風吹く豆腐屋

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ひねくれ者の独り言

2008-08-22 01:57:46 | Weblog
今FFⅩをやり直しています。
プレイ時間24時間でようやくナギ平原に到達しました。
「世界一ピュアなキス」のシーンが終わったところです。

僕がRPGが好きな理由のひとつに、
時間をかければ確実に強くなるという点が挙げられます。
強くなるのが分かっているから、レベル上げに時間を使えるんですよね。
頑張って敵を倒して何も成長がなければ、当然やる気も起きません(笑)

言うまでもないことですが、現実は違います。
尤も、もし時間をかければなんだって出来るようになる世界だったなら、
ある意味でそれはとても残酷な世界だとは思いますが。


「最近の若者は結果が約束されていないと動かない」と
非難する文章を昔読んだのを思い出しました。

現実としてそうなっているのかどうかはさておき、
「結果が約束されていないと動かない」ことの何が悪いのか、僕には分かりません。

ボランティアなんて、もしそれが一切の利害を超越したものだとするならば、存在しえません。
無償なんてものは言葉の上だけのもの。
それが純粋な気持ちから発生する行為であったとしても、打算的な思惑が全く絡まないとは言い切れません。

人間の行動はおよそ全て打算的であると思うんです。

上に挙げた「結果が約束されていないと…」というのも、
結果を考えた上での判断ならそれは理性的だし人間的だと思いませんか。

まぁ、その文章が何について論じてあるものだったか覚えていないのでなんとも言えませんが。



高校のとき、廊下に投げ捨てられているゴミを自発的に拾っていたら
「推薦でも狙ってるの?」と同級生に聞かれたことがあります。

・・・なんか無性に腹立たしかったのを今でも覚えています。

俗っぽい人間だと見られたことに腹を立てたのは確かにあるでしょうが、
それだけではないような気がするんです。

僕の気持ちに打算的な意図が少量でも含まれていたからではないかと思いました。
例えば「先生からの心象を良くしよう」というような。
もちろん、推薦を狙うためとか、心象をよくするために
そんなことをしていたわけではありませんが、
隠されていた本心を暴かれたように感じたのかなって。


 
現在、僕は100パーセントの善意なんてものは存在しないと思っています。
信じたいとは思います。
だけど、それは見ることも触ることも存在を証明することすらもできないもの。
おそらく僕は一生その存在を信じられないまま死んでいくだろう・・・


こんなことを考えるって性格歪んでるのかな(笑 ?