『「目から鱗」傘寿+3になってやっと知った江戸時代の
貨幣制度と一両の価値(江戸時代vs現在)』
『2024/12/15日経紙文化欄の「金(かね)」と「銭(ぜに)」
の違い』
昔から時代劇が大好きで、テレビ・映画を夢中になってみていました。 歴史の書物もよく読みました。 中央公論社の日本の歴史・全26巻中の 15巻 『大名と百姓/佐々木潤之介(著)』 などは、江戸時代の大名の禄高や貨幣制度も知らず、この一冊は退屈で文字を数えるようにやっと読み切ったしんどい記憶がありました。
この度『2024/12/15日経紙文化欄の「金(かね)」と「銭(ぜに)」の違い』で、江戸時代の貨幣制度がかなり理解できました。 これからのテレビや映画の時代劇が楽しみになりました。
江戸時代貨幣制度
ウエブ情報から引用
仁平勝氏のエッセイ『2024/12/15日経紙文化欄の「金(かね)」と「銭(ぜに)の違い』からの抜粋引用です。
金貨には、大判、小判のほかに二分金と一分金があった。 小判一枚の一両が基準で、二分は一両の半分の額になる。
銭貨の方は単位が文で、通貨としては、四文銭と一文銭が一般的。 四千文で一両になる。 これほど価値が大きく違うと、江戸時代の感覚では『金(かね)』と『銭(ぜに)』はいわば別物と考えていたのかもしれない。
金貨のままでは、使い勝手が悪いから、銭貨に両替するときは『銭を買う』といった、これは別物の感覚。
『江戸っ子は宵越しの銭は持たない』といったが正しく、『宵越しの金は持たない』という人もいるが、これは江戸時代の意味からすれば間違い。
『小金をためる』といえば、それなりに貯金のあることで、『小銭がない』といえば紙幣しか持ってないということ。
『日銭を稼ぐ』という場合は、その稼ぎは多い額ではない。 『宵越しの銭』も要するに『日銭』。
『銭』の文は少ないことに使う、『一文もない』、『二束三文』、『三文文士(面白くない小説書き)』、『三文判(重要な書類には使わない)』。
明治になって両という単位が円に変わった。 物価は単純には比較できないが、通説では一両は十万円くらいといわれる。 明治時代の一円は、諸説あるが現在の一万円ぐらいといわれる(当初は金貨であった)。
『銭(ぜに)』は『銭(せん)』に変わり、百銭が一円になり、銭の下に厘。 文が銭にかわったと考えられ、『一文もない』が『一銭もない』に変わった。
日常的には、クレジットカードやコード決済を使っているので『金(かね)』や『銭(ぜに)』の違いなど意味がなくなった。 『金銭』という言葉もいつまでの残るだろうかと、このエッセイは終わっています。
時代劇によく出る千両箱の千両の現在価値・金額、
江戸時代初期~中期 1億円
江戸時代後期 8,000万円
幕末 5,000万円
千両箱の重さ、
深夜の江戸、千両箱を、軽々と肩に乗せた盗賊が走るという場面が、時代劇ドラマでよく見られますが、よほど担ぎなれていないと無理だったのではないでしょうか。 千両箱に入っている小判は、時代によって重さや価値が違いますが、徳川家康が慶長6年(1601)に造らせた慶長小判なら、一両4.76匁(もんめ)、すなわち17.85g。 千両なら17.85㎏。千両箱そのものの重さが、5~6㎏といったところだから、千両箱1箱は約25㎏といったところ、そんなものを担いで走ったら、なんだかすぐに息切れしそうです。
(記事投稿日:2024/12/21、#985)
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