HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

あれから10年、の巻

2024-08-20 15:54:24 | 事件モノ

77人の犠牲者を出した広島土砂災害から今日で10年。

 
現場責任者だっただけに、さまざまに思う。

 



前夜、日付が変わる直前まで仕事してて、流川に繰り出そうとしたんだよなあ。
すると、行きつけの店から(ブラッスリーワカノさんなんだけど)、「ひどい雨なので、今日はもう閉めます」と。

で、帰宅。
しかしながら雷鳴がとどろき、「こりゃ、やばいな」と。
未明、会社に上がったのでした。

明けぬうちに現場に行きたがる奴らを止めるのが、最初の仕事だった。
「明るくなるまで入るな。俺たちが負けるわけがないんだから」
そんなことを口走ったのを覚えてますな。

そこからは、この人が書いてるような、こんな具合だ。


 

【潮流】「アンテナ」と涙 | 中国新聞デジタル

 山肌を土石流がえぐっていた。近づくと重機のうなりが聞こえ、押しつぶされた家々が目に飛び込んでくる。73人が亡くなり、1人が行方不明のままの広島土砂災害。傷痕は...

【潮流】「アンテナ」と涙 | 中国新聞デジタル

 

 

根を詰めて働いたなあ。
あの頃は夕刊もあったしね。


朝刊の作業が終わる午後11時ごろに「今日もよくやってくれた」と、皆の奮闘を労う。
そして、そのまま翌日の夕刊の紙面建ての会議だ。

心がピりついて眠れないから、クールダウンのために飲みにいく。
翌朝9時ごろ、赤い目で出社する。

そんな一切休みなしの生活が2カ月。
よく倒れなかったと思うけど、気力は充実してた。
「やらなきゃ!」って思ってたなあ。

まあ、その1年半後には倒れるんだけどwww

2014年8月29日のブログ記事一覧-HAPPY-GO-LUCKY!

 



そんな仕事の結実が、例えばこれだ。
 





そしてこれも。





被災地で奪われた命と暮らし。

そこに生きておられた証を残したい、と、皆が動いてくれた。


これはその頃の仲間たちだなあ。





今もツレだけどね。


その冬だったかな。

奴らが忘年会用に作りやがったのがこれ。





今も私のデスクの後ろに鎮座しておられます。


 

泥棒に遭った!の巻

2024-08-01 18:40:00 | 事件モノ
暑いねぇ。


39度だってさ。





マジかと。





加計は暑いんだよなあ。




そんな日はいろんなことがありますって話。


立ち回り先に寄って、帰宅。

するとそこから電話があったよ。


「トイレに忘れられた財布が届きました!」って。

慌てて取りに行きました♪

「いやあ、よかったなあ。やっぱり日本はいい国だなぁ」って。



で、お店のスタッフから「念の為、中身をあらためてください」と言われてね。


で、あらら?

ありゃ、スッカラカン!



見事に現金が抜かれてました〜。

ふだんはあまり現金は入れてないんだけど、この日ばかりは多少は。まあ、5.6万だけどねえ。

で、奥さんの推理。

「お店に届けてくれた方は善意の人で、その前に悪い人がお金を盗ったんじゃないのかな」

さすがである!
きっとそうだ〜。


ワンコたち、これが泥棒の指紋が付いた財布だよ〜



ひとまず心を落ち着けましょ。
新しい財布、買おうかな🤭



そんなこんなあっても、奥さんは美味しいご飯を用意してくれます。

今日はしゃぶしゃぶ。



幸せな日々です。

で、こんなエピソードもありました♪


「世にも奇妙な物語」!の巻 - HAPPY-GO-LUCKY!

「世にも奇妙な物語」!の巻 - HAPPY-GO-LUCKY!

さまざまに転機の春。小生もまた、新しいことにチャレンジするわけだ。ただ、基本的に引っ込み思案の小生はいろいろとオドオドw「まあ、物事は形からだよね~」ってことで...

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送別会の季節の始まり、の巻

2019-01-31 21:17:13 | 事件モノ
社内で内示があり、送別会の季節がやってまいりました。
まあ、異動まではまだ一カ月もあるんだけどね(^^)

で、ムダに知己が多いので、送別会に呼ばれることもまた多い。

この日は、主に事件の現場を共にした「戦友」が主役。



痩せたら琴欧洲の異名を持つこの大男、多くの闘いの中で、ボクを支えてくれました。

その中でも最も印象に残るのが、これだ。



2000年の5月3日、それは起きた。



まさに不眠不休で勝負したなぁ。



毎晩、日が変わるまでギリギリの闘い。
抜くこともあるし、抜かれたことももちろんある。

神経がピリピリしてるからクールダウンに飲みに出て、2時ごろに帰宅し、朝7時にはまた仕事に出る。

そんな日々が一カ月以上続いたわけだけど、その中で「主任捜査官」だったのが彼だ。

事件のほぼ三カ月後、心筋梗塞で死にかけたボク。
心臓が一時停止した時の断末魔の悲鳴を、手術室のすぐ外で聞いてくれたのも彼だ(笑)

いやあ、つくづくお世話になりました(^^)

昔話をしながら、人は増えていきます。
みんな、一緒に闘ってきた仲なんだよなぁ。



そして最後は2人で我が家に。



これからもいろんな闘いが待ってるでしょうが、ずっと応援してますよ。

うんうん。



それにしても、「平成の30年を振り返る」的な番組だと、取り上げられる事件の大半をリアルエピソードで語れてしまう。

そんな自分につくづく呆れ、しかしながら少し愛おしく感じる今日この頃ですな。

ホントにお世話になりました、の巻

2018-04-09 14:07:45 | 事件モノ
「俺の8割は岡村さんで出来ている」とは、小生のよく言うフレーズ。

職業人としての覚悟や手練手管の多くを教えてもらった。
見よう見まねでその背中を追いかけてきた。

そんな先輩がこの春、仕事のキャリアを終わられる。
「祝おう」と山口までやってきたわけだ。

一部のマニアにはたまらないスポット。



一の坂川を上った場所にある。



さあ、始まりだ。



まあ、何度ここで飲んだろうか。



武勇伝、失敗談、熱い話、冷徹な計算に基づく戦略。

話を聞くのが楽しくて、ついつい杯を重ねてきた。

いろんな現場をご一緒した。
無茶もやった。



さまざまに思いがこみ上げ、挨拶の際、この薄情な俺も言葉に詰まり、つい語尾を震わせてしまった。

そんな自分に驚いた。



エピソードは売るほどある。
達成感に包まれたものもあれば、苦いものも。

ただ、言えるのは、大将とご一緒した20代半ばの3年間以降、彼の生き方はずっと俺の指針になり、いろんな岐路の際に「大将ならどうするかな?」と考えたものだ。

とにかく、「人の心」を動かす記者だった。



そしてその後ろにはいつも、岡村さんの奥さんの姿があった。

ありがとうございました。

そんな風に自分はなれなかったけど、まだあと数年はある。

少しでも、大将に近づけるよう、前に進んでいきたい。

そう感じた夜だった。


あれから一年…の巻

2015-08-20 23:16:20 | 事件モノ

あれから一年経ちました。

こんなことを言うタイプじゃないんだけど、なかなか全身全霊で取り組んだ日々だったなあ。


こんな奴らを支えることだけが仕事でした。




「お父さん、帰ってこなかったよね」。



ころっけがそう言い募ります。


それにしてもみんな、ホントによくやってくれたよねえ。




特にコイツら。




さあ、もう一踏ん張り。

そして今夜はやりましょう。少ししんみりした夜になるかな。