昔、改元について書いたことがある。
https://blog.goo.ne.jp/19960408/e/ead3b38c57f238411c91ce77b866e9b5
同じ地方紙に抜かれ、ただ政府がそのために元号を変えたって夢だ。
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当時はホードーブチョーさんだったのかなぁ。
もともと「特ダネジャンキー」っぽい人なので、あの頃各社でしのぎを削った「サミット誘致」ネタ辺りが、どこか頭の片隅にあったのかもしれないなあ。
その夢は昭和になった時に実際にあったとされている。
毎日新聞が「光文」に決まることを掴み、特ダネとして報じたところ、「昭和」に差し替えられたという。
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その64年前の悔しさを胸に毎日は再び勝負し、現場は「平成」を掴んだが、編集幹部の判断は「政府中枢に当たれ!」
だけど、当てたら変えられちゃうわけで、現場は「間違いないんです。このまま行きましょう!」
でも、結局見送った。そんな話だ。
その顛末が先日、ヤフーニュースに出てた。
もちろん知ってる話なんだけど、コメント欄を読んで、驚いたわけさ。
なぜならそこはマスコミ批判の嵐。
「そんな競争になんの意味がある!」
「マスゴミのやりそうな事。政府の言うことを普通に報じろ!」
「夜中に取材される身になってみろ。思い上がりだ。パヨクめ!」
いやあ、凄いなあって、シミジミ。
でもね、俺はこうおもうよ。
そんな競争があるから取材のパッションとスキルが維持され、偉い人の立派な物言いを疑うことに真実は宿るのさ。
思い上がってはならないけれど、取材者はすくむことなく立ち向かうべきだと、そう信じるけどね。
明日のお昼には新しい元号が発表される。
抜けるのか、抜けないのか、それはわかんないけど、われわれは最後までその努力をすべきだと思う。
現場を離れた今、メデイアへの逆風が強まる今、さらに強くそう感じるな。
今からでも編集局に上がって、指揮をとりたいぐらいだなぁ(^^)
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そういえば昨日、この人の前に挨拶する羽目に。
直当たりすればよかったかしら(笑)