宮沢喜一さんが亡くなった。
私の周りには、それなりの関係性を築いていた人間が何人かおり、
それぞれに様々な感情、感慨を抱いていたようだ。
私にも多少そういった思いがある。
「歴史」を体現した人って感じでしょうか。
面と向かってお話ししたのは数度しかないが、
元総理はいずれも事務所のソファに深々と座り、よどみなく喋った。
サンフランシスコ講和条約とか、「キッシンジャーがねえ」とか、
歴史教科書の世界のお話が次々に繰り出されるのである。
英字新聞が無造作に机の上にある光景は、
「知の巨人」ってイメージを醸し出していた。
そんな宮沢さんで思い出すのは、森政権末期のこと。
官邸に招かれ、森総理から財務相続投を乞われた彼。
総理執務室から出てきた宮沢さんにみながぶら下がり、
受諾したかどうか尋ねるわけなんだけど、
彼は「そうした用向きの話はありませんでしたなあ」とさらり。
一路、公用車で財務省へ。
それでも念のために、と、走って追い掛けたのが当時の私(笑)。
で、財務省の玄関で、宮沢さんの口をついて出たのは、
「総理のお言葉でもあり、お受け致しました」。
おいおい、と(笑)。
この辺は解説が必要なんだけど、
要するに彼は、
いつも自分を追い掛けてくれている財務省担当記者(財研さん)に
花を持たせたかったんでしょう。
官邸で囲んだのは、
あくまでふだん付き合いのない官邸詰めの記者さんだから。
しかしながら、そんなに人が割けない私たちには、実に酷なお話でありますな(笑)
という風な、「情」の人(?)でもあった彼。
もちろんハト派の重鎮でもある。
ダチたちがその肉声を綴ったのがコレだ。
興味がおありの方は、ぜひご一読を。
小泉さんが登場する直前、
わが世の春を謳歌してらっしゃったのが亀井静香さん。
常々、「俺はハトを守るタカだ」とおっしゃってました。今も言ってるけどね(笑)
それは多分に、同じ中選挙区でしのぎを削った宮沢さんを意識した言葉なんだけど、
聞いてるこっちには、かなーり響いてきた。
歴史を体現する元総理と、
その瞬間は現職総理(森さん)を差し置く存在で、次代の総理を狙う最高権力者。
それぞれの人生や価値観の交錯を感じる瞬間だった。
話しているうちに、どんどん位置エネルギーが下がり、
最後にはソファに横座りとなりそうになる宮沢さん。
時々、お行儀悪く、●●を掻く宮沢さん。
病み上がりで、心が折れかけた当時の私には、まさに「巨人」でありました。
ご冥福をお祈りします。