◎「近衛上奏文」の原文と流通している本文(その2)
昨日の続きである。昨日、「近衛上奏文」の原文と、流通している本文とは、おそらく異なるものであろうと述べ、さらに、「流通している本文」のひとつとして、『終戦秘録2』(北洋社、一九七七)に収録さているものを紹介した。
本日は、「流通している本文」のうち、異なるバリエーションのものを紹介してみたい。紹介するのは、大谷敬二郎著『にくまれ憲兵』(日本週報社、一九五七)に載っているものである。大谷敬二郎は、戦中、東京憲兵隊長の要職にあり、吉田茂らヨハンセン・グループの取調べに当たった人物である。その著書『にくまれ憲兵』の冒頭には、「吉田茂逮捕の真相」という章があり、その章末に【註】として、「近衛上奏文」の全文が紹介されている。「近衛上奏文」の「流通している本文」のひとつとして、紹介しておく価値はあるだろう。
『にくまれ憲兵』にある「本文」では、おおむね新漢字が使用されているが、「ソ連」の連、「連盟」の連のみは、旧漢字が使われている。ここでも、その形で引用した。「国体」という熟語については、引用にあたって、旧漢字に戻した。【 】内は、『にくまれ憲兵』の「本文」における原ルビを示している。
【註】
昭和二十年二月十四日 近 衛 文 麿 上 奏 文 案
敗戦は遺憾ながら、最早、必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。
敗戦は我国体の一大瑕瑾【かきん】たるべきも、英米の輿論は、今日迄の所、國體の変更にまで進み居らず、(勿論、一部には、過激論あり、又、将来、いかに変化するかは測知し難し。)従つて、敗戦だけならば、國體上は、さまで、憂ふる要なしと存候。
國體護持の立前より、最も、憂ふべきは、敗戦よりも、敗戦に伴ふて起ることあるべき共産革命に候。
つらつら、思ふに、我国内外の状勢は、今や共産革命に向つて、急速度に進行しつゝありと存候。即ち、国外に於ては、ソ聯の異常なる進出に御座候。我国民は、ソ聯の意図を的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術、即ち、二段革命戦術採用以来、殊に、最近、コミンテルン解消以来、赤化の陰謀を軽視する傾向顕著なるが、これは、皮相安易なる見方と存候。
ソ聯が究極に於て、其周辺諸国には、ソヴィエット的政権を樹立せんとして、著々、其工作を進め、現に大部分成功を見つゝある現状に有之候。
ユーゴーのチトー政権は、其の最典型的なる具体表現に御座候。波蘭【ポーランド】に対しては、予め、ソ連内に準備せる波蘭【ポーランド】愛国者聯盟を中心に、新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押切り候。羅馬尼【ルーマニア】、勃牙利【ハンガリア】、芬蘭【フインランド】に対する休戦条件を見るに、内政不干渉の原則に立ちつゝも、ヒットラー支持団体の解散を要求し、実際上、ソヴィエット政権に非らざれば、存在し得ざる如く強要致候。イランに対しては、石油利権の要求に応ぜざるの故を以て、内閣総辞職を強要致候。瑞西【スイス】がソ聯との国交開始を提議せるに対し、ソ聯は瑞西【スイス】政府を以て、親枢軸的なりとして一蹴し、之が為、外相の辞職を余儀なくせしめ候。
米英占領下の仏蘭西【フランス】、白耳義【ベルギー】、和蘭【オランダ】に於ては、対独戦に利用せる武装蜂起団と、政府との間に深刻なる闘争続けられ、是等諸国は、何れも、政治的危機に見舞はれつゝあり。而して、是等武装団を指導しつゝあるは、主として、共産系に御座候。
独乙【ドイツ】に対しては、波蘭【ポーランド】に於けると同じく、已に、準備せる自由独乙【ドイツ】委員会を中心に、新政権を樹立せんとする意図あるべく、これは、英米にとり、今は頭痛の種なりと、存ぜられ候。
ソ聯は、かくの如く、欧洲諸国に対し、表面は内政不干渉の立場をとるも、事実に於ては、極度の内政干渉をなし、国内政治は親ソ的方向に引きずらんと為し居り候。ソ聯のこの意図は、東亜に対しても、亦同様にして、現に延安【えんあん】にはモスコーより来れる岡野(編集部註・野坂参三)を中心に、日本解放聯盟組織せられ、朝鮮独立聯盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連携、日本に呼びかけ居り候。
かくの如き形勢より推して考へるに、ソ聯は、やがて、日本の内政にも干渉し来る危険、充分ありと存ぜられ候。(即ち、共産党公認、共産主義者入閣――ド・ゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く――治安維持法、及び、防共協定の廃止等々)
翻つて、国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、日々、具備せられ行く観、有之候。即ち、生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一部の革新運動、之に便乗する所謂【いわゆる】新官僚の運動、及び、之を背後より操る左翼分子の暗躍等々に御座候。
右の内、特に、憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数は、我國體は共産主義と両立するものなりと信じ居るものゝ如く、軍部内革新論の基調も、亦、こゝにありと存候。皇族方の中にも、此の主張に耳傾けるゝ方ありと仄聞【そくぶん】いたし候。職業軍人の大部分は、中以下の家庭出身者にして、その多くは、共産的主張を受け入れ易き境遇にあり。已に、彼等は、軍隊教育に於て、國體観念丈けは、徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は、國體と共産主義の両立場を以て、彼等を引きずらんとしつゝあるものに御座候。
抑々【そもそも】、満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して、遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、是等軍部一味の意識的計画なりしこと、今や、明瞭なりと存候。満洲事変当時、彼等が、事変の目的は、国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も「事変は永引くがよろし、事変解決せば、国内革新は出来なくなる」と、公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。是等軍部内一味の者の革新の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚、及び民間有志(之を右翼といふも可、左翼といふも可なり、所謂右翼は、国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に、共産革命に迄、引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て、大過なしと存候。
此の事は、過去十年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り、交友を有せし不肖【ふしよう】が、最近、静かに反省しで到達したる結論にして、此の結論の鏡にかけて、過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思ひ当る節々、頗る多きを感ずる次第に御座候。不肖は、この間、二度迄、組閣の大命を拝したるが、国内の相剋摩擦を避けんが為、出来るだけ、是等革新論者の主張を採り入れて、挙国一致の実を挙げんと焦慮せる結果、彼等の主張の背後に潜める意図を充分に、看取する能はざりしは、全く、不明の致す所にして、何とも申訳無之、深く責任を感ずる次第に御座候。
昨今、戦局の危急を告ぐると共に、一億玉砕を叫ぶ声、次第に、勢を加へつゝありと存候。かゝる主張をなす者は、所謂右翼者流なるも、背後より之を煽動しつゝあるは、之により国内を混乱に陥れ、革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。
一方に於て、徹底的英米撃滅を唱ふる反面、親ソ的空気は、次第に濃厚になりつゝある様に御座候。軍部の一部には、いかなる犠牲を払ひても、ソ聯と手を握るべしとさへ論ずる者あり、又、延安との提携を、考へ居る者もありとの事に御座候。
以上の如く、国の内外を通じ、共産革命に進むべきあらゆる好条件が、日一日と、成長致しつゝあり、今後、戦局益々不利ともなれば、此の形勢は、急速に、進展可致と存候。
戦局の前進につき、何等か一縷【いちる】でも打開の望みありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込なき戦争を、之以上継続する事は、全く共産党の手に乗るものと存候。従つて、國體護持の立場よりすれば、一日も速かに、戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。
戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来、今日の事態にまで、時局を推進し来りし軍部内の、かの一味の存在なりと存候。彼等は、已に、戦争遂行の自信を失ひ居るも、今迄の面目上、飽く迄、抵抗可致者と存ぜられ候。もし、此の一味を一掃せずして、早急に、戦争終結の手を打つ時は、右翼、左翼の民間有志、この一味と響応して、国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成致し難き恐れ有之候。従つて、戦争を終結せんとすれば、先づ、其の前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。此の一味さへ一掃せらるれば、便乗の官僚、並に右翼、左翼の民間分子も、声を潜むべく候。蓋し、彼等は、まだ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達すんとするものに外ならざるが故に、基本を絶てば、枝葉は自ら枯れるものと存候。
尚、これは、少々、希望的観測かは知れず候へ共、若し、此等一味が一掃せらるゝ時は、軍部の相貌【そうぼう】は一変し、英米及び、重慶の空気或は緩和するに非らざるか。元来、英米乃至重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変り、その政策が改まらば、彼等としても、戦争継続につき考慮する様になりはせずやと思はれ候。それは、兎も角として、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行する事は、共産革命より日本を救ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断こそ、望ましく存候。以上 (原文のまま)
昨日、紹介した『終戦秘録2』所載の「本文」と、この「本文」とを比べると、句読点、改行、字句、表記などで、かなりの相違が見られる。
最も、大きな違いは、本日、紹介した本文には、「皇族方の中にも、此の主張に耳傾けるゝ方ありと仄聞いたし候」(下線)という一行があるのに、『終戦秘録2』所載の本文には、これがないというところであろう。この違いが、生じた理由は、いまのところ不明、「原文」に、この一行があったのか否かも不明。
なお、「勃牙利」に【ハンガリア】というルビがあるのは誤りであって、ここは【ブルガリア】と振らなければならない。また、「岡野」にカッコして、「編集部註・野坂参三」とあるのは、発行元である日本週報社の編集部の註であろう。
そもそも、この本においては、「近衛上奏文」自体が【註】という扱いになっている。この「近衛上奏文」に関する文責は、日本週報社編集部にある(大谷敬二郎にあるのではなく)と見るのが妥当かも知れない。