『日本古代史に「不思議と謎」は多い、そこに関わっていたのは「海人族」だが、歴史の表には、登場せず?』
この古代史に年代を入れると、「出雲王朝(BC18年頃~)⇒邪馬台国(3世紀~)⇒大和朝廷(3世紀後半~)⇒朝廷・京都(5世紀後半~)と神宮・伊勢(江戸時代~)」となり、出雲王朝が圧倒的に古い。
古代史の流れに卑弥呼・邪馬台国の記録はなく、そのことの理解が難しく『この時代は「不思議と謎」が多い』ことからも、古代史の中に『卑弥呼・邪馬台国の記録がないのは意図的』としか考えられない。
日本人は、3ルートから、西は対馬ルート、南は沖縄ルート、北は北海道ルート渡来で、太平洋の西端の日本列島に(極一部は米大陸へ)留まり定着・混血という、奇跡!』
海と山を駆け抜けた海人族

ウエブ情報から引用
縄文海人集団の超人的なパワーと渡海能力
日本古代史を理解する上に重要なことで、最近、知った「海人族」まだまだ不明点が多いのですが、放ってはおけませんので、自由に何でも、想像できるこの時代です。 日本神話から続く日本古代史には、とにかく『不思議と謎』が多く、興味津々で調べてみます。
海人族の海の名残の風景

ウエブ情報から引用
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』も『海人族』については、このような導入です。
『この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2021年9月)
正確性に疑問が呈されています。(2022年3月)
出典検索?: "海人族" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL』
海人族(かいじんぞく、あまぞく)、海神族(わたつみぞく)は、弥生文化前期の主力を担ったもので、航海、漁労など海上において活動し、4世紀以降は海上輸送で力をつけることとなった集団ならびに氏族。
系統と分布
海人族には様々な仮説があるが、研究は進んでいないことから明確ではない。
朝鮮南部海岸の海人系
朝鮮南部海岸には多くの加羅国式の船の残骸や青銅器が発掘されていて、巨大な勢力の海賊が存在したと推測されている。文献に記録されていないが、朝鮮南部海岸で漁業をしていた人々が勢力化し、海賊集団が結成され日本列島に渡ってきた可能性があるという。
インドネシア系
黒潮に乗って縄文時代に日本列島に渡ってきた南島系の種族の可能性がある。日本列島では沖縄県・鹿児島県・宮崎県・和歌山県南部・三重県・愛知県・静岡県南西部などの県に数多く住んでいたと推測されている。
インド・チャイニーズ系
中国南部の閩越地方の漂海民に起源を持ち、東シナ海を北上、山東半島、遼東半島、朝鮮半島西海岸を経由し、玄界灘に達したと推定される。
越族近縁説
宝賀寿男は、安曇氏、和邇氏、尾張氏、三輪君系(賀茂氏、諏訪氏、守矢氏、宗像氏、上毛野氏、下毛野氏など)に代表される地祇系の氏族であり、中国の江南沿海部の原住地から紀元前に日本列島に到来した種族であるとする説を提唱した。
また、百越と日本語はオーストロアジア語族の言語との類似性が指摘されており、百越がハプログループO1b系統に属していたとする見解がある。主として筑前・肥前の沿岸地域に居住し、水稲耕作農業を行い青銅器を使用し、倭国の弥生文化前期の主力を担ったものであり、航海・漁労に優れた能力をもつ人々と推測される。
日本神話から日本古代史はロマンと、不思議と、謎で、満ち溢れています。
(記事投稿日:2025/03/08、#990)