風吹く豆腐屋

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本音、建前、ゆで卵

2010-03-14 18:37:12 | Weblog

「その体験から僕が体得したのは、たったひとつの基本的な事実でしかなかった。
それは、僕という人間が究極的には悪をなし得る人間であるという事実だった。
僕は誰かに対して悪をなそうと考えたようなことは一度もなかった。
でも動機や思いがどうであれ、僕は必要に応じて身勝手になり、残酷になることができた。
僕は本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、もっともらしい理由をつけて、
とりかえしがつかなくなるくらい決定的に傷つけてしまうことのできる人間だった。」



「羊をめぐる冒険」の最後に主人公が腹を立ててギターを壊すシーンがあります。
感情の浮沈が少なく、何を考えているのやらよく分からない「僕」が感情を表に出す数少ないシーン。
個人的にとても好きな箇所です。

誰しも本音を隠しながら生きているもの。
「僕」が普段は本音を押し殺しているのか、
感情を表出しない生き方が自然体なのかは分かりません。
いずれにせよ、その暴力的なシーンにカタルシスのようなものがあるのは確かです。


ところで、本音と建前ってきれいに分類されるものなんでしょうか。
自分のことを考えてみても、何が本音で何が建前なのか境界がよく分かりません。
 

ふと、殻をむきかけのゆで卵が思い浮かびました。

殻に一切ひびが入っていなければ、
もしかしたら中身は生だったり半熟だったりするかもしれないけど、
部分的に割れた所からつやつやした白身が見えていたらちょっと安心感があります。
少なくともそこは殻じゃないし加熱された後なのが分かるから。

ベストな人間関係ってひとそれぞれだろうけど、
殻をきれいに全部取り払ったゆで卵状態はありえないだろうな、とふと思いました。