知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『三島文学(花ざかりの森・憂国・豊饒の海)で思い出すこと 1』—「豊饒の海」の終巻「天人五衰」末尾と16歳の小説「花ざかりの森」結末!ー

2022-11-23 09:08:41 | 読書

『三島文学(花ざかりの森・憂国・豊饒の海)で思い出すこと   1』

『「豊饒の海」の終巻「天人五衰」末尾と16歳の小説「花ざかりの森」結末!』

ウエブ情報から引用

年号変更もあり、気になった三島由紀夫氏を、この連休中(5月3日・憲法記念日)に、調べていました。 
ウエブ情報に次のようにありました。

 

『三島由紀夫の最後の長編小説は「豊饒の海」(1970年、45歳)となった。 この最終巻の「天人五衰」の末尾は16歳の初刊小説「花ざかりの森」の結末の「死に似た静謐」と全く同じと言える』。

 

この解説には、驚きました。 乱読ですが比較的、本は読むほうです。 三島由紀夫氏の作品では、表題の三作品だけです。 遺作の『豊饒の海』、処女作『花ざかりの森』、自作自演で映画化した『憂国』、凡人には、すごい作家が出てきたものだと、当時は思いました。 

 

特に『憂国』は、2.26事件に、新婚のため、仲間から決起に誘われなかった武山中尉が反乱軍の鎮圧を命ぜられ、国も友も裏切れず、中尉本人も新妻(本人の自刃を見届けてから)も自刃した内容です。 この映画を撮るためもあってか、三島本人はボディビルで、体を作っています。 これらが、三島事件のためでもあったのかと想像しています。

 

同氏の作品で『花ざかりの森・憂国・豊饒の海』だけしか読んでない自分にとっては、初刊小説『花ざかりの森』の前に、『酸模(すかんぽう)~秋彦の幼き思ひ出』(1938年、13歳)、彩絵硝子(だみえがらす)(1940年、15歳)の短編小説を発表しています。 やはり鬼才です。

 

前置きが長くなりました。

昔、お世話になった会社の海外事業部の部長が、三島由紀夫氏の熱烈なファンというより崇拝者でした。 この方のエピソードはたくさんあります。 自分の香港駐在時代に、あの事件(ウエブ情報)

 

三島事件(みしまじけん)は、1970年(昭和45年)1125日に、日本の作家・三島由紀夫氏が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に、割腹自殺をした事件(三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加)がありました。 

この事件で、この方は、号泣したと聞いています。 

 

この事件のとき、たまたま、ある通信社の香港事務所にお邪魔しておりました。 当時は、テレタイプ通信で、刻々と実況が連絡されるのに、呆気に、とられていました。 ただ当時、『花ざかりの森・憂国・豊饒の海』の三作品しか読んでいなかった自分でしたが、強烈なショックでした。

 

そのしばらく後に、この方が香港に、商用出張してまいりました。 晩の会食懇談中に、まず出た質問が『三島氏の作品は何か読んでいるかな!』でした。 誰も声を上げなかったので、自分が三作品を上げました。 

 

次の質問は『香港では制服を着ている子供たちがいるが、不思議だな、分かるかな?』でした。 これに対しても皆沈黙でした。 自分も沈黙でしたが、自分が想像したのは制服の『楯の会』関連で『国でない植民地の香港の子供たちの制服のこと』を言っていたと思いました。

 

三島由紀夫氏の『驚きの生涯と作品』については、これからも、調べていきたいと思っています。 

(記事投稿日:2019/05/03、最終更新日:2024/03/28、#096)

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『同郷・同世代の千葉県旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子 3』 『詩人・エッセイストの「漱石の硯」と「吾輩は猫である」と』

2022-10-17 10:29:18 | 読書

『同郷・同世代の千葉県旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子 3』

『詩人・エッセイストの「漱石の硯」と「吾輩は猫である」と

 

先ずは、高橋順子氏のプロフィールの再掲です。

経歴

千葉県飯岡町(現旭市)生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。青土社などの出版社に勤務。1998~2004年、法政大学日本文学科非常勤講師。

1993年10月、作家車谷長吉と結婚。2005年、車谷、新藤涼子と世界一周の船旅をする。2008年2~5月、車谷と四国八十八ヶ所を巡礼する。

受賞歴

  • 1987年 『花まいらせず』で現代詩女流賞
  • 1990年 『幸福な葉っぱ』で現代詩花椿賞
  • 1997年 『時の雨』で読売文学賞
  • 2000年 『貧乏な椅子』で丸山豊記念現代詩賞
  • 2014年 『海へ』で藤村記念歴程賞、三好達治賞
  • 2018年 『夫・車谷長吉』で講談社エッセイ賞

 

先日(2022/10/16)の日経新聞文化欄に、高橋順子氏のエッセイが、タイトルは『漱石の硯』でした。 このエッセイを読み始めた時の、そそっかしい勘違いが、真実であったら大発見と押っ取り刀で、エッセイを読み返し、「吾輩は猫である」をチェックしました。 残念ながら『吾輩は猫である』のお手伝いさん『御三(おさん)』は、高橋順子氏の叔母ではありませんでした。

 

「夏目漱石愛用硯」(復刻版)神奈川近代文学館蔵  ウエブ情報から引用

 

エッセイ『漱石の硯』の抜粋・引用です。

『東京新宿区の漱石山房記念館に、当時94歳だった私の叔母は、所有していた「漱石の硯」を譲り渡した。 漱石のお孫さんの一人の勧めによる。 なぜ叔母がそんな大そうな品を持っていたかというと、この人は長い間、漱石の長男・純一宅に家政婦として住み込んでいたのだが、ある時純一氏が叔母に『これを上げる」と手渡したのである。 漱石の遺品と知って驚いた叔母は「何か添え書きをいただかないと、私がくすねたように思われます。」と』、それで添え書きができたようです。

 

『「牛込区早稲田南町七番地漱石山房跡より掘り出された父生前の愛用の硯 珍しい形をしており、蓮の花の上に蛙が乗っていたのがいつの間にか飛び立って姿が見えなくなって物、記念としてあなたに差し上げたいと思います。」と欠損を詩情に変え、思いやりのある添え書きをくださった。』

 

『戦後、漱石山房があった場所の焼け跡から硯が2つ出土し、大工さんが純一氏に届けてくれたそうだ。 そのうちの1つは神奈川近代文学館に寄贈された。 蛙がいなくなった硯は完全な品とは言えないものなので、文学館には渡さなかった。 叔母は木箱に入れ自室に運んだ。』

 

『叔母に漱石の硯をいただいて、どんな気持ちがしたかと尋ねたことがある。 「重苦しい気持ちだった。 持っていろと言われたから持っていた」と答えた。 主人夫婦を看取り、叔母は78歳で夏目家を去ることになった。』

 

『私の母である千葉飯岡の故郷の姉は「こちへ来なよお」としきりに言ったが、友達も近所の人も「東京へ残ったほうがいい」というので、姪の私が用意したマンションに残った』

 

『硯は引っ越し荷物より一足先に私がカバンに入れ、自宅に運んだ。 引っ越しが完了するまでは、硯は私の部屋に置かれた。』

 

同郷・同世代の千葉県旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子氏と「漱石の硯」と「吾輩は猫である」とが、一瞬の錯覚ですが、かかわりがあったように思えて『ほっこり』としました。

(記事投稿日:2022/10/17、#587)

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『健康で長生きしたい 3(和田秀樹氏の「80歳の壁」にヒントが』 『「80歳の壁」を越えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!』

2022-05-01 14:34:04 | 読書

『健康で長生きしたい 3(和田秀樹氏の「80歳の壁」にヒントが』

『「80歳の壁」を越えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!』

 

満80歳の傘寿(以前は、79歳でお祝いも)に数カ月と迫っておりますと、このサブタイトル『「80歳の壁」を越えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!』のハードルの高さしみじみと感じています。 見つけました表題の本『80歳の壁』にある最強の方法を再確認し、今後も、参考にチェックしてゆくために、備忘録にしました。

 

この本の広告が、日経新聞の総合・経済面に『全5段抜き』で、乗っており、見出しに参考になる箇条書きがありました。 傘寿爺には単純化され過ぎているものもあり、これから勉強します。

ウエブ情報から引用 

(1)医療に頼るなかれ。医師には「健康」という視点がない。「医師」と会話ができる知識を

  できるだけ持ちたい。

 

(2)食べたいものを食べていい。お酒も飲んでいい。嗜好の変化はいつも気を配る。

 

(3)肉を食べよう。しかも、安い赤身がいい。菜食の良さは今後の課題。

 

(4)健康診断はうけないほうがいい。⇒後期高齢者医療保険になったので、人間ドックは回数を

   減らすが、地元行政が実施する健康診査を受診。

(5)病院に行かなくなったら死者数が減った。こんな数値は信用できない。自己管理と病院

   頼りと、どちらも。

 

(6)ガンは切らないほうがいい。セカンドオピニオンと自分の勉強で判断。

(7)血圧、血糖値、コルステロール値は下げなくていい。目標はせめて、上限値前後には下げ

   たい。

(8)薬は不調があるときだけ飲めばいい。調合した先生の指示に従う。薬の情報も良く読む。

9)欲望は長生きの源。枯れて生きるなんて百年早い。いい塩梅に、継続が肝心。

(10)運転免許は返納しなくていい。十人十色ですので年齢で線を引く。

(11)認知症になっても生きる力と知恵は最後まで残る。信じたい。

(12) 運動はほどほどに。散歩が一番。運動も、自分で、できる範囲で緩急つけて、散歩は大き

   めの歩幅で、緩急(ゆっくり歩きと早歩き)をつけて『踵着地と5本足指で靴底をグリップ

   する感覚で。

(13)「脳トレ」よりも自分がすきなことをする。これも必要、特に大事なのは、自然とその

   四季の変化を見る・楽しむ。

(14)タバコは止めなくていい。イライラは余計に害。みんなが止めると国家の収入減は心配

   だが、総合的に判断してやめた方が良い。

(15)ぬるめの湯、浸かる時間は10分以内。実践中、ブックカバーで覆って、読書を10-20分、

   実践中。

 

(16)おむつを恥じるな。行動を広げる味方です。辛いが、その時期が来たら実践。

(17)高齢者に多いうつ症状。心と体を動かすことが予防に。体力に合わせて、いい塩梅の

   万歩散歩が良い。

(18)エアコンをつけて水を飲み、猛暑から身を守れ。図書館の空調もそれほど涼しくはない

   が、読書もできて一石二鳥。

 

(19)噛めば噛むほどに、体と脳はイキイキとする。噛む回数を決めて、頭の中で、引き算で

   数えれば、ボケ防止になる。

(20)記憶力は年齢ではなく、使わないから落ちる。読んだ本や、記事の内容をメモする。 

   記憶力の後退防止と維持。

(21)孤独は寂しいことではない。気楽な時間を楽しもう。齢をとれば、どんどん、孤独になる

   時間は増える。 日本で、特に都会のマンション暮らしはコミュニティ―に積極的参加する

   努力は不可欠。

(22)サボることは恥ではない。我慢して続けなくていい。難題で、課題

(23)外に出よう。引きこもると脳は暗くなる。散歩の徹底と屋外活動の趣味を持つ。

(24)テレビを捨てよ。町に出よう。大勢で哄笑、悲憤慷慨セリフ乱発のドラマが多く、視聴率

   至上主義丸出しのテレビ番組は避けたい。

(25)闘病より共病。「在宅看取り」ありの選択も。難題で、課題。

 

(26)眠れなかったら寝なくていい。早寝早起きと万歩散歩実践で大丈夫。

(27)学びをやめたら年老いる。行動は学びの先生だ。『学びを継続できる』コツは、興味

   ある事を調べたら文章にして他人(友人や第三者)に読んでもらう。 古い対応だが

  『キーボードを打つより書く』、

すでに、傘寿真っただ中です。 その重さをズンと感じています。 『「80歳の壁」を越えたら、人生で一番幸せな20年が待っています!』の実現にマイペースで頑張ります。

(記事投稿日:2022/04/30、#529)

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『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと』ー西のミチコと東のミチコが会いましたと車椅子の上でお茶目に石牟礼さんー

2022-03-30 09:07:13 | 読書

             『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと』

 『西のミチコと東のミチコが会いましたと車椅子の上でお茶目に石牟礼さん』

『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』著者 高山文彦氏

ウキペデイアから引用

西のミチコと東のミチコが会いましたと、車椅子の上で石牟礼さんは、お茶目な言い方をする。

本はよく読みますが、自分が覚悟して、強い意志で、やっと読み切った本のトップスリーで、トップはなんといっても『苦海浄土』です。

❶苦海浄土(くがいじょうど)(水俣病の実態) 石牟礼道子著

❷蒼穹の昴(清朝末期の宦官の自宮(宮刑でなく)実態) 浅田次郎著

❸アンデスの奇跡(冬のアンデス山中で墜落事故遭難者の一部16人が72日後に生還)生存者ナンド・バラード著 

  水俣病の世界を描いた『苦海浄土』の作家石牟礼さんの、2月10日の死去に、舞台となった熊本・水俣では、患者や支援者らが無念さをにじませた。『寄り添ってくれた』患者らは、勇気をもらい作品を通じて水俣病の実態を国内外に伝えた偉業をたたえた。 

 『水俣』を、そして文明の危うさを書き続けた作家石牟礼さんは、水俣病と、それを引き起こした企業や行政の振る舞い、がむしゃらな経済優先の時代の病巣を見つめ、そこからの思いを1本のペンに宿した人生だった。 言いようのない喪失感を覚える作家の死である と言う記事を読みました。 

 違う形で、ケタの違うスケールで作り出されている『人為的な環境破壊』に対する警鐘として、この本を『教科書で紹介すべき』と思うほどです。

  詩人で作家の石牟礼さんの、その広範囲の活動実績にも驚きました。 

先ずは、受賞歴です。

 

 石牟礼さんは文学少女として水俣に育った。10代半ばから歌を詠み、詩作に親しんだ。 結婚し、地元で家庭を持つ。 その文学好きの一主婦が、足元で起きたすさまじい公害事件と出合ったことで、常ならぬ道を歩くことになる。

 水俣病公式確認から3年後の1959年、石牟礼さんは 見舞いのため水俣市立病院の水俣病特別病棟を訪ねた。 そこで見た患者たちの姿に『水俣病事件に悶々(もんもん)たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならぬ』という衝動にかられる。 そして『苦海浄土』が生まれた。

 

 激しくけいれんし、苦悶(くもん)の爪痕を壁に残した初期患者の悲惨な病状。豊かな海と、漁に生きる暮らしと、地域社会を破壊した公害事件の正体。壊され失われたものへの、いとおしみ…。 それらを、類いまれな表現力で描き出した主婦作家の一冊を通して、多くの人が「水俣」を知った。

 

『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』 高山文彦著には、こうあります。

 西のミチコと東のミチコが会いましたと、車椅子の上で石牟礼さんは、お茶目な言い方をする。でも顔は、お能の面みたいに静かなのである。 

ここでいう西のミチコとは水俣の石牟礼道子さんで、東のミチコとは東京の美智子皇后陛下を指します。西のミチコを先に出すのは、すごいですね。『西のミチコが東のミチコにあいました』なら、この順でいいのですが。

 お会いされたのは、東京神田駿河台の山の上ホテル。鶴見和子さんをしのぶ山百合忌においてでした。 とにかくその会で石牟礼さんは皇后の隣りに席を用意され、会が終わるまで二時間ばかり親しく言葉を交わしたのだという。

 その時の、石牟礼さんが抱いた皇后陛下に対する印象は、『あんな知的な女性にお会いしたのは、はじめてです。とてもお優しくて、美しい方でした。 こぎゃんか女性をお嫁さんにもらわれた天皇さんは、偉かです」というものでした。

更に、凄さを感じた『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』からの関連情報・抜粋です。 

2013年10月、水俣を訪れた天皇皇后が、水俣病患者と歴史的な対話をかわされた。そのきっかけをつくったのが、『苦界浄土』をあらわした石牟礼道子。二人のミチコが文学をとおした魂の交感から、数々の秘められたドラマが生まれた。

2014年の歌会始で天皇が詠んだ一首。
慰霊碑の先に広がる水俣の 海青くして静かなりけり
 

2013年10月、「全国豊かな海づくり大会」のため水俣をはじめて訪れた天皇皇后にとり、その旅は大会への参加以上に、戦争にひきつづき果たしてきた日本の惨禍への慰霊が目的だった。水俣でおきた『奇跡』――、天皇の政治利用と非難されることを自ら覚悟のうえで、渋る宮内庁幹部を動かし、極秘のうち実現した天皇皇后と胎児性患者や語り部の会11人との面会。それは美智子皇后と作家・石牟礼道子、「ふたりのみちこ」の深い絆によりもたらされた。
作家・池澤夏樹氏が個人編集し大評判をよんだ『世界文学全集』の中で、日本作品から唯一選ばれたのが、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)だった。本を通して深い信頼関係を築いた「ふたりのみちこ」が、半世紀以上にわたり水俣病と向きあった人々からの「許し」を得るまで。その過程には、水俣病の原因をつくったチッソの社長が雅子皇太子妃の祖父だったという、乗り越えなければならない複雑な経緯もあった。
東京で、水俣で、深く意志を交錯させたふたり。パーキンソン氏病をわずらい闘病中の石牟礼道子は、天皇皇后に面会する患者代表にこう伝言したという。「天皇陛下に伝えてください。大会で放流したヒラメは、もう水俣病になりませんか?」
1965年に熊本の同人誌で知り合って以来、水俣病に石牟礼とともに取り組んできた作家・渡辺京二が語る、政府と公害企業との闘争史も興味深い。

  将に、今そこにある危機は『二酸化炭素排出増加』に起因する異常気象と環境破壊です。 繰り返しになりますが、個人が、70 億人が、すぐに出来ることは、最も有効な; ❶節電  ❷節水、 ❸植樹 、❹買い物用『マイバック』必携、❺出来るだけの歩行移動、でしょう。

(記事投稿日:2018/02/12、最終更新日:2022/03/26、#501)

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『余生の読書計画に追加、それには、少しでも速読法学習が必要』 『昨今の世情に未練はないが、読みたい本を、残したくはない!』

2022-03-05 17:52:19 | 読書

『余生の読書計画に追加、それには少しでも速読法学習が必要』

昨今の世情に未練はないが、読みたい本を残したくはない!』

 

このような時代ですので、目下,波乱万丈のフランス史、上・下(福井憲彦 編)を読み直しています。 この読書を中断しても、調べてみたい歴史上のカロリング王朝の始祖・ピピン小王が居りました。 今日のフランス、ドイツ、イタリアの元になった『フランク王国』の前身が『カロリング王朝』です。

 

先日(2022/03/05)の日経新聞の詩歌・教養蘭に載っていました『王の綽名「小王」フランク王ピピン一世・新王朝開いたできる奴』。 

『新王朝開いたできる奴、

王を綽名(あだな)で呼ぶのに「大王」は、よく聞く。逆に「小王」は聞かない。 なるほど、わざわざつける綽名ではない。 それでもヨーロッパには「小王」がいる。 8世紀のフランク王ピピン1世(在位751~68年)である。 どうでもいい王ではない。 まずもってフランク王国が、今日のフランス、ドイツ、イタリアの元になったくらいの大きな王国だった。 第一王朝がメロヴィング朝だが、それを廃して、第二王朝となったカロリング朝の始祖が、このピピン王一世なのだ。 「大王」でもよさそうだが、世辞にも呼ばれないどころか、しばしば「王」もつけられず、「小ピピン」と呼び捨てられる。 

 

王朝の始祖になったことから、もともと王ではなかった。 ピピンが連なるのはフランク王国の官宰の家系であった。 日本でいえば、天皇に対する関白のような地位か。 ピピン家のピピン一世の孫がピピン二世、そのまた孫がピピン三世・フランク王ピピン一世、というややこしい家系になっている。

 

ピピンの父親カール・マルテルは官宰の身ながら、全フランク軍の指揮を執り632年ヨーロッパに攻め上がってきたイスラム軍を撃破した英雄。 ピピンの息子は、800年には西ローマ帝国の皇帝にまでなった『カール大帝』である。 つまりピピンは父親、息子とも派手であり、おかげで影が薄くされた。 日本史に天皇になった関白がいないことからも、その難しさが解かる。

 

表題『余生の読書計画に追加、それには、少しでも速読法学習が必要』『昨今の世情に未練はないが、読みたい本を残したくはない!』に戻ります。

 

日経新聞の読書欄から余生の読書計画に選んだ;

読書大全

ウエブ情報から引用

目次

はじめに 読書が与えてくれたもの/ビジネスリーダーに求められる読書とは/我々はどこへ行くのか/読書の仕方について

第1部 人類の知の進化
第1章 宗教と神話
第2章 哲学と思想
第3章 経済と資本主義

第2部 人類の歴史に残る200冊
第1章 資本主義/経済/経営
道徳感情論/国富論/人口論/資本論/経済発展の理論/資本主義・社会主義・民主主義/論語と算盤/一般理論/隷従への道/貨幣論/ブラック・スワン/グローバリゼーション・パラドクス/21世紀の資本/21世紀の貨幣論/ゼロ・トゥ・ワン/HARD THINGS

第2章 宗教/哲学/思想
イーリアス/論語/ソクラテスの弁明/神学大全/社会契約論/純粋理性批判/精神現象学/精神分析入門/善の研究/存在と時間/自由からの逃走/正義論/ポスト・モダンの条件/これからの「正義」の話をしよう

第3章 国家/政治/社会
孫子/国家/貞観政要/君主論/リヴァイアサン/法の精神/永遠平和のために/戦争論/アメリカのデモクラシー/自由論/大衆の反逆/ひとはなぜ戦争をするのか/全体主義の起原/想像の共同体

第4章 歴史/文明/人類
歴史/戦史/三国志/近代世界システム/文明の衝突/銃・病原菌・鉄/サピエンス全史/暴力と不平等の人類史/21世紀の啓蒙/人口減少社会のデザイン

第5章 自然/科学
ユークリッド原論/種の起原/大陸と海洋の起源/沈黙の春/利己的な遺伝子/ホーキング、宇宙を語る

第6章 人生/教育/芸術
生の短さについて/自省録/エセー/民主主義と教育/幸福論/夜と霧/美術の物語

第7章 日本論
学問のすゝめ/文明論之概略/代表的日本人/武士道/禅と日本文化/日本的霊性/失敗の本質

《人類の歴史と代表的書籍》年表
《人類の歴史に残る300冊》リスト

 

❷戦争の未来

ウエブ情報から引用

サイバー戦、ロボット、ドローン、気候変動、資源争奪など、多様な手段と要因が複雑に絡み合う危機は迫っている! 近代以降、予想された戦争と実相を政治・社会・科学的視点から比較分析、未来予測の困難が、時代を追うごとに増大していることを検証、戦争の不確実性を解き明かす。歴史から得られた将来の戦争への備えと平和への「教訓」。

 

❸政府は巨大化する

 ウエブ情報から引用

出版社内容情報

大増税か、国家の役割の縮小か。それとも債務危機か。
逃れられない究極の選択。従来の常識を覆す新鮮な問題提起。
この先30年にわたる国家財政の未来を描く。
2020年フィナンシャル・タイムズ紙ベスト経済書

 

❹絡まりあう生命

ウエブ情報から引用

もうすぐ絶滅する人類のために
狩猟に疲れ、ボルネオの闇夜の森で微睡(まどろ)む人類学者は、寝袋を這うアリたちの足音を確かに聴き、自分がアリの世界の一員となったと感じる……。
「この世界は人間だけのものではない」という深い実感から出発し、動物、死者、そして生命そのものへと向かう全く新しい人類学の探求が幕を開ける。
ボルネオの森から、多種的世界とアニミズムを経て、「生命とは何か」という根源的な問いへ。
インゴルド、コーン『森は考える』、ウィラースレフ『ソウル・ハンターズ』、アナ・チン『マツタケ』ら最新の人類学の議論を積極的に吸収しつつ、人類学の新たな可能性が展開される。
――世界の覇者を自認してあらゆるものを食い尽くし、絶滅の淵に立つ人類に、世界観の更新を迫る、壮大な「来たるべき人類学」の構想。

 

❺ブラックボックス

ウエブ情報から引用

第166回芥川賞受賞作。

ずっと遠くに行きたかった。
今も行きたいと思っている。

自分の中の怒りの暴発を、なぜ止められないのだろう。
自衛隊を辞め、いまは自転車メッセンジャーの仕事に就いているサクマは、都内を今日もひた走る。

昼間走る街並みやそこかしこにあるであろう倉庫やオフィス、夜の生活の営み、どれもこれもが明け透けに見えているようで見えない。張りぼての向こう側に広がっているかもしれない実相に触れることはできない。(本書より)

気鋭の実力派作家、新境地の傑作。

 

書籍やSNSで素晴らしい情報は提供されますが、ヒト・人間は、なかなか上手く対応・改善ができませんが、身近から一つ一つ進める以外に方法はなさそうです。

(記事投稿日;2022/03/05、#485)

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