◎特高刑事らは半死半生の青峰を自宅へ送りとどけた
昨日は、小堺昭三『密告――昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、一九七九)から、早稲田署の留置場における嶋田青峰を描いている部分を紹介した。本日は、その続きである。
昨日、紹介した部分の後、次のように続く。
嶋田青峰はかつぎ出され、保護室の畳の上に、二つ折りにした座布団を枕に寝かされた。意識はほとんどなくなっていた。白い不精ひげにも血がこびりついていた。近くの東京女子医専(現在の東京女子医大)の内科医が往診した。特高刑事が立ち会った。
「どうしたんですか、これは?」
「どうもせんよ。留置場できゅうに血を吐いただたけだよ」
「どうしてこうなるまでほうっておいたか、と訊いているんです。これは肺結核です。しかも末期症状だ。からだはもうボロボロになっていますね」
「つまり、命に別条があるというのかね」
「留置するときに、医師に診察させなかったんですか。それは無茶だ」
特高刑事らは協議し、ただちに寝台車で半死半生の青峰を若松町の自宅へ送りとどけた。留置場内で死なれては、有名な俳人であるだけに責任問題にもなりかねないからだ。
青峰は白蠟のような顔色で、眼には生気がなく、声はかすれてしまっていた。これが「先生のようなご老体は、あたたかくして大事にします」と刑事が約束した――大事にされた結果の哀れな姿だった。体重はミイラほどもなかった。
正装して出ていったときの羽織袴は汚れ、臭くなっていた。フクは涙で眼をうるませながら、その着物や襦袢をタライに投げこみ、薬罐の熱湯をそそいだ。すると、たかっていた無数のシラミが、白い死体となって浮きあがった。
それっきり嶋田青峰は気息奄々〈エンエン〉で、寝たっきりになった。東京女子医専のあの内科医が一日おきにきてくれたが、希望がもてるようなことは言わずに帰っていった。青峰は家族にさえどういう扱いをうけたのか語らず、ひたすら一人で耐えているようだった。
「おとうさん、言いたいことがあるんでしょう? 語ってください」
洋一氏が枕もとにすわっても、
「気にするな。何事もなかった。あの朝鮮人の青年は、どうなったかなあ」
かすれる声で自分に呟いていた。
青峰は羽織袴で留置場内に端座しつづけていた。約束が違うじゃないか、あたたかい部屋に保護してくれ、とは一度も頼みはしなかった。威儀を正して出頭したのだから、警察もまた紳士的に迎えるのが当然で、こちらから頭をさげて頼む筋合のものじゃない。頼むくらいならこの留置場を死場所にしてもいい、名も知らぬあの朝鮮人の青年といっしょに……そう覚悟していたのである。
まるでコレラ患者が発生した家でもあるかのように、嶋田家にはだれも近づかなくなってしまった。『土上』には五百人余の同人や弟子たちがいた。入れかわり立ちかわりやってきて、玄関に他人の履物がならんでいない日はなかったし、ときには賑やかに宴会も催したものだが、訪れるものがばったり絶えたのである。高浜虚子や富安風生の使いのものが見舞いにくることはなかったし、古い友人たちさえ手紙の一本もよこさなくなった。〈一三四~一三六ページ〉
文中、「洋一氏」というのは、嶋田青峰の長男・嶋田洋一のことである(一九一三~一九七九)。この嶋田洋一もまた、著名な俳人で、早稲田大学在学中に、俳句誌『早稲田俳句』を創刊している。著書に、『俳句入門』(家の光協会、一九七八)がある。
ところで、嶋田青峰の受難を語る小堺昭三の筆は、きわめてリアルだが、小堺は、その取材先を明言していない。たぶん、主たる取材先は、長男の嶋田洋一だったのだろうが、この本には、洋一に取材している場面がなく、また、洋一から取材した旨の断りもない。要するに、この本は、完全なノンフィクションではなく、かなり「小説」に近いところがある。
小堺昭三『密告』については、まだ紹介したい部分が残っているが、明日は、話題を変える。