叔父の49日法要と、叔母の葬儀が重なりました。
先月亡くなった叔母の主人の49日の喪明けの法要があり、準備していたところへ、別の叔父の妻の訃報が来ました。二つの仏事が重なり、色々な想いが駆け巡りました。
仏教の7日ごとの逮夜は、極楽へ近づく過程とか、色々言われますが、悲しみの区切りをつける儀式としては、心理的な大きな意味があります。初めの二逮夜までは、感情がブロックした状態で、それから本当の悲しみ、そして次第に統合して忌明けを迎える。
一連の作業は、人の感情コントロールをうまく捉えたすぐれた儀式です。寺院組織の経済システムという人も居ますが、この49日の意味は7日ごとに人の心を回復させる大きな意味があると思います。
これは、あくまでも一般的な死の喪明けを意味するものであり、犯罪被害者等の場合は全く別物と考えています。また、同じ死でもその方の年齢によりまた捕らえ方も違うでしょう。
核家族化する中、田舎の年寄りの葬儀も取り仕切ることも分からなくなってきた今、葬儀社の意味も大きくなってきていると痛感しました。「おくりびと」以後何だか余計親切になってきたように思います。