昔読んだ児童文学に面白いシーンがありました。
印象的だったので今でも覚えています。
少年がAIに「楽しい」という感情を教えようとするのですが、
語彙の乏しい少年は上手くそれを伝えることが出来ません。
話しているうちに、AIは「楽しむためにはお金が必要である」と判断し、
オンライン口座から不法にお金を引き出そうとします。
少年はあわててそれをやめさせますが、
そのAIの意見を強く否定できないことに戸惑いを覚えます。
少しずれますが、マズローの欲求段階説を考えてみます。
あの有名なピラミッドでは低いほうから
【生理的欲求】→【安全の欲求】→【所属と愛の欲求】→【承認の欲求】→【自己実現の欲求】
の順に欲求が階層構造をなしています。
では、「楽しみたい」という欲求はどこに分類されるんでしょう。
いや、そもそも人は何をもって楽しいと感じるんでしょうか?
ヒトは社会的な生き物だから、
欲求段階のピラミッドで言えば上層の欲求が満たされたときに「楽しい」と感じることが多そうです。
例えば、自己実現。
自分の能力を発揮できて楽しい。
これに疑問を呈する余地はありませんよね。
でも、この社会で生きている限り、そのためにはお金が必要です。
一番低い層にある生理的欲求を満たすために、まずはお金が必要です。
それが満たされていないことには上層の所属・愛・承認・自己実現などが満たせるはずもありません。
そう考えてみて、思うんです。
やっぱり、そのAIの意見は間違っていない、って。
"楽しむためにはお金が必要"
否定したくても否定できないのが現実です。
もちろん「楽しいこと」の100%がそうだとは言いませんが・・。
お金がなくたって楽しむことができる。
そんな反論があるかもしれませんが、
それはその人にとって十分なお金があると言うことなんでしょう。
お金は自分が常々考えているテーマのひとつです。
きれいごとや理想論ばかり並べられると反発してしまいます。
そして僕にはそんな人たちを非難するだけの権利があるのかどうか、考え込んでしまいます。
・・・バイトでたまったお金を使うかどうか考えあぐねているうちに
変な方向に進んで行ってしまいました。
「貧乏性」って嫌なものですね。
印象的だったので今でも覚えています。
少年がAIに「楽しい」という感情を教えようとするのですが、
語彙の乏しい少年は上手くそれを伝えることが出来ません。
話しているうちに、AIは「楽しむためにはお金が必要である」と判断し、
オンライン口座から不法にお金を引き出そうとします。
少年はあわててそれをやめさせますが、
そのAIの意見を強く否定できないことに戸惑いを覚えます。
少しずれますが、マズローの欲求段階説を考えてみます。
あの有名なピラミッドでは低いほうから
【生理的欲求】→【安全の欲求】→【所属と愛の欲求】→【承認の欲求】→【自己実現の欲求】
の順に欲求が階層構造をなしています。
では、「楽しみたい」という欲求はどこに分類されるんでしょう。
いや、そもそも人は何をもって楽しいと感じるんでしょうか?
ヒトは社会的な生き物だから、
欲求段階のピラミッドで言えば上層の欲求が満たされたときに「楽しい」と感じることが多そうです。
例えば、自己実現。
自分の能力を発揮できて楽しい。
これに疑問を呈する余地はありませんよね。
でも、この社会で生きている限り、そのためにはお金が必要です。
一番低い層にある生理的欲求を満たすために、まずはお金が必要です。
それが満たされていないことには上層の所属・愛・承認・自己実現などが満たせるはずもありません。
そう考えてみて、思うんです。
やっぱり、そのAIの意見は間違っていない、って。
"楽しむためにはお金が必要"
否定したくても否定できないのが現実です。
もちろん「楽しいこと」の100%がそうだとは言いませんが・・。
お金がなくたって楽しむことができる。
そんな反論があるかもしれませんが、
それはその人にとって十分なお金があると言うことなんでしょう。
お金は自分が常々考えているテーマのひとつです。
きれいごとや理想論ばかり並べられると反発してしまいます。
そして僕にはそんな人たちを非難するだけの権利があるのかどうか、考え込んでしまいます。
・・・バイトでたまったお金を使うかどうか考えあぐねているうちに
変な方向に進んで行ってしまいました。
「貧乏性」って嫌なものですね。