私(ACS藤沢校責任者)は、もう十分立派な(つまり年長者ってこと)大人ですが、そんな私がまだ中学生だったころ、尊敬していた先生に言われたことがあります。
その頃の私は、当たり前ですが、まだ子供でしたのと、結構甘えた性格であったのとで、何事に対しても熱心さに欠ける様なところがあって、そのため先生から見たら、それが随分と歯がゆくもあったのだと思います。
勉強などの成績はそれほど悪くもなかったのに、更に上を目指そうという気概が見られない、典型的な中途半端人間でした。
他の先生は、そういう私に接してあれやこれやアドバイスをくれたり、おだてたりすかしたりといった手を用いて、何とか私のやる気を引き出そうと努めてくれていた中、その先生だけがいつも無言で私を見ていました。
私からすれば、その先生は自分の実力を知っていて、だから余計なことを言わないのだと勝手に思、いい気になっていたのですが、ある日の保護者を交えた面談で、そんな甘えた考えが思い切り叩き壊されました。
先生は言いました。
「君が今何をどうしようと、そのために君の将来がどうなろうと、そんなこと、教師の私には本当はどうでもいいことなんだよ。やる気がなければやらなけりゃいいし、やらない言い訳なんかいちいち聞きたくもない」
今思えば、それは一種の方便であって、そういう言い方をして私の中の何かを変えようと考えていたのかもしれないのですが、それでもその時の先生の態度や言い方は、それが先生たちの偽らざる気持ちでもあるという感じをかなり強烈に私に植え付けました。
子供のことゆえ、その一言が直ちに私の行動を促すに至ったわけではありませんが、しかし、その時から深く静かに私の中の何かが変わって、少しずつではありましたが、自分で考え、自分の責任で行動する気持ちが芽生えたように思います。
今の子供たちにも昔の私によく似たタイプの子が少なくありませんので、いつか何かの機会を捉まえて、「甘えるな。君がなにをどうしようと、そんなこと、私にはどうでもようことなんだよ」といってやりたい気がしないではないですが、果たして何人の子が、その一言でたとえ幽かでも変化の兆しを見せてくれるでしょうか。
教室内で、休み時間に楽しそうに談笑している生徒たちの顔を見ながら、ふとそんなことを考えました。