昔はしあわせの閾値が低かったなと最近よく考える。
幼いころは親の買い物について行っておまけつきのお菓子を買ってもらえるだけで嬉しかった。
小学生のころも、金曜日とかに夜更かししてゲームしてるだけでわくわくした。
・・でも、もう二度と、そんな気持ちになることなんてない。きっと。
生きている世界自体狭かったし、見えるものだけがすべてだと思ってた。
今そうでないのは大人としては当然のことだけど、
そういうことを考え始めるとなんだか少し切ない気分になる。
幼いころは親の買い物について行っておまけつきのお菓子を買ってもらえるだけで嬉しかった。
小学生のころも、金曜日とかに夜更かししてゲームしてるだけでわくわくした。
・・でも、もう二度と、そんな気持ちになることなんてない。きっと。
生きている世界自体狭かったし、見えるものだけがすべてだと思ってた。
今そうでないのは大人としては当然のことだけど、
そういうことを考え始めるとなんだか少し切ない気分になる。
例えばお菓子と花束で考えると、大多数の子供はお菓子の方を選ぶだろうけど、大人はそうではないと思う。
でも感情の起伏の振れ幅はよくも悪くも小さくなったな。子供は本能で行動するのに対して、大人は理性で以て行動するから仕方ないのかもしれないけど。
それは多くの場合、年齢的な制約というよりは失われて初めて・・ってやつじゃないかな?
でも、そういう要素も多分にあるよね。
>【ず】が落ちた?
なんというかなぁ・・子供のころに感じたほどの高揚感がないように感じるんだよね。
ゲームが悪くなったというのもあるのかもしれないけど、やはり主観的要因のほうが大きいと思うんだ。
人と比較できないものだから何とも言えないんだけどねぇ。
>モナ王
ありがとう!
でもこれが詩なら全ての人は詩人たりうる(笑
>Kenkichiさん
確かに。嗜好のシフトはありますね。
ただ僕が今回思ったのはそれとはちょっと違うんです。
子供はパソコンでいうところの「メモリ」が少ないから、しょうもないことですぐにメモリがいっぱいになって幸せや悲しみに変わる。
一方、たくさんの経験を積んだ大人はその分メモリが大きくなり、少々のことで動じなくなって感情も動かない・・・というような。
感情の起伏の振れ幅が小さくなることをちょっと違う視点から見た感じです。