7歳だった僕は、母に尋ねました。
「ねぇ、死んだ後に閻魔様に舌を抜かれないようにするにはどうしたらいい?」
僕はサンタクロースは信じていていませんでした。
というか、現金な子供だったから、
プレゼントさえ手に入るならどうでもよかったんです。
でも不思議なことに閻魔大王の存在は信じていました。
こっちはサンタと違って自分に害を及ぼしうるから、他人事じゃなかったんですよね(笑
そのときの母の返答は、僕を落胆させました。
「さぁ?これから嘘をつかないようにしたら?」
だって、閻魔様は生きている間の様子を映す鏡を持っているんだよ?
これまでについた嘘はどう償えばいいの?
お母さんは僕の舌が抜かれようとどうだっていいんだ・・・
不満はありました。
でも、嘘をついて母に怒られた後だったので、反論も出来ず、
ぐっと言葉を飲み込んだ覚えがあります(笑
嘘には2種類あると思っています。
「自分を守るためにつく嘘」と「誰かを守るためにつく嘘」の2つ・・・ではありません。
「他人につく嘘」と「自分につく嘘」の2つです。
「自分を守るためにつく嘘」も「誰かを守るためにつく嘘」も「他人につく嘘」に分類されます。
弱さから生まれた嘘であろうと、善意から生まれた嘘であろうと、構造はそれほど違いません。
他人に偽った情報を伝達するというだけ。
一方、自分につく嘘はだいぶ毛色が違います。
真は偽の逆としか定義できないし、偽も真の逆としか定義できません。
主観的な評価しか出来ないんです。
だから、嘘をつけば真と偽が簡単に逆転します。
モーターの中のコイルみたいにくるくると。
そうなってくると、
「真だったもの」が本当に真だったとは限らないし、「偽だったもの」が偽だったとも限りません。
自分にしか分からない世界のことだから、
一度でも自分が自分に嘘をついてしまうと、もはや誰にも事実を知ることが出来ません。
最悪なのは、それにも関わらずその自覚症状が無いことなんだけど!
閻魔が罰するのは、「他人につく嘘」の「自分を守るためにつく嘘」に限るんでしょうか。
これにも色々な種類がありそうですが、性質の悪いのが多いでしょうね。
尤も、「善意から生まれた嘘」だって良いものばかりではありません。
下手すれば、「弱さから生まれた嘘」以上に人を傷つける事だってあります。
閻魔の持っている鏡は気持ちまでも映し出すそうです。
嘘の罪深さは、「どれだけ人を傷つけたか」で測るべきでしょうか。
ただ1つ確実なのは、「自分が自分につく嘘」は閻魔には罰されないということ。
本人は勝手に混乱して苦しむので、それ以上苦痛を強いる必要がありません。
そもそも害も小さいだろうし。
思想の自由は憲法にも保障されていることですしね
・・っていくら「閻魔」が日本のものであってもそれは通用しないか(笑
そういえば、賞味期限切れの商品を集めて安売りしているスーパー?があるそうです。
そういう逆転の発想、素晴らしいと思いませんか?
うちの近くにあるなら、喜んで買いに行くんだけど(笑