(長崎市内を出て 荒れる海を観光フェリーが進むときは ほぼ諦めていましたが 上陸出来ることになった。)
旅の3日目は 軍艦島観光です。雨風が厳しい中 半分上陸はあきらめながらの
出港です。 港で多くの人々が 簡易のレインコート(200円)を買い 雨を避けます。
万一?上陸した時 傘は使えないのだそうです。(構造物破損の危険がある・・?)
長崎港桟橋から 船で40分 長崎半島を南下し 高島に立ち寄り 軍艦島(通称)へ。
半島の先端近く 約4.5k離れた海上に 2015年世界文化遺産となった軍艦島があります。
正式な名前は端島(はしま)です。護岸コンクリートで島全体を囲い 高層の鉄筋住宅が
立ち並ぶ外観が 軍艦に似ていたので 軍艦島(ぐんかんじま)と呼ばれるようになりました。
端島は炭鉱の島です。 途中立ち寄った「 高島 」も三菱財閥所有の炭鉱の島です。
江戸時代後期から石炭が発見され 明治23年 三菱が島全体と鉱区の権利を買取り
本格的に石炭の採取が始まりました。端島の石炭は良好で黒いダイヤと呼ばれ 日本の
近代化を支えました。富国強兵 殖産興業のスローガンで進められた日本の産業革命に
燃料 製鉄用原料炭として 製鉄 造船分野の近代化に大きく貢献しました。
多くの労働者が島に住み込みで働きました。最盛期昭和35年には 5300人もの人々が
この島に住みました。限られた空間に多くの人々の住居があり 人口密度も東京の9倍。
南北480m 東西180mの島の半分は鉱区 残りの土地に社員寮 学校 病院などが建て
られました。建物は当時として珍しい高層ビルで 私たちも7階建ての高層アパートを
見ました。小中学校 映画館 パチンコ店 公衆浴場 商店など所狭しと建っていました。
後で8月の上陸率は高いと聞きましたが 奇跡的に上陸出来 大変喜びました。世界遺産の
観光地として 観光客船が多く来ていました。この雨の中・・でもです。 ガイドさんの
話し上手に 聞き惚れながら 3つある見学広場をまわりました。
護岸擁壁。 小さなコンクリートの柱は 石炭積み込み桟橋。 8月は比較的波も静かで 上陸出来る確率は90%とか。
下の楕円形が 私たちの上陸桟橋。 人々がいるところが 第一広場。
ガイドさんを囲んで 200円のレインコートを着て 説明を聞く。 人口は最盛期5300人。
日本最古の高層7階の団地アパート。水は当初海水を蒸留。 電気も最初は自家発電。かまども石炭焚きだった?
排気口や電気室 機械室などあった。 もう閉山になって40年以上たっているので 破壊も進んでいる。
写真で見る 社宅、映画館など 桟橋の反対側。 鉄筋構造の10階建てもあった。
1960年代 エネルギー需要が石油に変わり 1000mの炭鉱ではコストがかかって。ここも坑道の入り口らしい。
黒いダイヤ と呼ばれた 良質の石炭。
模型で見る 石炭貯蔵所。貯炭場から石炭の積み込み。
1974年(昭和49年)閉山し 無人島になった。
桟橋に反対側。既に40年経っていますが 立派な社宅だったことが伺えます・・。
雨も上がり ガイドさんに3人の記念写真をお願いする。バックは 7階建ての住宅
雨も上がり 観光も終わり 船に戻る。
海上に浮かぶ 軍艦島。 これからも観光で訪れる人々も多くなるでしょう。 上陸出来る確率は8~9月。