( 秋近し ! ススキも穂を伸ばして来ました。 部屋の温度も 28℃に下がってきました。)
コロナ感染への不安 見えないウイルスへの不安。あるコロナ感染者の体験では コロナに感染して感じるのは 孤立感 孤独感
だそうだ。日常が制限される。外出出来ない。人々との交わりも難しい。楽しみを持てない。終息が見えない。長い引きこもりで
コロナ疲れ・・。コロナは人と人を遠ざける。人々が楽しむ機会が失われる。レストランでのランチ 皆黙食だ。砂を噛む思いで
黙々と食べる。楽しい筈がない。家の中でもマスク・・、もう息苦しいだけ。これでは メンタル面の悪影響が出るのは 当然だ !
こんな時 心の中に何か強く信じるものを持つ人は不安やストレスに強いのではないだろうか?『 宗教 』というと 今問題と
なっている反社会的な宗教団体をすぐ考える。日本に健全な宗教団体が多いのに 宗教というだけで あのオーム真理教のような
団体を思い浮かべる。犯罪集団と宗教組織は別物である。今も信じている信者は 洗脳されているという言葉が使われる。宗教は
恐いという考えも根強い。それで言えばロシアのプーチンの一方的な情報操作で ロシアの戦争を正義と思っているロシア人も
同じ洗脳で 宗教だけの問題ではない。
しかし歴史を見ても 多くの人々が心の拠り所として宗教を信じ 信仰を持ってきました。日本人がよく知っている聖徳太子は
仏教を篤く信仰し 『 世間虚仮 唯仏是真 』(世間は虚しい,仏のみが真実)と言い残した。長い時間をかけて仏教は日本に
定着した。 今多くの日本人は外国人からあなたの信仰は?と問われて『 ありません !』と答えるらしい。実家が仏教徒で
あっても 自分は無信仰という。 確かにお寺や神社へは年に1回か2回行く程度だから。 しかし外国ではキリスト教はじめ
イスラム教 ヒンズー教 仏教 或いは道教など多くの人々が信仰を持っている。神仏と結ぶことで 人々は心に安らぎを
前を向く力を得られている。
心の拠り所というか 自分が信じるものをもつことは このような漠然とした不安の時代だからこそ必要だと思う。神と共にある。
キリスト教ではインマヌエルと言います。四国で盛んなお遍路では 同行二人と言い 長い遍路の道のりを弘法大師と共に歩くと
言います。だから途中で行き倒れても 地元の人々が小さな墓石 お地蔵さんなどを建ててくれた。人は生まれる時も死ぬ時も
独りです。でも 神仏はいつも私たちと共にあると思えば 心強いです。
昭和2年 作家芥川龍之介が『 ぼんやりとした不安 』という言葉を残して亡くなっています。金融恐慌が起こる前 軍部の
勢力が増し 満州事変 日中戦争 太平洋戦争と続く 悪夢の時代の始まりです。当時の知識人の中に 漠然とした不安 真に
頼るものがない不安が心に広がっていたのでは・・? 今がそうだと言っている訳ではありませんが 現代の世界も問題だらけです。
えも言われぬ不安 漠然とした不安の中で 人々はどう生きるべきか ? と思うのです。
ムラサキ色の濃い シコンノボタン。 ブラジル原産故でしょうか 鮮やかな色です。
花の虎の尾(ハナノトラノオ) 八王子などでよく見た記憶がありますが・・。
気の毒な名前といつも思いますが・・、 ヘクソカズラ。 馬食わず とも言うそうです。
毎年 電車道に咲く 向日葵(ひまわり)。 日輪草 日車 などとも言います。 花は小型。
以前お話したと思いますが 子供の交通事故があり 追悼の気持ちで 子供達が咲かせている。
酔芙蓉(すいふよう)と言います。 朝は白色 夕方赤くなるそうです。私は枯芙蓉だと。
仲々 きれいな白粉花(オシロイバナ)を撮るのは難しい・・。
朝顔(朝顔) 鮮やかなブルー。 夏の名残りですね・・。
ムクゲもよく見ると 色々なパターンがあるようで・・。
雑草? が生い茂り 道路幅も狭くなっています。鏡川の遊歩道。
エノコロ草。 猫じゃらしとも。 大分茶色っぽくなってきました。
センダンの木。 よく見ると実をつけています。葉も黄色に変わってきています。
2学期が始まる ! 鏡川の水遊びも もう終わりですね。
太陽も相当南に移動。 雲も何となく秋を感じさせます。今月もご覧頂いて 有り難うございました。