このバカブログで「HAPPYMAN」としているように、ボクは彼が好き。
http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/a8df4cad0b4e7877c51640c3eaebaa78
もう35年ぐらい聴いてるなあ。
その特集は、4THアルバム「VISITORS」がいかに生まれたか、にフォーカスしている。
1984年6月リリースのこのアルバムは、前年に渡米した彼がニューヨークで編んだもの。
元春の「転機」そのものとも言える。
それまでの彼の作風とは違い、それは前衛的にも攻撃的にも思え、違和感と反発とともに迎えられたんだよね。
で、話は、1984年の夏に遡ります。
ロス五輪の年。
映画「ターミネーター」が封切られ、日本が男女ともに世界最長寿国になった年。
ロス疑惑があり、グリコ森永があり、投資ジャーナル事件があった年。
高度成長期から混沌の時代に、そして狂騒のバブルに歩を進め始めるころだね。
そんな時に大学三年生だった僕。
NYに留学していた一回り上の従姉妹の誘いで、八月末だったかな、彼の地に渡ったんだよね。
渡航費はひと夏のバイト代で捻出。
サンリブっていうスーパーで、果物や野菜を売りまくった。
後の就職試験で、特技はと聞かれ、「スイカのたたき売りです」って答えた覚えがありますね。
前年、大韓航空機がソ連の戦闘機に撃墜されたこともあり、大韓航空のチケットは格安。
往復で15万8000円だったかな。
HISとかない時代だから、十分にお得感はあったよね。
そしてNYへ。
1か月ほど従姉妹んちに居候したわけです。
基本やることがないわけだから、ひたすらマンハッタンを歩き回った。
最初はフィフスアベニューやらタイムズスクエアやら。
「ティファニーで朝食を」を気取ってみたり、セントラルパークをジョギングしてみたり。
次第に大胆になり、グリニッジビレッジからブロンクスへ。
80年代のNYってメチャクチャ(だったらしいw)。
地下鉄で、よくこんなヒトがいたなあ。
深夜のハーレム近くのゲーセンで、「ギャラガ」だったか「ゼビウス」だったか、とにかく段違いのハイスコアをたたき出した俺。
「マーベラス!」って、ギャラリーの喝采を浴びたことがありますな。
もう日付が変わるころで、店は数十人の黒人と俺だけ。
危険にもほどがある。
(今のNYのゲーセン。安全そうだw)
思い起こせば、ホントにバカだったなあ。
うちのセーネンにしたりげに何かをたれる資格は、なーんもありゃしませんね。うふふ。
そんなころ、ウオークマンで聴きまくったのが、リリースされたばかりの「VISITORS」だったのさ。
「TONIGHT」とかを口ずさみながら、夜の街を彷徨っていたわけですね。
いやあ、俺、何がしたかったのかな。
もしあるとしたら、ただただ「街」に触れたかったんだろう、彼のように。
そして、あれから35年経っても、「街には何か転がってる」って信じてるもんなあ。
ただただ飲み歩いてるって声もありますが。うふふ。
そして話は変わるんだけど、佐野元春は自由な人であり、強靱な人だ。
「SOMEDAY」でようやくスターダムに駆け上がり、
「BACK TO THE STREET」でその地位を確固とした時、
彼はこう言い放つ。
自分を信じ、これまでの自分に恥じない行動をするってのが彼の本質なんだろう。
揺れたり、ぶれそうになったりしながら、あえぎながらも前に進むわけだ。
そんな彼は時折、社会にメッセージを放つ、
決して声高ではないけれど。
震災であったり、オキナワであったり、安保であったり。
ジョージ・オーウェルが当局による監視と統制の社会を描いた小説「1984年」。
元春はまさにその年、「VISITORS」を世に問うたわけ。
そして今回、少し恐ろしげに映る法案に、彼なりのスタイルで疑義を唱えている。
表現者として、それは譲れないラインなんだろうな、彼にとって。
翻って、われわれはどうか。
法案は別として、日々の暮らしの中で、ちゃんと自分の頭で考えているか。想像をめぐらせているか。
いや、他人事じゃないな。
俺は自分に誠実に生きているのか。恥ずべきことはないのか。
33年前のNYを、ひたすら喧噪を歩き回ったJBOYを思い起こしながら、そう問いかけてしまう今日この頃ですね。
マジメか、俺。
追伸
元春が座ってるセントラルパークのこのベンチ辺り。
1984年晩夏、韓国人の八百屋で買ったピーナツをリスにあげるのが、21歳の僕の日課でした。
ずっと生産性のないことをやってきた自分を褒めてやりたい。