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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

ホッカイドーは●っかいどー!の巻

2019-06-01 00:53:00 | 旅行記
とゆーことで2日目。朝9時にホテル出発。
なぜかギャル口調の同い年ぐらいのバスガイドさんに悩まされながら、北上いたします。
 
しかしながら、高速を走ってると、「長万部」とか「積丹」とか、そんなスゲー地名が飛び込んでくるので、なんだかビックリ!
そんなん桃太郎電鉄でしか見たことねーよ(笑)
 
さらに「えっ、雪?」
 
 
そんなに高い山じゃないのよ。
でも、聞くと、ゴールデンウィークにも雪降ってたんだって。
ヘェ〜! 日本って広いなぁ。
シンプルに驚きました。
 
で、ここ。
 
 
ニッカの余市工場🏭
 
おっさん達と視察です。
 
 
ここ、かなり人気で、平日のこの日もたくさんの人出。
 
 
で、ここって、俺、実は入社してたかもってとこなんだよね。
 
35年前か、ニッカの内定をもらって9月1日かなんかの内定式に出たんだよなぁ。
 
 
そして、当時のコマーシャルソングだった谷村新司の「昴」を、内定者みんなで歌った記憶がある。
 
で、それから30年ぐらい経ち、その中に、ビールスタンド重富の重富寛さんがいたことを知りました(^。^)
なんだか縁でございますな。
 
フツーなら同期になるはずだったのちの一流ビール注ぎを、変なホードーブチョーさんとして2年連続で忘年会にお呼びするようになるとは、当時22.23歳だった2人はまるで想像もしなかったわけですな。
 
 
そんなことを思いながらの時間。
来し方を振り返りながら、いろいろと。
 
そもそも俺、マスコミなんて今のとこしか受けてないのよ。
まるで興味がなかった。
 
内定はニッカだけじゃなく、サントリーとかキリンとかもらったけどね。
そういえば味の素とか大日本印刷とか、はたまたIBMまでもらったなぁ。
リクルートなんか内定者合宿で琵琶湖まで行ったわ。なんとなく狩りとゆーか、遊び感覚だったような気もする。
 
当時、造船不況には入るとこで、文学部でもあったし、なかなか辛い就活状況だったんだけど、なぜか僕はうまくハマって、内定取り放題だったような気がする。
 
で、母親に「広島の会社をひとつだけでも受けて!」って懇願され、何の気なしに弊社を訪ねてはや34年(笑)
 
 
この仕事がハマったのかどうかよくわかんないけど、負けず嫌いだけでやりながら、徐々にアジャストしたんだろうなぁ。
 
まあ、悪い人生ではなかったかな。
 
振り返れば、内定を取った数だけ人事担当者にご迷惑をかけてるわけで、ホントにすみません。
四半世紀後、ジンジブチョーさんになった時、そして内定者に辞退された時、割と寛容だったのは実はこーゆー事情です(^^)
 
 
てなことをしみじみしながらの時間。いい施設でした。
 
無料も手伝ってるんだろうけど、別に5000円ぐらいなら払ってもいい感じの施設だな。
 
まあ、この日、すごくいい感じの天候だったからもあるんだろう。
 
 
この貯蔵庫、実は奥行き50メートルあるんだって!
 
こんな感じで。
 
 
なんだかすごくいい感じ。
 
ツアーガイドさんもわかりやすかったしね。
 
 
総じて素晴らしかった余市工場。
ただ無念だったのは、試飲コーナーがあるのに飲めなかったこと。
 
 
この後、広島に飛んでクルマで帰んなくちゃなんなかったんだよね。
 
おじさんも笑ってるね。
 
 
キングオブブレンダーでした(^^)
 
試飲コーナーはこんな感じ。
 
 
3杯も飲めます。香りだけ楽しみましたよ。
 
しみじみするような広告も。
 
 
いい感じのスポット。
こんなのを広島でやるとしたらなにかなあ?なんて考えながらのひと時でした。
 
そして小樽。
 
 
この青塚食堂って、超有名なんだね。
国際色豊かな人々で超満員だった!
 
で、ニシン!
美味いとゆーか、とにかくインパクト十分だよね(^^)
 
 
その後も小樽観光。
 
海鮮丼の高さはよくわかった(笑)
 
 
そして千歳空港の充実ぶりも。
アミューズメントパークに近い!
コレを倣って、俺たちも広島空港の「展開」に乗り出そうかな。
 
そして旅の最後はこんな本を。
 
 
これは悪漢シタクボのためにあるような本だ。
オモロイ!
今度、トーキョーに持って行ってやろう(^^)
 
そして大波乱の旅の始まりにそぐうように、帰りの飛行機も大遅延。
 
 
夜の空港に戻ってきたのは初めてかな。
 
 
そして最後は、この旅を実現してくれた健脚くん。
 
 
ありがとう😊