ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

 朝夕の冷え込みで紅葉 黄葉が 鮮やかになってきました。

2020年10月29日 | 自然 花 写真

( アメリカ楓(ふう)か (台湾)楓 ? 大木で オレンジ色が映えてきます。) 

 

改めて 生命の歴史について考えてみたい。なぜ地球だけに生命がいるのか ? 何故そう肉体的には大きく

ない人間が 地球の支配者になれたのか ? 考えてみれば不思議である。今生物多様性が失われ 生態系が

壊されつつある。それは人間も含めて 生命の危機である。今回のコロナ禍も生命体同士の生き残る為の戦いに

見える、弱肉強食の生態系の現象とも言える。或いは今までに無い生態系の危機かも知れない。生命とも言え

ない ただ1種のウイルスで世界が混乱する事態になろうとは・・? 


                                                              。
生命の誕生 約40億年前 原始の海で アミノ酸が化学変化して原始バクテリアが発生 生物の共通の祖先で

ある生命(細胞)が誕生。 原始の地球環境は生物に有害な太陽風や紫外線が常に地球に降り注ぎ 海の表層部

や地上では 生物が生きていくことは困難でした。未だ海中にも大気中にも酸素が無く 海底の嫌気性生物が

主役でした。約27億年前鉄分が磁気を放出して 地球を包む磁気圏が出来 太陽風の影響を受けなくなり

ました。

お陰で 海面近くで生きていける光合成生物(シアノバクテリア)による光合成が活発化し 二酸化炭素

(CO2)を消費 大量の酸素が海水に供給されるようになり 嫌気性生物は死に酸素呼吸を行う生物が進化し 

繁栄していきます。又酸素は鉄分と反応し 現在の鉄鉱床になります。大気中に酸素の放出が始まったのは

20億年頃からと言われます。

 

大気中の二酸化炭素(CO2)は海水に溶け込み 化学反応を起こして 石灰岩が形成され 大気中の二酸化炭素

(CO2)濃度は減少していきました。大気中の酸素濃度が上昇 6億年前にはオゾン層が形成 有害な紫外線を

吸収 生物の陸上進出が可能となりました。5億年前には植物 4億年前には動物が陸上進出。現在の地球に

近づいてきました。私達が今問題にしている石炭は当時繁殖したシダ類が地殻変動で地中に埋まり 化石化した

もので 石油と共に化石燃料と呼ばれます。3億年前には森林が増え始め 酸素が増え 植物が巨大化 ジャン

グルが地上を覆った時代がありました。 

 

この間にも全球凍結とか 火山活動 地殻変動のような動植物の大量絶滅の時期が何回もありました。気候変動

もあって 古代からの生き物は死に 新しく は虫類から恐竜が現れ 地球上の生態系のトップに立つように

なります。そんな中でも小型のほ乳類が登場 恐竜におびえながらも 樹上や穴の中で暮らすようになります。

一方でゴンドワナ大陸が分裂し 現在のアフリカ 南アメリカ オーストラリア 南極などの元になる大陸が

出来てきます。1億4千年前には大西洋が生まれ 被子植物 一般に花と呼ばれる種子植物が生まれてきます。

有名なティラノサウルスのような巨大恐竜が繁栄する前に 古代の花が咲いていたのですね・・。

 

6600万年前 恐竜の大絶滅が起こります。小惑星がメキシコユカタン半島に衝突 地球が大火災となり 恐竜が

絶滅したのです。この後 ほ乳類が進化 森林が広がり ようやく人類の祖先である霊長類が出現してきます。

でも本当に親指ほどのちっぽけな小動物でした。徐々にほ乳類 霊長類も進化 草原の広がりの中で現在の馬や

鹿などの祖先も現れてきます。二千万年前の話です。人類の最初期は700万年ほど前に過ぎません。300万年前

頃地球は氷河時代に入ります。猿人による道具の使用 原人による火の使用はまだまだ先の話で 今は消滅した

ネアンデルタール人が登場したのは20万年前 そして現生人類ホモ・サピエンスの登場も ほぼ同時期となり

ます。

 

なんと長い時間がこの地球上にあったことでしょう。長い40億年の生命の内20万年とは 1日24時間の

わずか23分に過ぎず 大晦日の除夜の鐘のちょっと前に現生人類が現れたことになります。その間多くの生命

が生まれ 死んでいます。それは自然の変化に対応出来なかった故です。今地球上にいる300万種の生物は

非常に多様です。でもそれらが非常に短い時間の中で死んでいく危険があります。絶滅危惧種がどんどん増えて

いるからです。生物多様性が失われ 生態系が失われていくのを 黙って見ている訳にはいきません・・・。 

 

銀杏の葉も 黄葉が進んでいます。 まだ実のついている枝もあります。

 

柿の実も熟してきています。 実はこの木のあるお宅は空き家で 主は居なくても実は熟します。 

せんだんの大木も 黄葉してきています。 実が付いているのが 分かりますか ?

これらの木々がある鏡川。 サギも多くなってきています。堰で待って小魚を狙います。

ススキ か 荻(おぎ)かも知れません。 荻は湿地に群生します。 見分けは難しい。

南京はぜ(なんきんはぜ) 紅葉が美しい。 白い実がなっている。

これは ハナミズキ。

道ばたに マーガレットが植えられていたので・・。

ホトトギスも 少し臈長けてきました・・。

秋明菊(しゅうめいぎく) ようやくあちこちで見られます。

 

 

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 ミカン狩りに行きました。  ウイルスとの共存 !?

2020年10月26日 | 自然 花 写真

(  初めて ミカン狩りに行きました。高知では有名な 山北のミカンです。 )

 

『 地球の危機 』というのは 数十年前には単なるお題目だった。あまりにもテーマが大きすぎるため

日々の生活に追われる一般の人々には 政治家や学者に任せておけばいい というところにあった。しかし

地球の危機 生命の危機は個人レベルに来ている。今回のコロナ禍で マスク 消毒 検温は当たり前の

日常になった。自粛は外出が制限されるだけでなく 人々の心まで制限した。経済への影響は深刻になり

生活できない人々が増えてきた。女性の自殺が増えているそうだ。子供を産まない女性も増えている。

少子化が更に深刻になりそうだ。企業への影響も大きい。絶対と思われていた航空業界が今大変で 

空の旅も大きく変わるかも知れない。日本経済の落ち込みは年金生活者 生活保護家庭にも影響が出て

くるだろう・・。

 

しかし生産 輸入 販売力は落ちても 私達の生活商品は スーパーにあふれている。今こそ地産地消 

地元の商品を買おうという動きもある。地域経済を盛り上げようと色々な取り組みがある。地方自治体の

自主的な動きも目立つ。ライブが駄目なら オンラインで、対面が駄目ならリモートで デジタル化の

勢いも加速される。レストランもテークアウト 出前、配達に力を入れだしている。ロボット、ドローンを

使うなどAI技術の進歩もある。 困難、試練に出会って 人間は工夫し 克服する才を持っている・・。 

 

別の見方もしたい。たった一種のウイルス 野生生物に寄生していたウイルスが人類に宿主を変えただけで

この大騒ぎだ。世界の感染者は4000万人を超え 死者は112万人になっている。アメリカはまだ日々

5万人の感染者だし ヨーロッパは再びロックダウン 再度引き締めを計らなくては為らないほど感染者が

増加してきた。以前から冬期 乾燥の季節はウイルス感染が増えると言われ ノロウイルスの新たな感染者も

出た。 これは国家の安全保障問題でもあり、自然環境問題と言ってもいい。生命の誕生とほぼ同時期から

いるというウイルスを絶滅させることなど 如何に科学 医術が進んでも無理だろう。せめて 各々のウイルス

への特効薬 ワクチンで感染を弱め 防ぐことしか人類には出来ない。それだって大変な労力と資金が必要だ。

 

新聞記事で ブラジル元環境大臣が語っている言葉が目にとまった。『 コロナ流行は植物や動物など別の命が

地球上に存在し 環境を共有し形成していることに注意を促してくれた。深刻な大惨事を免れることが出来る

のか 文明の終わりを迎えるのか 見通すのは難しい。コロナ禍の克服には 共感し合うことが必要だ。』

私達は これからも 『ウイヅコロナ(With Corona)』の時代を生きることになりそうだ。少しでもウイルス

の影響を弱めるには山間地域を維持し 森林を増やすこと、 浪費や金儲けの為の開発を止め、ウイルス 

微生物 野生生物の生活環境を維持することではないか ? 何より人類だけの繁栄を考える政策を改め 

生態系 生物多様性を守っていく国際的な取り組みが必要です。環境は一国だけの問題ではないですから・・。

 

生態系とは森や海など あるまとまりを持った自然環境、そこに住む全ての生物が構成される空間を言います。

簡単に言えば 自然の或るまとまりです。人類は最初『森の生態系』に居て そこから『草原の生態系』に移り

さらに都市 村という『人工的な生態系』を作って生きてきた・・と言えます。 でも大きく太陽エネルギー、

空気、食物、 生ゴミを分解してくれる微生物などを必要としています。勿論 公園や庭の植物 小鳥 水鳥 

家畜 犬猫などペットとも共存しています。そこにも食物連鎖という弱肉強食 食う 食われる関係もベースに

あります。ただ家や工場 建物 道路 車など人類が作り上げた人工システムが 元にある生態系を見えにくく

しているのです。

 

人間の活動自粛で 環境に良い面があった。夜空の星が見えた、運河の水がきれいになった、大都市の空気が

澄んできたなど・・、 これを一時的な現象に終わらせてはいけない。二酸化炭素(CO2)を含む温室効果ガス

を2050年を目標に排出ゼロにすると 政府はようやく重い腰を上げた。 世界の流れです。私達高齢者は既に

この世にいないでしょう。しかし今年生まれた子供達が30歳の時 今のようなきれいな空を 川を 緑を

見ることが出来ると思うと とても幸せな気分になります・・・。

 

農園の入り口。相当山の中へ入りました。 自宅から 1時間15分くらいでした。

天気が良く ミカンが黄色く 輝いていました。

時間制限無しの食べ放題 ? なので 次々と口に放り込んでいきます・・?

手前のかごは お持ち帰りよう。 

季節ですね・・。 赤とんぼが 周りを飛んでいます。

初めて見るような ミカン畑。 今 出荷の最盛期です。

ゴーツーキャンペーンで 入場料は半額 ! 500円が250円でした。

皆さん 5k~10kgを取って 買いました。k300円だから 決して安くありません。

明日出荷するのでしょう。軽トラに包装して積み込まれています。 小ぶりなのが多い。

途中の紹介が遅れましたが 山北とは高知市の東 徳島方面に向かう 香南市の山中にあります。

途中土讃線の線路を見ました。香川県から高知県へのJRですが 単線に驚きました !?

周りは園芸ハウスが多く 農業が盛んです。

 

 

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  牧野植物園の花 特集 !! 今日は一日雨の予報です。

2020年10月22日 | 自然 花 写真

(  おおおにはす(大鬼蓮) の花です。植物園ならではの花ですね・・。 )

 

明日は霜降(そうこう)。草木に冷たい露が降りる頃を寒露(かんろ)といい 10月8日頃でした。

霜降は霜の降り始める頃ですが 確かに急速に朝晩涼しさを増してきました。南国高知は昼間は25℃程で

北海道に比べると10℃程違います。お陰でグランドゴルフなども楽しめますが 夜は部屋の温度が22℃

くらいになり 電気ストーブをつけるようになりました。全国的に気温差が大きいです。 

 

前回 生物多様性に危機がおとずれていることを 湯浅さんの投稿を通して 紹介しました。今地球に何が

起こっているか ? 環境問題という言葉が新聞にもよく出てきます。自然災害が起きて 自然の恐ろしさを

知ることが多いです。東京の調布市で道路が陥没しました。これは自然災害?とは言えませんが 地下に空洞があり

地下水が流れていることも自然であり 地下を次々と工事(開発)した事も原因 ?と言われます。大気 海中

だけでなく 地中まで人間の開発が延びている・・。将来は地下都市の構想もあるとか・・? 宇宙ゴミも大きな

問題となっており 宇宙軍 宇宙法まで作る時代となってきた。人類の支配・利用欲はどこまで広がるのか ? 

 

日本学術会議の6人の任命拒否問題が 今マスコミで賑わっている。この世で余りにも人間が起こす問題が多いので 

ただ環境問題だけについて発言しようとある時から思うことにした。ただ新聞を読んでいて 『 違う意見から新しい

見方が生まれる、 その多様性こそが学術の本質だ。』 と東大基礎生物学の教授が発言しているのを聞いて 生物の

世界も多くの生き物がいてこそ 豊かな自然がつくられ 私達はその中に生かされている と改めて思った。

 

将来人間中心社会で他の生き物は無用 動物園とかペット程度しか生きられない世界では 人間も又生きられなくなるのは

自明のことです。人類だけが100億にもなる未来は 他の生物を邪魔者扱いする社会になるのではないか? 折しも熊が

市街地に現れ 人間を見ても逃げなくなっているというニュースがあった。山里から相当離れているにも関わらず えさを

求めて現れる・・、その結果は殺処分だ。この繰り返しがこれからも続く。更にアメリカでは人種差別が問題になっている。

自己中心の発想がどんどん差別を広げていく。戦後のリーダー国であったアメリカが劣化していく様を見るのは 悲しいですね・・。 

 

先日から紹介している 鍾馗水仙(しょうきすいせん) 黄色い彼岸花です。

地味な感じですが 水引(みずひき)です。 忍野村ではよく林道に咲いていました。

秋の実りは 柿 栗だけではありませんね。 キーウィです。

色鮮やかな カラスウリ。花もユニークですが 秋を感じる一枚です。 しもやけにきくそうです。

これも季節外れの あじさいです。 色はまだ鮮やかです。

まだ咲いていた 木槿(むくげ)。 この花を最初に見てから もう5ヶ月たっています。

さきしまふよう というそうです。 すこし小型。 この芙蓉を見て もう4ヶ月です。

ピンクの秋明菊(しゅうめいぎく) 今年は余り見る機会が無かった・・。

釣舟草(つりふねそう) いつ見ても面白い形。

桔梗(ききょう) この花も秋を感じる・・。 でも6月から咲いているようです。

秋と言えば やはりススキが風になびくシーンでしょうか ? 

手前のオミナエシは 秋の七草。ススキもそうです。 枯れ尾花など晩秋を感じさせます。

赤とんぼではありませんが  春は蝶 秋はトンボ という私だけのイメージです。

もうサザンカが咲き始めました。 花辞典では 10月10日から咲き出すそうです・・。

 

 

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  喜寿を感謝 !  美しい 多くの生き物が住む地球を 次の世代に !!

2020年10月19日 | 自然 花 写真

( 牧野植物園で初めて見た 黄色い彼岸花 鍾馗水仙(しょうきずいせん) )

 

無事『喜寿』を迎えました。 77年は長い歳月です・・? バイク免許も3年貰ったので 

高知の自然の中を巡って 神様が与えた 地球というエデンの園を大切に守り 次代につなげたいと

思っています・・!  

 

前回の続きです。湯浅一郎さん(NPO法人ピースデポ代表)の投稿の主たる部分は 下記のところです。


『人類が利潤と効率性を優先させる経済活動を拡大させ 際限のない開発を続けることで 生物多様性を減少させ 

今回の感染症を引き起こさせたといえます。自然を征服の対象と考え 科学技術の発展を背景に無制限に開発を

進めてきた現代文明こそが コロナ禍を招いてきたのです。

コロナ禍は急激に生物多様性を減少させてきた現代文明に対する自然からの警告と言っていい。』

 

今大切な事は 生物多様性を維持すること。多くの動植物と人類が共存する自然界を守ること。

絶滅の危機にあるのは人類だけではなく 動植物も又危機にあることを地球の管理者である人間が認識し 

生物世界(生物多様性)を守る 元の地球へ戻すことです。 それは人類による開発をどうするか? 

持続可能なシステムをどう実現するか ? 動植物の住処である森林や海など自然をどう維持するかです。

人類中心の『浪費的な経済活動』に戻るだけなら 感染症の温床を再生産するだけです。生物の多様性の減少を

急激に進行させてきたのは 人間活動であるという現実をしっかり理解することです。

 

自然が奇跡的に回復してきた今こそチャンスととらえて 生物多様性の保全 回復を日本の目標にする為に 

SDGs(エスディージーズ)持続可能な17の目標を今一度 しっかり見つめて 行動に移すべき時です。

日本のエネルギー自給率は8%少々です。石油 石炭 天然ガス全て輸入ですね。化石燃料によるエネルギー

供給の結果 二酸化炭素(CO2)排出量の86%以上がこれら化石燃料です。2010年に比べて2016年の温室効果ガス

排出量は減っていません。 地球温暖化対策の後進国と言われる由縁です。 

 

如何に化石燃料に頼らない社会を作り上げるかが 持続可能な社会に向けた重要な指標です。2030年を目標に 太陽光

エネルギーなど再生可能エネルギーを主力電源化して 二酸化炭素(CO2)を排出する非効率な石炭火力発電を縮小

すること ピーク電力を削減し 消費電力量の少ないLEDなど省エネ化を進め 需要を抑制すること 節電・省エネ意識を

高めることです。

* SDGs(エスディージーズ)とは 人類の英知で 持続可能な開発システムを2015年に決定し 世界が実行するように

求めています。今いる動植物みんながずっと地球に住み続けられる社会、みんなにとって幸せな未来にするために 世界の

人々が考えた17の目標です。

 

リコリスとも言われるそうですが 普通の彼岸花に比べ すこし遅く咲きます。

トリカブトの仲間です。 蔓で伸びるようで はなかずら では? 

拡大してみると トリカブトの仲間であることが 分かります。 

じょうろうホトトギスと言います。ホトトギスの仲間ですが こんな名前がついてます。

上臈(ジョウロウ)とは江戸時代の大奥などの女中の役職で最高位。この花の気品から・・。

サルビア レウカンタ と言います。 よく家庭の庭でも見ます。

栗ももう実りの時です。 

紹介が遅くなっていますが キンモクセイです。よい香りがします・・。

今年初めて 小紫か ? 

すだれ擬宝珠(すだれぎぼうし) すだれのように 連なっているせいでしょうか ?

野原でアザミを見る機会が 減りました。 そういえばシュウメイギクもあまり見ない !?

アザミも種類が多く ここでは 野アザミにしておきます・・。

雨上がりの夕方 鏡川のある 西の空は 真っ赤に ! 東の空には 虹が出ました !

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  コスモス特集    コロナ禍の真の原因は ? 

2020年10月15日 | 自然 花 写真

( 新聞でも紹介された 高知鏡川沿いの堤防に咲く 秋桜(コスモス)。)

 

新型コロナと文明 (1)   湯浅一郎さん(NPO法人ピースデポ代表)の投稿に寄せて。

 

新型コロナ禍は一つの感染症に留まらず 社会全体のあり方を問う重大事になっています。誰しもが今年はいつもと違う

日々を送っています。一国一地域でなく 世界中がこのコロナ禍に影響され つらい思いをしており 中世のペストや

第二次大戦、100年前のスペイン風邪のような惨状です。先日の高知新聞の投稿で コロナ禍の真の原因を考える投稿が

ありました。それを参考にしながら 今なすべきことを考えていきましょう・・。


                                     
国境封鎖 都市封鎖 営業停止 学校休業 大小様々な催しの中止 家庭での自粛 3密 マスク 手洗い 消毒など社会の

有り様が全く変わってしまった。私も5月の京都行きを中止 この11月にも再度企画していますが これもどうなるか分かり

ません。出来るだけ人の集まる所には行かないように 短時間で話を済ますように心がけています。 ヨーロッパは明らかに

第二波が来て アメリカも21万人の方が亡くなっています。そんな中で日本ではGO TOキャンペーンが人気を呼んでいます。 

しかし 多くの人々の移動が 更なる感染拡大になる心配は消えていません・・。

 

韓国で外務大臣の夫がアメリカでヨットを買い セーリングを楽しむ『自由』に批判が出ているとか・・? もう我慢できない

人々が増えています。私達は個人の自由、権利 経済(開発)の自由を重んじる社会を作ってきました。今年はあくまで一時的に

皆が納得して 自由を制限してきました。経済の破滅で死ぬ人々も出てくることから 徐々に経済再開 元の生活に戻して経済を

上向きにし 医療体制も壊さず 社会を回していこうとしています・・。

 

大きく言えば『現代文明』が問われています。動物が仲介する病気で毎年70万人が亡くなっています。 今年だけでなく 

将来もパンデミックが起こる可能性があります。人類の開発が彼らの住処 環境を壊しています。 鹿 熊 猪 コウモリなどが

人間の生活区域に入ってきていますが 人類の社会が拡大して 開発で森林が少なくなり ウイルス 微生物 野生生物の世界が

縮小し その数を減らし 生き残るために 人類社会に接近しているといえます。

 

一見人類は人工的な都市だけに住んでいるかのようですが  私達も生態系の一員である動物の一種であること、他の動植物が

生み出したものを食べ 植物が生み出した酸素を吸収し 排出した二酸化炭素(CO2)を植物に吸収してもらっています。人間は

生態系 生物が多様にいる自然の中でしか 生きていくことが出来ないのです。都会生活が長くなって自然の恩恵を受けずに生活

出来ている錯覚を持ってます。 逆に自然災害に苦しんで 自然を敵視するような所もあります。

 

もう一歩踏み込んで コロナ禍は 私達が正しいと考えている経済活動を見直してみる必要がある という人々も増えています。

『 コロナ禍は他の生物を減少させた人間活動の結果ではあるまいか? 今800万種と言われる動植物が 今後数十年で約100万種

絶滅する危機にある。』と言われます。人類はコロナ禍で犠牲者 被害者のように思われていますが 地球上の生物界(生態系)では

人類は加害者 独裁者並みなのです。人類が自分のことしか考えず 他の生物の生存危機に意識をもって来なかった・・。実は国連で

決めた 20年までに『愛知目標』を達成するチャンスを失ってきました。 生物多様性の減少が 感染症の危機を広げていることを

心配する声はすでにあったのです。(続く)

* 愛知目標とは 生物多様性の損失に歯止めをかける為合意された 人類と自然が共生する為に実効性の行動を求めた2020年目標。

 

左は自転車道。 散歩道 ジョギングの道でもあるので 快適です・・。

いつも腰をかがめて 朝夕草取りなどしている方がいます。 新聞でも紹介されてました。

自転車道から階段を降りて 川沿いの遊歩道。 花の香りに包まれて 歩くことが出来ます。

黒井さんのメールでも新潟角田山で今 秋桜が満開のようです。 秋の桜ですから・・。

まさに乱れ咲く感じです。 山中湖の花の都公園でも今頃満開でしょう・・?

時々思うのですが どうして植物にコロナは感染しないのでしょうか・・? 

紅葉橋が見えます。私がグランドゴルフに行くとき いつも通る橋です。

白 ピンク 赤 など色とりどりです。

原産地はメキシコ。 7月から12月頃まで。ここ高知では 年中咲いているイメージ ?

確か夏場から咲いていました。その頃はぽつぽつだったので 一つ二つの花を大きく撮ってました。

彩りを変えるため 柔らかそうな 背高泡立草(せいだかあわだちそう)。

こんなに一斉に咲くのは珍しいですが この時期余り高知にいなかったので 正確ではありません・・?

日中暑くはありますが もう30℃を超えることはないようです。

 

 

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 台風一過 ! 秋晴れの天気が戻ってきました !! 

2020年10月12日 | 自然 花 写真

(  旭小学校の秋の運動会 ! なつかしい 玉入れ・・ですね。 )

 

台風一過 秋晴れが戻ってきました。昨日は近くの小学校で 秋の運動会がありました。春はコロナ禍の為 

無かったと思います。父兄も沢山来ていて 応援も熱心で日常に戻った感じでした。私も玉入れや50m走を

応援し 写真も撮りました。教会では礼拝の時 腹話術のお証しもあり 人形の歌声は仲々素晴らしいものでした。

聞けば50年近くのベテランの方でした。東京と違い 礼拝も普通に行えることは とてもありがたいことです。

 

しばらく高知の自由民権運動に熱が入って 地球温暖化など環境問題に触れる機会がありませんでした。新聞は絶えず

チェックしているのですが 今はコロナ問題が中心で パリ協定やSDGs(エスディージーズ)(国連で決定した 地球上の

みんなの幸せのために 世界が合意した持続可能な17の目標)についての報道も少なくなっています。わずかに 災害対応や

危機管理について新政権が 南海トラフ地震発生など最悪のことを考え 災害大国の現実と向き合ってほしいとの提言が目を

引きました。コロナ禍の今こそ 21世紀の日本を 『 総合的 俯瞰的に? 』 に考えてみる必要がありそうです・・。

 

今年のノーベル平和賞に 国連世界食糧計画(WFP)が選ばれました。世界各地に食糧支援を必要としている人々が多く 

今コロナ禍の中で飢えに苦しむ人々が増える中で 今年は1億4千万人に人道支援を強化しようとしているのを評価した訳です。

極度の貧困者( 1日2ドル以下で暮らす人々)が7億人を超えています。世界人口の9.4%で 30年までに3%へ引き下げる目標も

達成困難になりつつあります。先進国でも3000万人の子供が貧困の中で暮らしています。この5月ユニセフは本年末までに貧困に

追い込まれる子供は世界で8600万人増加する恐れがあるとしています。 

 

30年前に比べ学校に通えない子供は半減しています。この30年で 改善された飲料水を飲める人々は26億人増えています。

コロナ禍を理由に後戻りさせないこと 災害発生前より より良い状態にしていく為に行動すると ユニセフは言っています。

国連SDGs(エスディージーズ)の17の開発目標の最初が 『 貧困を無くそう 』です。第2が飢餓をゼロに!です。

世界が頑張っています。国連WFPが80カ国に支援する食料より日本の食品ロスが1.5倍多いという嘘みたいな事実があります。

日本で1年間に捨てられる食品は612万トンに及びます。国際的な連携 多国間協力で解決出来る問題です。国連世界食糧計画

(WFP)の活動が評価されるのは 当然なことですね。

 

今日自動車免許の更新に行ってきました。ゴールド免許を貰いましたが 有効期間が3年なのは残念です・・。と言っても 80歳

では やはり 返納を考えなくてはなりませんね・・? 

 

3密を避ける為か 低学年は朝 高学年は昼と分かれていました。

50m競争! この子が勝つかなーと思っていても カーブを切るあたりから 逆転もあり おもしろい !?

父兄も 子供達を撮るのに 熱心 ! 今年は機会が少なかったから・・。

子供達一人一人が 運動会のために しっかり練習する決意を書いたものです !!

教会で腹話術の証し。 春風まりこさん。人形の善ちゃんの歌がすてきでした。

牧野植物園で見た トリカブトの種類、普通見る山トリカブトとは違いますね・・。

鍾馗水洗(しょうきずいせん) です。 改めて 牧野植物園の花特集をします。

同じ彼岸花科ですから 色違いの彼岸花と言ってもいいですね・・。

鏡川土手に コスモスが一斉に咲き出しました ! 新聞にも紹介されていました。

藪蘭(やぶらん)。 10月いっぱいまで花はありますが 11月には黒い実がなります。

オシロイバナ 今でも夕方にはきれいに咲いてくれます。

黒井さんが送ってくれた 新潟瓢湖(ひょうこ)の白鳥。ここには色々な水鳥が来るようです。

 

 

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  片岡健吉 クリスチャンであり 自由民権活動家  その3  

2020年10月08日 | 自然 花 写真

(  高知に自由民権記念館があります。その展示物から 紹介します。 明治第二の改革とあります。)

 

彼が受洗したのは 43歳の頃で 洋行でキリスト教を知って以来十数年 結構手間取ったとも言える。 慎重な性格で

信仰を持った後で 双心あってはならないと考え 分かるまで宣教師に質問し 話し合い 聖書を読んだ。ノックス宣教師

から洗礼を受けた後は 『 主君に命を捧げる武士のように 忠実な神の僕となった。 安息日を守る為 日曜日は一切の仕事を

休んだ。 宗教談義の他は面会お断り ! という看板を出していた・・ 』 とも伝えている。

 

高知において 自由民権運動とキリスト教が相互に関連し 共に発展を遂げたことはある意味 奇跡と言える。明治中期 

宣教師が各地を訪問し 又自由民権運動も全国に広がったが 高知のように 人口3万に満たない地方都市で 次々と教会が

設立され 又キリスト教の女学校も設立された。今回触れていないが 高知教会に続いて 2年後に土佐教会も設立された。

 

板垣退助が推進したキリスト教の高知への導入は 専制的な薩長藩閥政治に対抗する為に フランス革命の天賦人権説に

基づく自由民権運動を高知で起こしたが キリスト教の根底にある自由 平等 民主主義的なキリスト教精神に共鳴し 

日本に紹介することの意義を彼は認めたようだ。 土佐教会創立に関わった アッキンソン宣教師も最初 板垣退助を

訪ねて キリスト教伝道を始めた。板垣自身は受洗しなかったが その影響力の大きさで キリスト教伝道が整えられた。 

自由 人権を求め闘う立志社のメンバーが 福音と祈りを通して 命の救いに目覚め 多くキリスト教徒になったこと 

又 熱心に福音宣教に励んだことも 当然だったといえる。

 

彼の人となりについては 『 体重20貫あり 堂々としていたが 身なりを構わず 質素で 古びた洋服にわらじばき・・という

感じで 誰にも言葉が丁寧 腰が低く 謙遜な人だった。 日曜は必ず教会の礼拝に出席 どうしても所用ある時は 朝早く教会へ。

この時は羽織袴で 聖書を読み 祈りました。高知教会の長老でありながら 教会の玄関番 入り口の草履を並べたり 初めての人々を

あいそよく 丁寧に案内 こまごまとしたことまで熱心にやった。』 『  高知教会の玄関で信者になった ・・。』 という人も

いたほどで 周りの人々に大きな感化を与えた。 明治天皇に 『 片岡は人望があるなー 』 と言わしめたほどだ。 

 

明治22年欽定憲法が発布され 再び投獄されていた片岡健吉も大赦令で出獄 第一回総選挙で衆議院議員に当選 帝国議会では板垣を

総裁とする立憲自由党が130人を擁する与党になった。 明治31年片岡は衆議院議長就任 在職4年 公平無私 思慮深く 誠実な

議事進行で 4度も議長に選ばれた。 議事進行の前に黙祷 自分が信者であることを隠さない 日本のキリスト教会の誇りといえる

人物となりました。 

 

最後に片岡健吉は信仰の証しとして 『 私が信者になってから 色々な境遇にあい 幾多の困難に出会ったが その都度その困難を

切り抜けて 現在こんなに元気に活動し 激務に励んでおられるのも 全く私の信じるイエス様の御恵みにて 日夜深く感謝している。

見ることも出来ない神と共に歩み 共に起臥し 神の助けにより 自分の本分を守っていけるのも 過去 儒教によって生きていた

時に比べて 遙かに優って 力のあることを証明出来る。 』 と述べた。  (この項 終わり)

 

片岡健吉の貴重な写真です。 受洗前後でしょうか 地味な和服姿です。 

戊辰戦争の頃 京都での土佐藩士。 右端が片岡健吉。まだ当然ながら チョンマゲ姿。

明治4年 海外視察 サンフランシスコでの写真。右端が片岡健吉。皆さん洋服姿・・。

 

彼岸花 ? 狐のカミソリ ? 夏水仙 ?   季節的には彼岸花ですが・・? 

正統派の彼岸花 ? はこんな感じですが・・。

あまりにきれいなので もう一枚・・!

カンナ・・ ですね。 

牡丹臭木(ぼたんくさぎ)。 もう季節は過ぎようとしています・・。

以前不明だった・・。 猩々草 (  しょうじょうそう ) ユーフォルビアとも言います。真ん中が花。

花に近い葉が オレンジ(赤)色に変わる。葉っぱの形もおもしろい。

紫紺野牡丹(しこんのぼたん)。 こんなに多く咲いているのは珍しい・・

この花も 何時が花期か分かりません・・。 半年は咲いています。 エンゼル・トランペット。

お城当番をしていた時 珍しく観光グループに出会いました。

インドネシアとヴェトナムの青年男女。高知で働いています。

 

 

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  10月も咲いている花。  片岡健吉 その2

2020年10月05日 | 自然 花 写真

( デユランタ  明治中期に渡来。本来秋には実がなる季節だが 南国のせいか・・、今もきれいです。)

 

片岡健吉が帰国した頃 彼にとってキリスト教は 立派な道徳であり 近代国家を目指す日本に必要な社会常識の範囲だった。

そんな彼がキリスト教に近づく この上もない機会が与えられた。国会開設建白書の事件で 約1年半 監獄生活 を強いられ 

この間自分の人生について深く考えることが出来た。差し入れが許された書籍を乱読する中で キリスト教の入門書があった。

漢文で書かれていたが 彼は熟読した。心の中に新しい光が差し込んできた。34歳の頃である。神の存在を認めることが

出来たし 海外で多くの人々が祈っていたことも理解できた。しかしイエス・キリストが神性を持っている 神であることは 

仲々理解出来なかった・・。

 

明治11年末 出獄して高知に戻った。もっとキリスト教について知りたいと思っていた頃 板垣に紹介されて 外国人宣教師が

高知に来ていた。当時板垣達が設立した 「立志社」 は定期の演説会を持っていたが その中に宣教師の伝道演説会も加えられた。

毎週数百人が集まった。片岡も熱心に聞いた。外国との関係で 日本でもようやくキリスト教の禁令が解かれ 表向きは宣教師の

伝道も自由になっていたが 事実は干渉や偏見も強かった。異国人の特異さや初めて聞く話に 高知の人々が簡単に受け入れた訳

でもなかった。しかし宣教師達は熱心で 会場での伝道の他に 鏡川の河原に出て 多くの人々に大声で話しかける路傍説教もした。

片岡はその熱心さにも感心した。

 

明治10年の西郷隆盛らが起こした新政府への反乱(西南戦争)が抑えられ 専制化していく薩長藩閥政治に抗して 言論によって

立憲政治を打ち立てる『 国会開設 憲法発布 』の戦いは板垣退助らを中心に全国的な広がりを示した。自由民権運動と呼ばれ 

大いに世論を賑わした。片岡健吉も立志社の社長として 又高知県会の議長にも推されて積極的に活動した。当時の選挙は税金を

納める者だけの有産者に限られたものだったが 世論は多くの自由民権運動家を支持した。

 

国会開設はもはや世論になっていたので さすがの政府も 明治23年国会開設を公布し長い自由民権運動はようやく一つの実を結ぶ

ことになった。明治14年板垣ら全国の同志が集まって自由党を結成し 国民の間にも色々な憲法草案が作られた。全国遊説をして

いた矢先 明治15年有名な板垣退助暗殺未遂事件が起こる。『 板垣死すとも 自由は死せず。』この名言は全国に広がり 第二の

明治維新が 実現するかの状況になったが 政府は集会条例で政治結社の自由を奪い 新聞条例を出し 片岡健吉が社長もしていた

高知新聞も禁止、自由党の機関誌も禁止するなど 言論を圧迫し 政党の動きを押さえつけようとした。

 

高知の県令(知事)が自由主義を信奉する校長や教諭を皆クビにしてしまうなど暴挙もあった。愉快なのは片岡の次男が当時高知中学に

在学していたが 官憲のひどさに抗議して仲間40名と共に趣意書を出し 「退学」 」してしまったことである。立志社もやむを得ず 

明治16年には自由党の確立という使命を果たして姿を消した。その自由党も後に解散となるが 後始末に上京していた片岡健吉に神の

導きがあった。彼が高知へ戻る船上でアメリカ人宣教師に出会い 親交をあたため これが翌年多くの立志社のメンバーが中心となり 

『 高知教会 』 を立ち上げるきっかけとなる。 (この項続く。)

 

彼岸花(ヒガンバナ) 秋分を過ぎても まだあちこちで咲いています。

エノコログサ。 猫じゃらしとも言いますが 緑から金色になるのが 楽しみです。

 

アベリア。 日本名は難しいので省略。 6~11月頃まで咲きます。車道の脇などに見られます。

オキザリス とも かたばみと・・。 黄色い花もあります。クローバーのような葉です。

珍しく今頃咲いていました。本来は春の花。

サフランもどき。夏サフランそっくりに咲きます・・。 やはり南国のせいか・・?

アメジストセージ。ハーブの種類。 これは秋の花ですね。

千日紅。夏から秋に咲くので これからも見られます。群れで咲くのが一般的。

トレニアのピンク。多くは群れで咲かせています。

今が盛りの 玉すだれ。 やはり群れで咲く方が この花らしい・・?

ススキが目立つようになりました。

サルビア。サルビアの種類は多いです。 11月頃まで咲く園芸品種です。

中島町カトリック教会。 明治15年高知で最も古い教会。 建物は戦後のものです。

 

 

 

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  10月です。 片岡健吉 今日は我が家の夢宇( むう )特集です。 

2020年10月02日 | 自然 花 写真

( 中秋の名月 ! 雲が全くありません・・。 気温が下がってきました。 室内25℃です。)

 


片岡健吉の人生も波乱に富んでいます。 高知鏡川に近い上士の家に生まれ 板垣退助とは遊び仲間。

武士になる教育を受け 兵法、武士道の精神を学び 正しい 高潔な人間となるようしつけも受けた。

片岡は板垣と違い おとなしい無口な少年だった。卑怯な真似はしないが 意地っ張りでもあり けんかを

しても 決して降参はしなかった。ペリーが浦賀沖に来たのは片岡が11才の時 日本は混乱し 尊皇攘夷の

戦いが 全国に広まった。

 

片岡は20才で家督を継ぎ 結婚をした。一方相次いで家族を失ったが 人望のある青年に育っていった。

郡奉行 普請奉行など要職を委された。彼は穏健な勤王の志士で 戊辰戦争の時も過激な板垣の副長となり

土佐藩邸も600人の藩兵を送り出した。いわゆる「官軍」の先方隊で 朝敵征伐に向かった。新撰組率いた近藤勇 

土方歳三などと対峙し 敗走させた。会津若松の争いは東征最後の戦いで 片岡は板垣の良き参謀として働いた。

 

鎖国は解かれ 文明開化の時代になった。彼は選ばれて海外視察に加わった。長い鎖国の遅れを取り戻す為 

先進国の有様を見てくる必要があるとの新政府の判断で 大きい藩から2名ずつ選ばれた。早速チョンマゲを

切り落とし 着慣れない洋服を着て 明治4年横浜を出港 アメリカへ向かった。学校 病院 工場 教会など訪問 

見学した。学ぶことが多かった 特に社会福祉の施設や盛んな慈善事業に感心した。日本には その頃そんなものは

少しも無かったから。 驚いたのは その事業を 主にキリスト教徒が やっていることだった。

 

当時アメリカは南北戦争が終わり 自由と独立の機運が高まっていた。片岡達は 生き生きとした 健康的なアメリカ

国民の生活ぶりを一月半かけて視察し イギリスに向かった。産業革命の真っ只中 イギリスはヴィクトリア女王の時代で 

世界最大の国力を誇っていた。丁度その時期 同じ高知から馬場辰猪という青年が留学生としてロンドンに滞在 若い彼から

政治 宗教 経済 社会あらゆるものについて教えられた。 初めて西洋文明に目を開かされたと言ってもいい。 

  
公徳心が溢れている。訪れた家庭でもそうだった。親しみのある 温かい空気が溢れていた。西洋社会の美しい風習の根底に

あるのが キリスト教精神だと 若い馬場辰猪からも教えられ 心を向けるようになった。 海外視察から帰る頃には 

近代社会を目指す日本にも 西洋の優れた文明や風習を取り入れなくてはならない。 その土台のキリスト教も『 輸入 』

する必要があると考えるようになっていた。 (続く)

 

我が家の2代目のムウです。 もう7年半 私と同い年位の高齢者です。

      

       家族に一番可愛いがられている存在です。 この写真は数年前のもの・・。

      

      むう専用の固形の食事もありますが 水を飲まないので 野菜は必需 !

食事を願って 背伸びして待っています。

最近流行り ? の 土下座もします・・。 運動のひとつでしょうか ?

時々 外へ出してもらいます。 なぜなぜしてもらうのが 一番好きなようです。

     

      カメラのひもを垂らすと 口に食えたりして 遊びます。

これはフンをするポーズ ?  手前のトイレを使わず よく怒られています・・。

 

 

やはり外が好きで 絨毯の上を飛び跳ねますが こんな風に 足に絡みついてくることも・・。)     

写真の撮りようで 男らしい野生を感じさせる時もあります。 いたずらして 餌を外された時・・?

     

     後ろ足で立ち上がることもしばしば。 これで何か芸をさせたい・・?

行儀のよい時もあります。時々 何か要求(餌が欲しい・・) があると後ろ足で板を蹴り 音を立てます。

目の周りが 白くなって 年を感じさせる時があります。

やはりこういう時が 一番好きなようです。

 

 

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