アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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北朝鮮難民とネカフェ難民にとっての「奴隷の平和」

2007年07月21日 11時41分16秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 川人博著「金正日と日本の知識人」(講談社現代新書)という本を読みました。この本は、今年に入って「諸君!」「週刊朝日」誌上などで繰り広げられた川人博・姜尚中の両氏の間の公開論争を、川人氏の側からまとめたものです。川人氏は著書の中で、姜尚中を初め佐高信・水島朝穂などの日本の知識人が唱えてきた「戦後平和主義」が、北朝鮮・金正日独裁体制やその下での拉致・人権抑圧については、それを隠蔽・温存する作用を果たしてきた事を指摘し、「正義なき平和」ではなく「正義・人権に基づく平和」こそが大切だと力説しています。

 私がこの本を読んで思った事は、姜尚中氏などに対する聊か感情的とも取れる「ラ帝」的物言いは確かに感じるものの、川人氏の主張そのものは、人権派弁護士としては至極真っ当な事を言っているに過ぎない、という事です。ネオコンが主導し近年までブッシュ政権が主張していたような「イラク戦争」型の北朝鮮介入については明確に否定した上で、「かつて南アのアパルトヘイトやチリのピノチェト軍事政権を追い詰めた様に、北朝鮮の人権抑圧体制も国際世論の力で追い詰めよう」と言っているに過ぎないのですから。

 ただ疑問に思うのは、北朝鮮との宥和を説き「正義なき平和」を主張しているとされる姜尚中氏についても、それを乗り越え「正義・人権に基づく平和」を希求するという川人博氏についても、今の憲法9条やそれに基づく平和主義を、「自国さえ平和であれば良い」とする「一国平和主義」「奴隷の平和」と看做している、という点です。

 確かにそういう「一国平和主義」「奴隷の平和」的側面はありました。社会党・社民党の根深い旧ソ連・中国・北朝鮮盲従路線や、共産党の自主独立路線とは裏腹の帰国者問題・拉致問題に対する煮え切らない態度なども、その背景をたどると、この「一国平和主義」の問題に行き着くのでしょう。しかし、憲法9条が説く平和思想そのものは、そんな独りよがりで薄っぺらい代物だったでしょうか。今まで生協活動を通して原水禁運動にも参加してきた私としては、それが非常に不満に感じる点です。

 原水禁運動も、初期の頃には、在日コリアンなど外国人被爆者の存在を無視し排除すらしようとしてきた、そういう側面がありました。しかし、運動の国際的広がりとともに、そういう側面は次第に払拭されていきました。
 自からは被爆者・被害者ではあるが、同時にアジアとの関係では侵略者・加害者の一員でもあった事。被爆に苦しんでいるのは自分たちだけではなく、ネバダ・セミパラチンスク・マーシャル諸島など海外にも同じ様に苦しんでいる被爆者がいる事。それらの人々も含めた国際世論の力で、核兵器の占有も拡散も許さない状況を作り出していこうとしている事。その中で、米国・フランスの核実験だけでなく旧ソ連・中国・北朝鮮にも抗議するようになった事。
 そして何よりもまして、平和とは単なる戦争のない状態を意味するのではなく、戦争・地域紛争・テロの背景となる差別・抑圧・搾取の仕組みそのものを廃絶して、公正で民主的な世界を目指そうとしている事。これらが現代日本の平和運動の到達点であり、未だに大国意識や核抑止論を完全に払拭出来ていない欧米の平和運動と比べても、その先進性は秀でている事。
 これらの事実をきちんと踏まえている限り、先の久間・元防衛相の「原爆投下しょうがない」発言にしても、ここで今取り上げている「奴隷の平和」論にしても、そもそも介在する余地がない筈です。

 もっと言うならば、そういう「奴隷の平和」的側面は、そもそも一体誰が作り出してきたものでしょうか。かつて朝鮮戦争・ベトナム戦争に加担し今もイラク戦争に加担し続ける為に、平和運動から搾取廃絶や国際連帯の視点を抜き去り、社会党などを抱き込み骨抜きにし、第三世界の搾取の上に胡坐をかいた「自国中心」で「経済成長至上主義」の「無害な平和運動、奴隷の平和」を進めてきたのは、ケネディー・ライシャワーや吉田茂・池田勇人といった歴代の米国政府・イデオローグや日本の自民党政府じゃあないですか。
 それに取り込まれた社会党などの責任は勿論あります。しかし、己たちがさんざん憲法9条の平和思想を歪曲してきたくせに、今また北朝鮮問題を利用して、その罪までも憲法9条に擦り付けるかの様な言説には、大きな違和感を感じます。

 そして、北朝鮮・拉致問題に取り組んでいる人が全てそうだとは言いませんが、その中の少なくない人が、「悪の枢軸・北朝鮮」から「平和で民主的な日本」を守るというロジックを展開されています。しかし私に言わせれば、それこそ「奴隷の平和」の最たるものではないでしょうか。「自由と繁栄の弧」か何か知りませんが、そういう「下見て暮らせ傘の下」的思考とも紙一重の、小泉・安倍茶番政治の隠蔽でしかない欺瞞的な民主主義の説教を聞かされる度に、はっきり言って、マジでムカつきます。
 ワーキングプアがいいように小突き回され搾取され、ネカフェ・マクド難民が巷に溢れ、グッドウィル折口や御手洗経団連や赤城・丸珠デタラメ香具師たちだけがほくそえんでいる国の、一体何処が「平和で民主的」なのでしょうか。「奴隷の平和」って、一体何処の国の、誰についての話ですか。北朝鮮強制収容所の?それとも日本の偽装請負現場の?弾丸こそ身近に飛び交わないものの、既に日本も充分「戦場」ではないでしょうか。こういう人にとっては、赤木智弘氏の叫びなども全然理解出来ないのでしょう。人に愛国心の説教を垂れる前に、きちんと食わせろ!生きさせろ!人を機械の部品扱いするな!

 平和とは、つかの間の「奴隷の平和」などではなく、戦争や民族対立の背景となる差別・搾取・人権抑圧や、その現われである覇権主義・大国思想そのものが廃絶・止揚された状態を指す筈です。つまり、平和と人権・正義・自由・平等といった概念は決して対立するものではなく、そもそも両者は互いに不可分なものである筈です。そうであればこそ、米国がかつてアジアや中南米で行い今も中東その他で続行している「汚い戦争」にも、旧ソ連のチェコ・アフガニスタン侵略や、中国の天安門事件を初めとする人権抑圧や、大国のエゴによって泳がされてきた金正日・ポルポト・タリバン・ボカサ・アミンなどの蛮行も、ともにダブルスタンダードなく糾弾・告発されなくてはいけないし、北朝鮮のコッチェビ(難民孤児)も日本国内のネカフェ・マクド難民も、ともに救済されなければならない筈です。

 川人博弁護士は、過労死問題にも拉致問題にも取り組んでおられます。そういう点では、藤原信勝や佐藤勝巳などの諸氏とは明らかに一線を画しています。また、川人氏が著書の中で引用された、在日コリアン・イラク人質バッシングを戒める横田滋・早紀江夫妻の発言にも、非常に気高いものを感じます。「平和か人権か、ではなくて、平和も人権も」「国際世論の力によって独裁者を追い詰める」その言や非常に好し。

 しかし、そうであるならば尚更の事、「救う会」系人士による改憲・歴史修正主義・イラク戦争・自衛隊市民監視活動擁護などの言説や、その支援者たちが陰に陽に繰り返している個々の在日コリアン・イラク人質・その他社会的弱者に対するバッシングやバックラッシュ的言説に対しても、北朝鮮・拉致問題に対するのと同等に、「人権」的立場からの批判がされて然るべきではないでしょうか。然るに川人氏の論考には、政府御用に走り内紛に明け暮れる今の「救う会」運動の現状や、自衛隊市民監視活動を公然と擁護する荒木和博氏の論考に対しても、余りにも手放しに美化し過ぎているとしか思えない記述も散見されるのが、気になる点です。
 これが「左派のダブルスタンダード」とは裏返しの「右派に対するダブルスタンダード」でなければ良いのですが。「別個に進んで共に撃つ」という事は、決して「馴れ合い」や「追従」と同じではない筈です。 
コメント (5)
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