにも旅館といった風情。

刺身は馬刺しでした。

これは 朝食。

 

 

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会津若松 鶴ヶ城 !

2019年07月18日 | 自然 花 写真

   (    会津若松にある 鶴ヶ城。 幕末の戊辰戦争では一ヶ月に及ぶ戦いがあった。 昭和40年復元。)

  

会津若松に来たのは始めてです !? 高知城のガイドを初めて 戊辰戦争にも興味を持つようになりました。

江戸城の無血開城がありましたが 幕府軍の兵士は西軍(官軍)に抵抗し 逆に武力討伐を狙っていた 西郷など

薩摩 土佐 長州軍(新政府軍)は錦の御旗の元に攻め上げていきます。

 

以前大河ドラマ 『 八重の桜 』 で有名になった? 会津戦争の砦 鶴ヶ城ですが 私は高知(土佐)の

ガイド?として 明治維新期の戊辰戦争の様子をもう少し知りたいこともあって 旅の帰りに会津若松に立ち寄った

次第です。

会津若松の駅に荷物を置いて 鶴ヶ城まで歩きました。魚の目の痛いところは我慢して 旅は歩きが基本 と

頑張って歩きました。多分この日は11000歩は歩きました。途中西軍(官軍)の墓所があり 薩摩や土佐 か来て 

戦乱の中で散った兵士達のお墓が並んでいました。戊辰戦争では白虎隊の話しが有名ですが 敵軍であれ 同じ

日本人の兵士を快く祀ってくれていることに感心しました。ちなみにこの時西軍の総大将は 板垣退助でした。 

 

相変わらず 雨が続いていますが 雨の合間にバイクで動いています。少し体調が悪く 風邪気味ですが 明日は

美子さんがフラのレッスンを兼ねて 東京へ来ます。私も又高速バスで新宿へ出て ランチを共にする予定です。

 

 

そんな訳で 1593年に完成した七層の天守閣ではありません。往時の城は明治政府の命令で取り壊された。

鉄門。 高知城にも同じ名前の門があった。 木の扉に鉄板が打ち付けられている。

左 野面積み(のづらづみ)の石垣と 右切り込みはぎの整った石垣。私の得意分野です・・?!

大岩の表面を削り 石と石の隙間を合わせ 頑丈な岩の壁にしている。ペルーのクスコと同じ。

天守閣から見た 鉄門と千飯櫓。 城内は広く 茶室などがあります。

戊辰戦争の様子を描いた浮世絵。

会津戦争。 西軍の前で降伏を申し入れる 松平容保。 京都所司代を勤めたこともある。

西軍(官軍)の総大将は 土佐の 板垣退助。 自由民権運動のリーダーでもある。

有名な飯森山での 白虎隊の自刃の図。

お城のスケールは大きい。 堀も高知城より 広く 深い。 1ヶ月の戦いに 持ちこたえた。

五層の天守から見た会津若松の風景。遠くに見えるのは会津磐梯山 ?

高い石垣と広い堀。

狭間(さま)から敵を狙い 銃を撃つ 兵士の像。

会津若松市の花は 立葵(たちあおい) 道理で駅前などかしこに 立葵が咲いていました・・。

 

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 日本には 多くの素晴らしい風景や料理 文化が残っていますね・・。

2019年07月16日 | 自然 花 写真

( 山形 志津温泉で頂いた 山菜中心の夕食。 手前の焼いた若い竹の子が柔らかく 美味しかった。)

 

忍野へ戻って 富士山にまだ一度もお目にかかったことはありません。忍野も梅雨真っ最中で 朝方まで雨が続き

今も深い霧です。去年は大雨と猛暑でしたが 今年は日照不足と低温の7月です。東京など関東圏は去年の10% 

山梨でも20%しか日照が無く キュウリ、ナスなど野菜が順調に育たないそうです。山梨でも 桃やぶどうなど

果実にも影響がありそう・・。スーパーでキュウリが一本100円でした。

 

世界でもアメリカ、中国は洪水で被害があり 特に中国 遼寧省では信じられない大きな竜巻があり メキシコでは

雹(ヒョウ)の洪水 ? ヨーロッパでは猛暑 フランスでは45.9℃という信じられない記録です。でも気象庁が

発表した2100年の天気予報では 日本でも40℃越えは当たり前になっています。猛暑で有名な熊谷ではフランス

並みの45℃にもなるとか・・? 風速80mのスーパー台風が上陸とも? 80年後 異常気象が当たり前の気候と

なり もう人間が住みづらい環境になっているかも・・? 

 

今起こっている異常気象は偏西風のうねりのせいだと言われます。蛇行が大きく 地域により南からの猛暑北からの

寒気に影響されるようです。TVでも日照不足で プールに人が集まらず 干物が乾くことなく 果物は色づき悪く 

糖度が低い。スイカには病気(炭疽病)が起こり 収穫量が下がっているそうです。 太陽の有難みを感じる話しです。

 

さて話しは変わりますが 旅の続きです。幸い東京に戻るまで 良い天気に恵まれました。山形から一旦 新潟へ出て 

福島県の会津若松に向かいました。初めての経験ですが 阿賀野川に沿って山中に入る磐越西線が仲々良かった

ですね・・。未だ雪のある会津磐梯山を見ながら 阿賀野川がこんなに水量豊富で 長い川だとは知りませんでした。

 

列車の旅の良さも感じました。朝日連峰というのか 越後平野を抜けると列車は山の中へ入っていきます。一応快速

でしたが 各駅停車とほぼ同じ。途中ラーメンで有名な喜多方を通りながら 2時間半程かかって目的の会津若松に

到着しました。その間の阿賀野川沿いの風景は 深緑が美しく 仲々の絶景でした。福島には只見線という更に素晴ら

しい鉄道線があるそうですが 奥が深い感じがします。

 

ついでに ? 高知の塩たたき。 高知を出る時 名残で頂きました・・。

ついでに ?  焼いた太刀魚のお寿司 ! 高知にも美味しい物が多いですね・・。

さあ 会津若松に着きましたが  その前に 新潟から磐越西線の風景を紹介します。

越後平野は 米どころ。稲穂が成長して 緑が深くなっています。

山が近くなって 心が落ち着く風景です。

これが 阿賀野川。 アーチ型の橋も ときどき見えます。

魚を釣っているボートでしょうか のどかですね。

駅舎に のうぜんかずらです。

山有り 川有りで 又来てみたい風景です。

旅館にあった 独特のひな人形。 こんな文化もいいものです。

月山 最後の名残の雪渓。 これはもう雪山登山ですね・・。

  

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  新潟~山形への旅 3

2019年07月13日 | 自然 花 写真

 

    (  記憶に残る 雪渓。 これなら夏スキーも可能です。右側が月山頂上です。)

 

月山の雪渓に驚きましたが 元々この地域は日本有数の豪雪地帯。標高は1984mですが 日本海からの

季節風が月山に吹き寄せ 膨大な雪の斜面になるそうです。人を寄せ付けず 神の住む地として 古来信仰の

聖地となっています。私たちの行った湯殿山にも 行者風の人々がグループでやってきていました。 神域には 

写真も 靴履きも許さない厳しさでした。 人々は厳しい自然の中に 神の存在をみるようです。 

 

スキーに縁がなかった私は 今年初めて夏スキーを楽しむ人々を目の前にしました。私にとっては恐い雪渓も

彼らにとっては楽しみのスロープでした。私たちのグループの1/3も 雪渓をものともせず 百名山の一つ 

月山登山を達成しました。 ブナ林を歩き ウグイスの声を聞き お花畑を楽しみ 頂上の360度の

パノラマを味わう山男が実際にいるんですね・・。 山の恵み 自然の恵みを100%あずかった人々です。

私も近くそのお裾分けを頂くことになっています。

 

一歩間違えば命を落とす そんな厳しい面も持つ自然ですが 1400年前の昔から 山岳信仰の聖地として 

自然と人間との交わりが始まってきたようです。出羽三山の宿場町 志津温泉で1泊しました。長い年月を

かけて降り積もった雪が地下にもぐり 天然温泉となると紹介にありました。美肌の湯 ともありました。

確かに月山は火山帯に属し 温泉と深い関わりがあるのでしょう。更に言えば山菜 川魚 山の肉(猪)など

月山の雪の中に育つ命を頂けるのもうれしいことです。月山竹の子の柔らかさ こごみやゼンマイの山菜料理 

子持ち鮎も珍味でした。ここに地酒がつけば 長い夜も豊かな一瞬(ひととき)ですね。

 

通常7~8月は130種以上の高山植物が咲く季節です。今回姥が岳のお花畑を見ることが出来なかったのは

誠に残念ですが 又の機会を楽しみにしたいと思います。月山の山麓はブナ林としても有名で 多くの人々が

トレッキングを楽しむそうです。秋の紅葉シーズンには 全山錦絵、、。 稜線が真っ赤に染まるそうです。

 四季折々の美しさを見せる月山ですが 又の機会が与えられることを祈って 鶴岡の駅に向かいました。

 

出羽三山の信仰者グループ。 

若者達のグループ。歩いて登ってきました。昔の修行者のイメージですね。

1000mを超える高地では まだつつじが美しく咲いていました。

はくさんちどり です。

高山植物の しょうじょうばかまです。 姥が岳(うばがたけ)のお花畑では もっと盛んに咲いている ?

 

トウギボウシ。 大型のギボウシです。

鬼百合の変種 ?

ひさし振りに 松葉菊の群落です。

タンポポの群れ。

私たちが泊まった 山形志津温泉 まいづるやです。

旅館の周りに 結構バラの花が咲いていました・・。 

旅館の咲に小さな沼がありました。

新潟県村上辺りで 又地震がありましたね。 私たちが車から見た ブルーシートの屋根。

 

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  月山登山 !?

2019年07月10日 | 自然 花 写真

 

無事忍野村に入りました。霧が深く立ちこめた夜の7時過ぎでした。新宿から高速バスの富士五胡線に乗り

約2時間 富士山駅に到着 そこから荷物もあったので タクシーで自宅へ。運転手さんにこの冬の 様子を

聞きました。幸い今年は雪は少なかったようです。4年前の大雪の話しになりましたが 120年来最大の

降雪と言っていました。丁度あの時兄の葬儀と重なったので 私にとっても大きな思い出になっています。

8ヶ月振りのマンションでしたが 何事もなく電気 水道 TVなど使えて ホッとしました。

 

さて 今回の月山登山は17名の参加でした。 以前ピースポートで知り合った黒井サンが毎年主催する

月山登山に3年連続で参加させてもらいました。最初の年 鳥海山が夕焼けに美しく照り映えて感動したのが

印象に残っています。山の天気はどう仕様もないですが 偶々好天に出会うと今年も又という期待が高まります。

 

いつもは山形県の鶴岡で集合するのですが 今年は新潟の黒井さん宅に前泊させて貰い 皆で鶴岡に向かいました。

途中先月地震のあった村上を通りました。山が崩れていたり 住宅の屋根をブルーシートで被って いる所が多く

見られました。天変地異の恐ろしさを感じます。今回の登山で驚いたのは残雪の多さ 雪渓の 多さでした。

月山は春スキーで有名な所だそうですが 夏になっても雪が解けず 結構多くの人々がスキーをかついで登って

きていました。スノボーの人々もいました。アイゼンなど持たない私たちは目一杯に広がる雪を見て ただ唖然・・?

 

去年も少しはあり こわごわ歩きましたが その比ではありません。結構 慣れている人々の中であきらめる人が

出たので 私も当然あきらめて 別のルートを行きました。でもどの道も雪で覆われ 滑りやすく これ以上挑戦

していると 高齢者の無謀な山登りとふんしゅくを買いそうで 皆もあきらめて 下山することに。そんな訳で

姥が岳のお花畑を見ることが出来ませんでした。月山頂上まで 登った人に花の写真をお願いしたので いつか

紹介することにします・・・。

 

下のPに車を停めて 歩き始めました。 リフトに乗り上駅へ。

駐車場に車を停め 歩き出したところです。

この辺りは 全く問題は無かったのですが・・。

リフトに乗り 上駅へ。 足元にはニッコウキスゲなどが咲き さい先良いスタートでしたが・・。

少し雪渓が見えましたが 皆さんで記念写真を撮って さぁ行くぞ- と気合いが入っていました。

最初の木道には 雪もなく 進むことが出来たのですが・・。 

最初の休憩地点 姥が岳休憩所。 前方に雪渓が広がり こんな筈ではなかったのに・・? 

それでも 最初は 足元に注意しながら ゆっくりと進みました。

姥が岳へ500m。 しかし こんな急傾斜の雪渓では 滑りやすく 抱えてもらう人も出て・・・。

一方 夏スキーを楽しむ人もいて・・・。

やはり このコースはスキー客の為のものだと 納得? して 下山をしました。

麓近くで撮った花を紹介します。 ニッコウキスゲ。

タニウツギ。 ピンクの可愛い花です。

マンネングサ? 

 

 

 

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  七夕の夜  新潟 山形 福島の旅が始まりました !!

2019年07月07日 | 自然 花 写真

      (    今日は七夕、 子供達が色々な願いをこめて 書いていました・・。)

 

今日は7月7日 七夕ですね。 今新潟にいます。新潟の空は白い雲が多いですが 青空も見えます。

今夜食事に出た時に 空を見上げてみましょう。 きっと佐渡に流れる天の川が見られることでしょう?

4日の夜 高知を出てから4日 ひさし振りのブログ更新です。この間 東京ー新潟ー山形を経て 再び

 新潟です。本当は今夜遅くても会津若松に泊まる積もりでしたが 進行上少しずれて明日会津若松に入る

 ことになりました。旅にはそんなハプニングがあります。改めてその辺りはお話するとして やはり旅の

順序として 高知からスタートさせましょう。

 

それにしても 出発前の1週間は雨続きでした。正直折角の月山登山が雨では・・という心配がありました。

ところが 出発の4日 雨は止みました。いつもの夜行バスで高知 はりまや橋から出発しました。その前

しばらく高知を留守にするので 高知の名物 かつおのたたきを頂くことにしました。評判のいい店を聞いて

いたのですが 仲々見つからず 思い切って初めての店に入りました。少し洋風の感じはありましたが

出て来る料理は仲々見栄えもよく 美味しかったです。土佐の肴は大したものだと感心しながら頂きました。

そんな訳で バスの中ではいい気持ちで 早々に眠りにつきました。旅は明日に備えて休むことも大事ですね。

東京は曇りでしたが 雨は降っていないのが良かったです。わずか一時間待ちで今度は新潟行きのバスに

乗りました。埼玉 群馬を通って 関越道を進みました。残念ながら美しい山々を見る事は出来ません

新潟に着く頃には 青空も見えて来ました。この日は新潟県の巻という所にお住みの友人宅で 1泊させて頂き

ました。月山登山に参加する何人かが厄介になりました。最初汗を流しに大衆温泉 『 じょんのび 』へ

行きました。のんびり ! という意味で 露天風呂もこった造りで 情緒がありました。有り難いですね。

 

その夜は奥様手作りの料理に地元の酒が入り 盛り上がりました。年代は60代=70代 最高齢は喜寿の方

(私より1つ上・・)で まぁ皆さん人生経験豊富ですから 色々な話しが出て 面白かったです。明日の朝が

早いので10時には切り上げましたが 明日の志津温泉の宴会が楽しみとなりました・・。 続く

 

 

高知からJRバスで東京 新宿へ。

バスタ新宿 いつも混んでますね。 

新宿は高速道路の街。 

東京を出ると 曇ってきました。 山々は全く 見えません・・・。

もう越後へやって来ました。 関越道 群馬から新潟へ。 残念ながら 山く見えなかったので・・?

越後平野は米どころ。 田んぼの稲穂 一面の緑 美しい風景です。

      

群馬から新潟に入り 魚沼を通って 新潟駅へ。 そこから南に11駅 越後線に 巻という駅があります。  

 

 

写真は急に飛びますが・・、 我が家の夢宇もお見送り !?  最近ウサギの気持ちが少し分かるように

なりました。 結構寂しがり屋で 甘えてくることが 分かりました・・・。

ついでに ひろめ市場の風景も・・。

高知は やはり カツオのたたきです !   中でも塩のたたきが 美味しい !!

七夕が やってくると もうよさこい祭りも 近い・・・。 帯屋町でも練習に余念がない。

高知城天守から 詰門まで、 全て重要文化財 !!  4ヶ月後に又お目にかかります・・。

      

土佐藩のヒーロー  山内一豊(やまうちかつとよ) 

      

そして今年の よさこい祭りのポスター。 一応高知の観光ガイドですので・・。

  

 

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    明日から 山形の月山へ 行きます。

2019年07月03日 | 自然 花 写真

 (  今朝 久し振りに朝陽を見ました。 グランドゴルフの途中で雨が降って来ましたが・・。)

 

 

7月に入りました。去年の西日本豪雨を思い出せる九州を中心とした大雨 もう梅雨というシトシト感を 超えて 

ゲリラ豪雨 異常気象の範囲に入っています。 気象庁は『 自分の命は自分で守る 』 ように言っています。

年金というか 老後の生活についても政府は同じようなことを匂わせています・・? 『 自己責任 』 の時代に

入ってきた・・ということですね。

 

まだこれからしばらく降り続くようで 私の山形行きも怪しくなっています・・? うまく四国山脈を超えられるか

どうか 去年西日本豪雨により土砂崩れで崩落した高知自動車道の橋がようやく昨日復旧し 片側1車線で通行

出来るようになったのですが 九州程でないにしろ 大雨が続く四国山脈を越えられるか 少々心配している

ところです。ここ数日降り続いた雨で 被害が徐々に出ています。500mm(50cm)の雨も 川の下流 

合流箇所などでは 数メ-ターの高さの濁流となり 倒木やゴミなどと重なって市街地にあふれてきます。

大きな被害にならないことをただただ祈るのみです。一方ヨーロッパからは熱波が伝えられています。今年も

異常気象の年になりそうな予感で つら~い夏になりそうです・・。

 

いつものように夜行バスで東京へ出てから 新潟に向かいます。新潟はお天気はまずまずのようですが 先日の

地震の影響はどんなものか 新潟の村上を経て 山形の鶴岡へ。ここも地震で液状化現象のあったところ。駅前

集合なので まさに液状化した駐車場で皆さんとお会いし 今年も月山へ登ります。雪渓などは無理しないで 

お花畑など散策に留めたいと思いますが 出来れば2年前のように美しい鳥海山などを眺められたらと思いますが

期待薄ですね・・。その後福島の会津若松まで行き 鶴ヶ城を見て来たいと思っています。高知城のガイドを始めて

3ヶ月 お城への興味が増し 戊辰戦争など土佐藩も参戦した歴史の跡も見てみたい思いです。

 

その後は例年のように 山梨県忍野村に入ります。今年は紅葉の10月末まで居る予定です。今は便利な 世の中で 

忍野村の天気もスマホで知ることが出来ます。残念ながら富士山は見えず 黒い雲が山頂を覆っています。今年も

富士山の山開きがありました。富士吉田口から2万人が登山をするそうです。週末は大混雑ですね・・。 そんな

訳でしばらく高知からお別れですので 今の高知の花をお届けします。雨の止んでいた昨日鏡川土手を歩いて撮った

ものです。

 

 

カンナ。きれいですね。

ひさし振りに 白粉花(おしろいばな)。

鬼百合。今年初めてです。

千日紅(せんにちこう) 高知ではあまり見ることは出来なかったのですが・・。

牡丹臭木。赤いつぼみとピンクの花。

藪萱草(やぶかんぞう)。別名 萱草(わすれぐさ)。 漢字として同じですね。

野に咲く百合です。 上の萱草も同じ百合科です。

アガパンサスの花です。

この後 木槿(むくげ)の色々を紹介します。 ピンクの八重です。

ムクゲのピンク。

薄いピンクのムクゲ。

白いムクゲ。

ポピュラーなムクゲです。

 

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