知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと 2(凄いメッセージ)』 『70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、石牟礼さんは辞退』

2022-01-23 12:30:32 | 読書

『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと 2(凄いメッセージ)』

70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、石牟礼さんは辞退』

 

本はよく読みますが、自分が覚悟して強い意志で、やっと読み切った本のトップスリーで、トップはなんといっても『苦界浄土』です。

❶苦界浄土(くがいじょうど)(水俣病の実態) 石牟礼道子著

➋蒼穹の昴(清朝末期の宦官の自宮(宮刑でなく)実態) 浅田次郎著

❸アンデスの奇跡(冬のアンデス山中で墜落事故遭難者の一部16人が72日後に生還) 生存者ナンド・バラード著

 

前回のブログ『苦海浄土(1969)』の著者・石牟礼道子さんのこと 1』を、まとめた後、終始気になっていたのは、その後には、有吉佐和子さんの『複合汚染(1974-1975)』、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の「日本版」にもたとえられるほどの著作です。  

 

ここで、この時期に再度、今回の表題『苦海浄土(1969)』の著者・石牟礼道子さんのこと 2』纏めました。 ウエブ情報の抜粋引用です

 

石牟礼さんのスピーチに会場が凍り付いた。

本書『苦海浄土』 (講談社)は石牟礼道子さんの代表作である。 1969年に発表され、70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれた。 しかし、石牟礼さんは辞退した。

理由は何だったのか。批評家の若松英輔さんは『NHK100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土』の中でこう話している。

 

水俣病の患者たちが本当の語り手

「一つは、この作品がいわゆる『ノンフィクション』ではないこと、そしてもうひとつは、自分はこの作品の真の作者ではない、と彼女が感じていたところにあるように思われます」

よく知られているように、『苦海浄土』は水俣病の患者たちになりかわって、故郷の美しく豊かな海を奪われて病を強いられ、命を奪われた人たちの悔しい思いを方言のままにつづった物語だ。 ちょうど公害問題や環境破壊が社会的に注目され始めた時期だったこともあり、鋭い文明批判の一面もあって衝撃を与えた。

若松さんはさらに説明を続ける。
「『苦海浄土』は水俣病の患者たちが本当の語り手であって、自分はその言葉を預かっただけなのだ、という強い自覚が彼女にはある。 表現を変えながら彼女は様々なところで、水俣病の患者たちは、言葉を奪われて書くことができない、自分はその秘められた言葉の通路になっただけだと語っています」

 

魂の奥底から絞り出す声

しばしば石牟礼さんは「語り部」と呼ばれる。 本書の中でその凄さは十二分に発揮されているが、実際に目撃したことがある。 2001年度の朝日賞のパーティ。 受賞者の石牟礼さんが登壇し、話し始めると、帝国ホテルの広い会場は水を打ったように静まり返った。

独特の震えるような声と抑揚で、何かにとりつかれたかのように石牟礼さんが語り始める。 まるで魂の奥底から絞り出しているような、まさに水俣病の被害者たちの無念の思いが乗り移ったかのような話しぶりに、数百人の出席者が凍りついた。 メモや下書きなしで、即興でかなり長く、与えられたスピーチの時間を大幅にオーバーしていたと思う。 しかし、聴衆はいつのまにか、石牟礼さんの一言をも聴き逃すまいと、緊張しながら耳をそばだてていた。

 

石牟礼さんの魂の言葉が、完全に聴衆の魂をわしづかみにしていたのだ。 着飾って帝国ホテルという繁栄の頂点に集まった人たちに、繁栄から忘れられ、踏みつけられた地霊や人霊の声を突き付けたのである。 

 

石牟礼さんの後に登壇したのは、「千と千尋の神隠し」で興行記録を塗り替えたばかりの絶頂期の宮崎駿監督だったが、石牟礼さんの強烈なスピーチの後なので、手短に、と早々に切り上げたほどだった

このとき、出席者の何人が『苦海浄土』を読んでいたかわからない。 だが、石牟礼道子という人はタダ者ではない、という貴重な現場体験をしたことだけは間違いない。

 

生きるとは荷を負うこと

石牟礼さんは10数年前からパーキンソン病になり、療養中だった。最近は、洗面所ぐらいは自分で、と無理して一人で立とうとして転倒し、右大腿骨を折って入院していた。朝日新聞に月一回のペースで連載していたエッセイは昨年末に1回、お休みしていた。

しかし、今年1月31日には復活。「水俣川の川口近くに住んだ家は、近代化の波がそこだけ遠慮して通り過ぎたような百姓家であった」と過ぎ去った昔を回想。いつのまにかそこに猫が十数匹も居着いてしまって、「しまいには猫一家に人間一家が同居させてもらっている風にもなってくるのだった」と、野良猫に囲まれた日々を記していた。

また、2月1日の読売新聞には、「年が改まり、また一つ年を重ねていくわけです。ただ、それは同時にまた一つ荷が重くなることでもあると、いつからか自覚したように思います。パーキンソン病を患ったこともそうですが、生きるとは荷を負うことだと実感しています。そういう生き方を私は選んでしまっているのでしょう」という談話を載せていた。

さらに、『苦海浄土』は第一部に続いて第三部『天の魚』(1974年)が書かれ、第二部『神々の村』(2004年)も出て、さらに続く予定だったという。 第二部『神々の村』、第三部『天の魚』も肝を据えて読んでみたいと思っています。

 

ウエブ情報から引用

水俣病の世界を描いた『苦界浄土』の作家石牟礼さんの、2018/02/10の死去に、舞台となった熊本・水俣では、患者や支援者らが無念さをにじませた。『寄り添ってくれた』患者らは、勇気をもらい作品を通じて水俣病の実態を国内外に伝えた偉業をたたえた。 

 

『水俣』を、そして文明の危うさを書き続けた作家石牟礼さんは、水俣病と、それを引き起こした企業や行政の振る舞い、がむしゃらな経済優先の時代の病巣を見つめ、そこからの思いを1本のペンに宿した人生だった。 言いようのない喪失感を覚える作家の死である。 と言う記事を読みました。 

 

違う形で、ケタの違うスケールで作り出されている『人為的な環境破壊』に対する警鐘として、これらの本を『教科書で紹介すべき』と思うほどです。

(記事投稿日:2022/01/24、#464)

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『歴史のこと 丸暗記をやめたら、世界史と日本史に興味が‼』 『昔、高校の歴史教科書には、とっつきにくく、部厚い参考書へ』

2021-12-17 16:00:07 | 読書

『歴史のこと 丸暗記をやめたら、世界史と日本史に興味が‼』

昔、高校の歴史の教科書にはとっつき難く、部厚い参考書へ』

先日(2021/11/21)日経新聞の文化欄に、タイトルは『岩波「世界歴史」同時代を見通す・四半世紀ぶり 地域結ぶ視点』と見出しは『岩波書店の大型企画「岩波講座 世界の歴史」(全24巻)の刊行(第3次)が四半世紀ぶりに始まった。 地域ごとの通史ではなく各地域をつなぐ「グローバル・ヒストリー」を重視した。 過去2回のシリーズと異なり、同時代を横断的に見通す視点が際立つ。とありました。

第1次シリーズ:1969 - 1971年

第2次シリーズ:1997 - 2000年

ウエブ情報から引用

岩波書店は戦後3回目の刊行となる『岩波講座 世界歴史』(全24巻)を、四半世紀ぶりに10月5日から刊行開始する。 300人を超える執筆者を迎え、従来手薄だった太平洋地域やアフリカの歴史にも目を配り、新高校教育課程「歴史総合」に対応して日本史とも接合させる。とありました

 

特に、『岩波講座 世界歴史』から印象に残ったのは、『4500年前に始まった長いピラミッド建造の歴史・約1000年間の前半に規模と技術のピークがあった。』

古王国時代初期から建造され始め、その後、中王国時代までピラミッドは建造されますが、現在でも当時の形をとどめたのは古王国時代中期のメンカフラー王のピラミッドまでです。 以降の新王国時代には、王の墓としては、ピラミッドに変わり、王家の谷のように大規模な岩窟墓に変わっていきました。

 

世界歴史に興味を持つまでには長い道のりがありました。

昔のことですが、日本史は難しい漢字が多いので、漢字の代わりにカタカナの多い世界史を選択した記憶があります。 世界史も日本史ほどは漢字が多くありませんが、とにかく暗記、丸暗記が必須で、やはり苦手な教科でした。 

ある時、学期末試験に備えて部厚い世界史の参考書を読み始めました。 これが学校で教わる世界史より、かなり面白く、歴史の本を読むようになりました。 その後は、歴史ブームもあり、仲間と歴史と歴史小説の違いなどを酒の肴にしたこともあります。

 

長い道のりの間に読んだ本

①世界の歴史 中央公論社 全17巻 

ウエブ情報から引用

印象に残ったのは『古代ローマは、イタリア半島中部に位置した小さなポリスから、地中海世界全域を支配下にいれる大帝国にまで成長した国家の総称です。 その歴史は、ローマ建国の前8世紀から、ゲルマン人により西ローマ帝国が滅ぼされる後5世紀まで続きました。 古代ギリシャは国ではない。 古代ギリシャは、ローマのように周囲の自治体や民族を吸収し、一つの統一国家を樹立したわけではなかった。』ことです。 この違いが分かった時、地理と地政学の奥深さを知りました。

 

②日本の歴史 中央公論社 全26巻

ウエブ情報から引用

印象に残ったのは、『伊達騒動は、江戸時代前期に伊達氏の仙台藩で起こったお家騒動です。 黒田騒動、加賀騒動、仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれる。 騒動は3期に分類され、それぞれが関連性を持っている』と、この歴史の本の中で、山本周五郎氏の著書『樅の木は残った』が参考になるとありました。

 

③大世界史 文芸春秋 全26巻

ウエブ情報から引用

世界史の全集から日本史の全集と読み進み、日本史と世界史の両方をカバーした歴史の全集がないかと思った時期がありました。 その時に発売をスタートしたのが『大世界史 文芸春秋 全26巻』でした。 この全集は1巻で中断しましたが、理由は思い出せません。 『岩波講座 世界の歴史』(全24巻)第3次シリーズと、この『大世界史 文芸春秋 全26巻』の読み比べのために、これから傘寿は『速読法』の勉強です。

 

④昭和史発掘 文芸春秋 全13巻

ウエブ情報から引用

松本清張氏の作品は、推理小説・現代小説・時代小説・歴史小説・伝奇小説・歴史全般と幅広い。 印象に残ったのは『昭和史発掘(第18回菊池寛賞受賞作)』を読んだときに、歴史(特に現代史)と、歴史小説、さらにはテレビの歴史ドラマ(特に大河ドラマ)を、どう楽しむか難しいと思いました。 特に『古代史疑』と『火の路(火の回路)』は歴史と推理小説ですが、まだまだ読みこなせずに、余生も、残り少なくなりました。

(記事投稿日:2021/12/17、最終更新日:2021/12/18、#446)

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『読書には、時間が必要・SNS時代に読書のススメ!』 『双子の革命(デジタル革命&ICT革命)の中でも古典的に本を』  

2021-12-11 17:46:51 | 読書

『読書には、時間が必要・SNS時代に読書のススメ!

『双子の革命(デジタル革命&ICT革命)の中でも古典的に本を』

読書には、読書療法(英:Bibliotherapy)、本を読むことによって心理的な支援を行う心理療法があります。 ビブリオセラピーとも言われます。 そんなことはつゆ知らず、さらには読書方法など意識もせずに、のんびりと暇つぶし読書を続けてきました。 余生を数えては、読書計画ならぬ、読みたい本を見つけたら、リストしています。

余生僅かですので、念のため、読書方法も再確認して、頭の隅っこに入れて効率よく読書を進めたいと思っています。

①インテンシブ・リーディング(精読)

学術書などの専門的な内容への深い理解が求められる時に、全てのページを丁寧に読んでいく方法。

②エクステンシブ・リーディング(多読)

流行している本などを、あれこれたくさん読むことで、読書の楽しみを見出しながら読書する習慣を身につける方法。

③スキミング(大意把握読み).

目次やまえがき、あとがき、文章の太文字や囲い文字などを中心に速読し、大まかな内容をつかむ方法。

④スキャニング(情報検索読み)

必要な情報の項目を探してその箇所だけを読む方法。

⑤クリティカル・リーディング(批判的読解)

インテンシブ・リーディング(精読)を通して正確に内容を理解した上で、命題を論理的に再検証する方法。論文・レポート作成のための読書法。

日経新聞の毎週土曜日の読書欄2頁は楽しみにしています。 先日2021/12/11は、盛沢山でした。 早速『余生の読書計画』にリストしました・

  • 『東京の古本屋』橋本 倫史 (著) コロナ禍とどう対峙したか
  • 『手塚治虫は「ジャングル大帝」にどんな思いを込めたか』竹内 オサム(著) 革命前夜の      試行錯誤と葛藤
  • 『ランタン』柚木 麻子(著)女性の連帯が生む戦後教育
  • 『介護する息子たち』平山 亮(著)新しい男性のあり方を模索する端緒に
  • 『私たちはいつまで危険な場所に住み続けるのか』木村 駿ほか(著) 水害の実相とメカニズ     ム・自然災害が突き付けるニッポンの超難題
  • 『その農地、私が買います』高橋 久美子(著)ムラ社会の冷たさに直面・農地を持っている     人しか農地を変えない

ウエブ情報から引用

『「書物の歴史」イリーン(著)で人間の本と謡われている通り、古代では人間という生きた本が部族の歴史などを口伝で伝えた。 しかし人間社会が発達するにつれ、人の記憶だけでは済まされなくなり、様々な記録媒体が登場するようになった。』とウエブ情報にありましたが、

本の広告ですが、新聞一面の『三八(三段八っ割)』広告を除く、その他のページの広告は、すぐに、買いたくなるようなキャッチフレーズが多く、いろいろ考えさせられます。

(記事投稿日:2021/12/11、#443)

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『風化させてはいけないこと 1(苦海浄土-わが水俣病 2)』 『映画が、今も終わらぬ水俣病の現場で庶民に迫り民主主義を問う』

2021-12-07 09:17:59 | 読書

『風化させてはいけないこと 1(苦海浄土-わが水俣病 2)』

『映画が、今も終わらぬ水俣病の現場で庶民に迫り民主主義を問う』

『悲惨な公害災害を風化させやすい風土を一人一人が変える意識を』

ウエブ情報から引用

このテーマについて備忘録を作っていましたところに、先日(20211204)の日経新聞文化欄に紹介されていました。 そのタイトルが『庶民に迫り民主主義を問う』でした。 見出し『ドキュメンタリーの第一人者、原一男監督が水俣をとった。 未認定患者の裁判闘争、高齢化する患者たち。 19070年代に水俣連作を撮った土本典昭に続く『中継ぎ投手』を自任する原は今も終わらぬ水俣病の現場で、庶民に迫り民主主義を問う。』 

『20年かけた6時間余の大作『水俣病曼荼羅』は2004年の水俣病関西訴訟の最高裁判決から始まる。 従来の認定基準を否定する根拠となった浴野成生熊本大教授らの医学的知見、対応の鈍い行政、その後も続く裁判。 一方で日々を生きる患者たちの結婚や恋など、その素顔と葛藤ににせまる。 土本が水俣連作を撮った昭和の時代は権力との闘いが広く支持を得ていた。』とありました。

風化させないために、水俣病(公害・災害)を以前、備忘録に残しましたものを、一部再掲載しました。 ご覧のお方はご放念ください。

水俣病患者たちに共通な症状は『初めに、手足の先がシビレ、ものが握れぬ、歩けない、歩こうとすれば、ツッコケル、ものが言えない、言おうとすれば、一言ずつ長く引っぱる、甘えるような言い方になる、舌も痺れ、味もせず、吞み込めない。 目が見えなくなる。 聞こえない。 手足がふるえ、全身痙攣をおこして大の男、2,3人がかりでも押さえ切れない人も出くる。 食事も排泄も自分でできないという得意で悲惨な有様であった』

取材状況が解かるあとがきを、先に読むのも読書方法のコツかも知れません。 あとがきから、死につつある患者の悲痛な声。 

『銭は一銭もいらん。 そのかわり、会社のえらか衆の上から順々に水銀母液を飲んでもらおう。 ・・・。 そのあと順々全員に、全員に死んでもらう。 奥さん方々にも飲んでもらう。 そのあと順々に死んでもらう。』  これ以上の凄まじい発言はありません。

余談です。 

  • 本には、生涯忘れられない場面が、表現がある。 浅田次郎著『蒼穹の昴』のなかにある『自ら浄身(去勢)して、その後の自ら治療する』という場面。 
  • 映画には、最後まで見ようと何回トライしても、悲し過ぎて、それができない『火垂るの墓』(野坂昭如原作)などがあります。

後期高齢者になると、物事にそれほど驚かな。なりますが、石牟礼道子氏著1969年1月28日、第1刷発行のこの本『苦海浄土-わが水俣病』は凄かった。  乱読の自分は、10冊前後を並行読みしますので、どうしても、数頁から数十頁を間欠的に読むインターバルリーディング(勝手に名付けた)に、いつも、結果的にはその間欠読みなってしまいます。

この本は読み始めて、すぐに、凄まじい内容で、一気に読めそうもないので、意図的にインターバルリーディングで読みました。

横道から戻ります。 先ずは、ウェブ情報から;

『苦海浄土-わが水俣病』1950~60年代の日本の公害問題を知る上での原点ともいうべき本であるとともに、そこに込められた深い問いやメッセージの普遍性から「20世紀の世界文学」という評価も受けている名著です。

1969年に出版された『苦海浄土-わが水俣病』は、翌70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれるも、石牟礼道子(いしむれ・みちこ)氏は受賞を辞退しました。その理由は公表されていません。

 

これも、ウェブ情報です。 それから、5年後には;

『複合汚染』は有吉佐和子の長編小説。 1974年から1975年まで朝日新聞に連載され、連載中から大きな反響を呼び、連載終了前の単行本上巻・下巻とあわせてベストセラーとなった。 現在でも環境問題を考える上でしばしば言及されるロングセラーとなっており、レイチエル・カーソン『沈黙の春』の「日本版」にも例えられる。

 

『苦海浄土-わが水俣病』前半の中のキーワード

❶胎児性水俣病

誕生日が来ても、2年目が来ても、歩くことおろか、這うことも、しゃべることも、箸を握ることも出来なかった。 4~5年たっても良くならず、村道の奥の家々で寝転がされたまま、肉親や、猫や、舟虫の気配を全身で感じながら暮らしてきた。 これ地獄絵です。

 

➋患者番号16号

さて、この水俣病の患者の一人に、山中九平少年がいます。 少年16歳は、迎えに来る専用バスで検診に行くことをガンとして拒んでいた。 父親を早く失くした少年は、この少年の発病の一年後に発病した姉と、二人は、母親57歳と一緒に生活している。  この少年は、立ち振る舞いが不自由で、胡坐でラジオを抱えて、ひねもす野球・相撲を聴いている。

周囲の患者が楽しみにする、唯一、仲間と交流のできる検診を、唯一人、頑なに拒む、強い意志はどこから来るのでしょうか。

少年は、将来背負う『さらに進行する水俣病』を知る術もなく、周囲の患者たちの背負った、『水俣病末期症状』もまだ知らず今の苦しみを形に変えて世の中に反抗しているのでしょうか。 これ無残です。

 

❸魚好きの猫達は

船の墓場と化した港に浮上した死魚や生魚を食べた猫は『月の浦の猫は舞うて死ぬ』と噂されるようになった。 又『猫たちが、くりくり舞うかと思うと、酒に酔うたごつしてチドリ足で舞うとです。舞うのがきつくなると、地面ば鼻の先でこすって、鼻の先がちょろりと剥けよった』   猫は無実で、人間の『業』を想います。

 

❹回避できない風評

この水俣病の調査をする二つの研究機関が、原因は『水俣湾で獲れる魚介類に含まれる有機水銀が有力』と中間発表した後の、水俣鮮魚小売組合の声明『水俣の漁民が獲った魚は絶対売らない』と。 さらに小売店は『当店の魚は、遠洋ものばかりです』と張り紙を出したら、逆に恐れて、お客が寄り付かなくなった。 

 

❺奇病の発生と発表

漁民はいう、『今考えて、本当に残念に思うのは、原因も分からんじゃったせいもあるが、正式には昭和31年4月に奇病の発表があったわけですが、こうなるまで、患者も漁民も4年もほったらかしじゃったことですよ。  実質的な発生は昭和28年暮れですから』、この困難な、因果関係の立証が難しく、さらに暫定の対策は打てない、地方町村の企業誘致の難しさ。

この汚染公害の問題は、工業化・経済発展最優先の中で避けられなかったのでしょうか。 それでもこの公害の問題は、遅きに失した対策が実現されていますが、これは地球上のいろんなところで起こる局部的事象です。  

地球規模の現在の温暖化は、海水温を上昇させ、『異常深層海流』と異常気象の原因となっており、対策はさらに大変です。 超巨大スケールの対策『地球を冷やす術』がありませんので・・・。

(記事投稿日;2021/12/07、#437)

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『吉川英治氏と、北方謙三氏の、それぞれの「三国志」のこと』 『吉川氏は「三国志演義」に比重、北方氏は「三国志」に比重』

2021-11-23 23:02:49 | 読書

『吉川英治氏と、北方謙三氏の、それぞれの「三国志」のこと』

『吉川氏は「三国志演義」に比重、北方氏は「三国志」に比重』

 

吉川英治氏の「三国志」

日本の大衆小説作家吉川英治氏による歴史小説。 新聞連載小説として、戦時中の1939年から1943年までほぼ4年間連載され、戦後に単行本として刊行され、絶大な人気を博した。 基本的なストーリーラインは中国の歴史小説『三国志演義』に従いつつも、特に人物描写は日本人向けに大胆にアレンジし、今日までの日本における三国志関連作品へ多大な影響を及ぼした。

 

北方謙三氏の「三国志」

1996年から1998年にかけて刊行された北方謙三氏の歴史小説。 北方氏が初めて中国史を題材にとった小説、全13巻。

 

三国鼎立地図

ウキペデイア情報から引用

三国鼎立地図

ウキペデイア情報から引用

 

『三国志演義』は、中国の明代に書かれた、後漢末と蜀・魏・呉による三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。 四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。  著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。

 

『三国志』は、中国三国時代について書かれた歴史書。 著者は陳寿。 後漢の混乱期から西晋による中国統一までを扱う。 二十四史の一つ。

 

王朝  年号          出来事

後漢  184   太平道を率いる張角が挙兵し、黄巾の乱が起こる。

        189   霊帝崩御。 董卓、弘農王を廃して献帝を擁立。

        190   董卓、長安に遷都。

        192   呂布、董卓を暗殺。

        193   曹操、徐州に陶謙を攻め、領民を虐殺。

                 郭汜の妻の嫉妬が原因で、李傕と郭汜が仲間割れ。

        194   劉備、徐州を領有。

        195   劉備、甘夫人を妾とする。

        196   曹操、許に献帝を擁立。 劉備、糜夫人を迎える。

        197   曹操、張繡を降伏させるが、鄒氏に溺れて大敗。

        198   呂布、劉備を破って徐州を領有。 曹操、呂布を討伐。

        199   袁紹、公孫瓚を滅ぼして華北を支配。 劉備、徐州で自立。

        200   曹操、劉備を破る。 関羽、二夫人を守って曹操に降伏。

                 関羽、白馬の戦いで顔良を斬る。 鄭玄死去。

                 曹操、官渡の戦いで袁紹を破る。

        201   劉備、劉表の客将となる。

        202   袁紹死去。袁紹の妻劉氏、嫉妬で妾を皆殺し。

                 曹操、袁譚・袁尚を破る。 曹丕、甄氏を略奪。

        207   劉備、三顧の礼で諸葛亮を迎える。

                 甘夫人、阿斗(劉禅)を生む。

                 曹操、華北を統一。

        208   劉表死去。劉琮、曹操に降伏。

                 長坂坡の戦いで、趙雲が阿斗を守る。

                 赤壁の戦い。 諸葛亮の説得で孫権・劉備は同盟を結び、曹操を破る。

        209  劉備、孫権の妹と結婚。

        210  周瑜死去。曹操、銅雀台を建設。

        211  劉備入蜀。

        214  諸葛亮、張飛・趙雲を率いて入蜀。 劉備、益州を領有。

        216  曹操、魏王となる。

        219  劉備、曹操を漢中に破って漢中王となる。 関羽敗死。

        220  曹操薨去。 夫人に「分花売履」の遺言を残す。

 

三国  220  曹丕(文帝)、献帝から禅譲を受けて曹魏を建国。

                曹皇后、兄を罵って後漢の奪に抵抗。

        221  劉備(昭烈帝)、蜀漢(季漢)を建国。

        222  劉備、夷陵の戦いで大敗。

        223  劉備崩御。 諸葛亮に劉禅を託す。

        225  諸葛亮、南征を行って反乱を平定。

        227  諸葛亮、出師表を奉り、北伐に出陣。孟達、蜀漢に内応。

        228  馬謖、街亭の戦いで張郃に敗れる。 陸遜、曹休を破る。

        229  孫権(大帝)、孫呉を建国。 諸葛亮、武都・陰平を破る。

        234  諸葛亮、五丈原で陣没。 献帝(山陽公)崩御。

        239  卑弥呼、魏に使者を派遣して親魏倭王の称号を得る。

        249  司馬懿、正始の政変で曹爽を打倒し、権力を確立。

        263  司馬昭、蜀漢を滅ぼす。諸葛瞻、奮戦して国に殉ずる。

西晋  265  司馬炎(武帝)、曹魏を滅ぼして西晋を建国。

        280  司馬炎、孫呉を滅ぼして中国を統一。

 

三国鼎立は、一見安定に見えますが、『三つ巴』の不安定差も感じます。

❶蜀は周囲を山に囲まれた四川盆地に最強の騎馬軍団を持ち、

❷呉は北の大河『長江』が天然の長城で、且つ南船北馬の最強の水軍を持つ。

❸対して最大の国土と軍隊と最長の国境線を持つ魏は、呉と蜀を滅ぼしたい。

 

北方謙三氏の三国志は、次の三点の不安定差から大歴史物語を展開しています。

❶蜀は、魏との緩衝地帯に 四川盆地からの漢水沿い出口に位置する『漢中盆地』の支 配争い継続

➋魏は、呉の長江の北側への進出を防ぐために『合肥』を死守

❸呉は、蜀との緩衝地帯として、四川盆地の長江沿い出口の『荊州北部』の、支配争い

この三つ巴が、関羽・張飛の死〈謀殺〉に追い込みます。

ここで『三国志の謎も「地形」で解ける』に思い巡らせてみました。 

三国鼎立は、劉備と孔明が、四川盆地の益州の劉璋を降伏させ成都を無血開城させた時点で成った。 『徳の劉備』と言われた、劉備さえも、すでに54歳で焦りか、益州への進軍は、道教集団五斗米道軍の反乱鎮圧という名目であった。 

三国鼎立のキー、動員兵力キャパは、曹操の魏は黄河、淮水、漢水流域を制覇でおよそ60万、孫権の呉は揚州と荊州北部でおよそ20万、劉備の蜀は、益州と荊州南部でおよそ16万、この大きな差の中でも三国鼎立は、地形で成り立った。 特に小さな国、蜀は、瓢箪のような形を成す二つの盆地、四川盆地と、その入口の漢中盆地が、生命線であった。

弱小国の蜀は、地の利にプラス、人材があった。 魏も人材は豊富であったが、蜀ほどではなかった。 呉は『赤壁の戦い』の後の余勢を駆って、軍師で名将の周瑜が益州の劉璋攻めにとりかかったが遠征途上で没した。

もともと人材不足の呉が、周瑜を失い、益州の遠征は頓挫、ここで強運の劉備の出番です。 蜀の人材は豊富です。 軍師に孔明・龐統、この時代の、『有名な二大軍師』、孔明・龐統は、在野にあった時代は夫々に臥龍(伏せた龍)鳳雛(鳳の雛)と畏敬の念で呼ばれていました。  勇名を馳せる将軍、関羽・張飛・趙雲、馬超と、曹操でさえも一人でもいいから欲しいと言っていたと。 軍師龐統は、益州の遠征途上で没した。

今回は、素晴らしい三国鼎立地図(地形のわかる)を見つけましたので、これを参考に、三国志の名場面を、吉川氏三国志(三国志演義ベース)と、北方三国志(正史三国志ベース)で比較してみたいと思いました。

(記事投稿日:2021/11/23、#430)

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