( お天気が良くなかったのが 残念ですが お城の裏山の紅葉・黄葉の美しい所を訪ねました。)
元気であること 誰しも皆望みます。高齢者にとっては元気で長生きが悲願です。この元気という2文字は元々別な意味
でした。根源にあるエネルギーという意味で 中国の道教で用いられた用語です。私達は命を与えられて この地球
自然の中に生かされていますが その元にあるのは何だろうという 哲学的な問いです。元気とは ? 命を造り
支配する根元となるエネルギーとは ? という問いです。気力というように 元にあるエネルギーを考えています。
何故地球に生命があるのか ? 生命を造る源にあるものは何か ? 宇宙には見えない無限のエネルギーが漲っていると
言われます。見た目には分かりません。最近ブラックホールが写真に捉えられるようになりましたが それ以前は理論上の
話しでした。生命だけでなく 山や海 岩や土に至る 万物を生み出す根元のエネルギーとは ? 生き物は全て細胞から
出来ているといいますが その最初の細胞を造った生命エネルギーは何だったのか・・? と思うのです。そんなエネルギーが
ビッグバーンを起こしたのでは・・と思うのです。
聖書では神が天地を創造し 植物 動物を造り 生命を与えたとあります。人間は土から造られ 命の息を吹き込まれ
人間が生きるものとなったと・・。この命の息が 霊であり 魂であり 生の根元ではと思うのです。霊は人間の身体や
心の中に存在して 人間を神に近づける役割を果たしています。他の動植物は生命があっても 神を意識することは出来
ません。 それは知識と言うより 理性や知性を超えた 人間の心の働きを超えた [意識] のように思われます。
『 そんな霊など無い 』 と人間は身体と心(知性、感性)でこの世に生き 自分達に必要な文明 文化を造って
きました。それが国家で有り 都市であり 開発であり 他の動植物の支配 地球の支配です。神から授けられた
善き管理者でなく 地球どころか 今や宇宙の支配者になろうとしています。それは神から離れ 天地自然を無視する
ものであり 傲慢な思いです。 自然のシステム 宇宙を支配するエネルギーに挑戦して 神の領域に入っていくものです。
その結果自らの足元を掬われる 自然の反乱を生んでいるのが今の異常気象 天変地異では・・と思うのです。 天地を
創造した神様の怒りをかうということでしょうか ?
元気とは無限の光と無限の時間と空間にみなぎるエネルギー。仏教ではこれを仏に例えます。私たち人間には 身体と心が
ありますが これを体力と称すれば 宇宙 天地には気力と呼ばれるものがあります。人間も 気を求めています。気の海
という表現もあります。 生命を生み出すエネルギーが満ちているのです。大自然の力 私たちはその中で生み出され
死後気(霊)が戻る所も 気の海です。神が与えた命の息も 死後命の故郷である 気の海(神の国)に還ります。
今のところ 私の理解はそこまでです。そうした理解の元で 永遠の命を信じています。死んだら終わりではない と
強く思うのです。信仰的に言えば 私の霊は神の大きな霊(聖霊)に導かれて 日々神の御国に 近づいています。
この間お葬式がありましたが 遺族も魂は天国に導かれたのだから 恵みだとも話されて いました。90歳という
高齢故もありますが そういう信仰を共有していることは 心に安らぎが生まれます。神様を賛美しながら 天国の門を
くぐる喜びです。 必ずしも科学的ではないですね・・。 色々ご意見はあるものと思います・・・。
高知は今紅葉・黄葉真っ盛りです。 曇り空ではありましたが 美しい紅葉・黄葉をお届けします。 明日から東京へ出て
忍野村へ行きます。今回の病気・入院を通して 自分の生活スタイルを改める ことにしました。富士山麓への行ったり
来たりを止め 本拠を定めるということです。その手続きに 行きます。一部引っ越しもあるので 家内と一緒に出かけます。
ブログは週明けになると思います。
久し振りの高知城です。 やはりそれなりの人出でした。
銀杏も本格的に黄葉してきました・・。
黄葉した樹木の下を歩むのは 楽しい気分にさせてくれます。
幼稚園児でしょうか 斜面を楽しくすべっていました。
石垣に きれいな小鳥がおりました。 少し分かりにくい・・ですが・・。
きのこが盛り上がって出来ていました。
この季節は 山茶花の季節でもあります。
沼杉、 落羽松(らくうしょう) とも。 この木も黄葉してきました。 県庁前です。
今高知城はよる光のお祭りが行われて居ます。 この卵に夕方から光が入ります。
明日から行く忍野村はもう紅葉・黄葉の季節は過ぎたかも・・・。