(16万トン 4000人のクルーズ船が 上海から高知に来港。 高知市内も賑やか・・。)
敢えて テーマを『 死 』ということにして 人生の終わりについて考えています。
ただ人は死ぬ前 衰弱して 生気を失い 意識を無くしていくのでは・・と思います。
もう何も考えられない状態になっていくのでは・・。そうなれば死に方云々もあまり
関係ないのかも知れません。私の母も最後は人間とは思えないような行動を取ることが
多くなって 本人も自分が何をしているのか そんな自分が不幸なのかも 分からない
状態だったと思います。 だから死に方うんぬんより 今をどう生きていくかに
エネルギーを費やすべきかも知れません・・。
死に方 逝き方とは 本当は生き方だと思います。私が尊敬する一人である 横川先生は
高知ケーブルテレビで 『 高齢者寺子屋 』 という番組で 色々話しをされていますが
聞いていて面白く うなずくことも多いので 多少引用させて頂きながら高齢者の生き方・
逝き方を考えてみましょう。
ある高齢者の川柳に 『 起きたけど 寝るまで 特に用はない 』 というのがありました。
時間が一杯あっても やるべき事が無い悲哀?を この川柳は笑っているのだと思いますが
高齢者になって 無くなるものは ①仕事 ②カネ ③肩書き ④健康 ⑤ふれあい(人間関係)
④情報など 挙げておられますが 私は同時に言葉、笑顔、感謝なども無くなってくると思います。
逆に増えるのは ①恨み ②つらみ ③やっかみ ④嫉み ⑤そねみ の五味(ゴミ)だそうです。
自分の部屋のある人は 自分の周りを見渡して まるでゴミの中にいるように 身の回りが汚れて
きているのに気付く筈と 先生が言われています。 身の回りだけでなく 自分の衣服 身だしなみ
も汚くなってきます。私などで言えば 髭を剃らなくなる。 髪を朝とかさなくなる。いわゆる
ぼさぼさになるのです。一日中パジャマ姿でいるようになる。更に今日やるべきことを後回しに
するようになる。先生が冗談に 高齢者は『今日・行く』(教育)と『今日用する』(教養)が大事と
言います。一日で出来なくとも 今日始めることが大切だということです。
変に説教っぽく 道徳的になることは控えますが 人間は宿命で生まれてくる 命が宿ることです。
命は与えられ 私たちは生かされているということです。 親に 周りの人々に育ててもらって
今 生きているのであって お蔭さまで という感謝の気持ちがまず最初にあるべきなんですね。
高齢者が嫌われる幾つかの理由は 悪口を言う、不満を言う イタイ イタイ!と愚痴が多くなる
ことです。自分は身体を動かさないで(動けないので)全てやって貰っているのに 感謝がない。
それどころか 自分中心の世界にならないので 不平を言う・・ 愚痴を言う・・。
そいうと私のグランドゴルフ仲間は愚痴や嫉み やっかみは無いですね。 競技に熱中していて
相手の好プレーを誉め 失敗プレーにも同情したり 元気づけることです。勝負を競っていると
つい 私など 相手の失敗を喜ぶ気分になりますが まずそんな光景は見たことがありません。
身体も元気で 動いて 悪い気持ちを発散させているからかも知れません。スポーツの効能がそこに
あるのでしょう。私が偉いなーと思う人は 文句を言わず 率先して周りの人々の為に動いている人です。
先生は 『 病気になっても 病人になるな ! 』 と仰っています。心が暗くなって悪い心が出て
来るのが病人だということですね。 心が病むのを 『 病気 』 (気が病む)というのでしょう。
心の持ち様が病気を病人にするようです。先生は85才で 色々な重い病気をもっておられるよう
ですが 気持ちというか 姿勢はいつもピンとされていますね。 学ぶところが多いです・・。
バスで言えば 100台分 !? 皆さん 高知城の桜を見にやってきました。
帯屋筋のアーケードも 久し振りに賑わう。
ひろめ市場は当然です。 皆さん 初がつおを注文。
これくらい入ると お店の人も高知市民も うれしい・・!
三界草(さんかいぐさ)の群落。
多分 紫鷺苔(むらさきさぎごけ) でしょう。 トキワハゼとも似ています。
突抜忍冬( つきぬきにんどう ) 4月の花ですが・・。 暖かいので 早く咲いた !
赤いポピー。 色々な色があります。 風に吹かれています。
花韮(はなにら) 星のようできれい!
今年初めてのシャガ(著莪)
本物の えんどう。
しきみ・・? 仏壇などに供える・・?
夏日になり 子供達も 水遊び。
此所は 私たち旭地区の浄水場。多くの桜が 今見頃。