礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

海軍新兵「佐位郡は国定村でござんす」

2019-10-23 06:06:07 | コラムと名言

◎海軍新兵「佐位郡は国定村でござんす」

『戦線銃後 笑の慰問隊』という冊子(『講談倶楽部』一九三九年新年号付録)から、東秀蝶・林幹夫の「水兵漫才(学科の巻)」を紹介している。本日は、その三回目。
「兵」とあるのは、海軍兵曹長に扮した東秀蝶、「新」とあるのは、海軍新兵に扮した林幹夫である。

新『あゝ渋川から一時間、あすこですか、なあーんだ』
兵『なあーンだといふことがあるか』
新『良【い】いところで、御出産になりました』
兵『御出産は可笑【おか】しいな、……お前はどこだ』
新『直ぐ隣りです、前橋の先でございまして、佐位郡【さゐごほり】は国定村【くにさだむら】でござんす』
兵『ござんすはいかんよ――国定村か、忠治の生れたところだな』
新『へえ、けれども忠治とは赤の他人で……』
兵『あたりまへぢや――そこに親がゐるのか、越後にゐるのか』
新『越後にゐます……』
兵『皆、まめか』
新『いえ片まめで……』
兵『片まめ……片まめとは何だ』
新『片親のことです』
兵『ハヽヽ、どつちがないのか』
新『お父君がゐないのです』
兵『お父君【ちゝぎみ】といふのか』
新『いゝえ、ちやんですよ』
兵『馬鹿、お父【とう】さんだ』
新『アツお父さんです』
兵『さうか、お父さん病気で歿【な】くなつたか』
新『いゝえ病【やまひ】で』
兵『病【やまひ】は病気だよ』
新『アレツ、いつからさうなりました』
兵『先【せん】からさうだ、どういふ病気で死んだか』
新『知りませぬ』
兵『では親子離れてゐたのか』
新『一緒にゐたんですがね』
兵『そんなら分りさうなものぢやないか』
新『私が赤ン坊の時ですから……』
兵『それでは分らない訳だ、そんなに早くお父さんに別れたのか』
新『さうです、どうか御同情を願ひます』
兵『うむ、人一倍同情をする』
新『有難うございます』
兵『乃公【おれ】も親がない』
新『おや、ちよぼちよぼでございますか』
兵『何だちよぼちよぼとは……』
新『同じでございますか』
兵『十一歳の時に母に別れ』
新『お母さんに、へえー』
兵『十六歳で父親に別れた』
新『両親【ふたおや】ともないので、ヤレヤレお可哀さうですね』
兵『何だヤレヤレとは……片親でもあれば、お前の方がはるか仕合【しあわせ】である、軍務中親に心配をさせるな』
新『有難うございます、安心をさせて、小遣も送らせんことにいたします』
兵『先廻りをするな――それではお母【かあ】さん一人きりか』
新『イエ、兄【にい】さんと姉【ねえ】さんと妹と居ります』
兵『あゝ兄妹【きようだい】四人か』
新『イエ三人です』
兵『でも兄と姉と妹とお前とでは兄妹四人ではないか』
新『イエ、姉さんは兄貴【あにき】の嫁ですから……』
兵『嫁は、そんなら初めからさう言へ』
新『ですから三人と申上げたのでエツヘツヘ……姉さんといつても私【わたし】より年は下です。元は私のことを、兄さん兄さんといつてゐましたが、嫁に来たのですから、あべこべになつてしまつたので、嫌ぢやありませんか』
兵『何が嫌ぢやありませんかだ、さういふことは幾らでもある、伯母【おば】さんといつても、自分より年の下の人もある、広い世の中だからいろいろだ』【以下、次回】

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