アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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雨宮処凛ぶっちゃけトーク

2007年07月22日 10時04分08秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 先日の記事でも告知していた7月21日の「格差・貧困ぶっとばそう!若者たち、あつまれ!雨宮処凛ぶっちゃけトーク」に参加してきました。
 雨宮処凛(あまみや・かりん)と言えば、アキバ系のコスプレで有名な女流作家で、一時は右翼系の愛国バンドの一員として「ミニスカ右翼」の異名を取った事もあったのが、それが近年はワーキングプアの取材を通してすっかり左傾化し、フリーター・デモやこの前のアキハバラ解放デモにも参加した、そういう人です。この人については色々毀誉褒貶もあるようなので、一体どういう人物なのか見てきてやろうと思って、わざわざ有休を取って参加してきました。

 会場のエル大阪(府立労働会館)7階大会議室には早めに着きました。行ったら、部屋の隅の方で、黒のベレー帽をかぶってコスプレに身を包んだ人が椅子に座っていたので、誰が雨宮さんか直ぐに分りました。
 そうこうしているうちに開演時間となり、気がつくと最初はガラガラだった室内ももう満席状態。大体70名ぐらいはいたかなあ。男女比は6対4ぐらいで、そのうち20歳代と思しき若者は約10名ぐらいか。フリーターの参加者は意外と少なかったです(これは後で司会者が聴衆に挙手で聞いた時に初めて分った)。そして、関西テレビなど数社が取材に来ていました。

 このトーク・イベントを主催したのは「なかまユニオン」という団体で、そこが全交(平和と民主主義をめざす全国交歓会)やGSユアサ労組といった団体と共催だったので、もらったレジュメも全交友好団体の機関紙(週刊MDS)やら集いの勧誘やらイラク・サナTVの宣伝やらでてんこ盛りでした。最後のイラクTVにしても、民衆自らが立ち上げた自主放送のTV局という事で、これはこれで非常に意義の在る事だと思うのですが、何やら全交の宣伝の一環として行われたので半分興ざめ。ただ、全体レジュメがちゃんと用意されてあったのは良かった。この手の催しでそういうモノが用意されていないと、全体の議論の流れが全然分からなくなりますから。

 それで最初の30分はGSユアサ労組の紹介があって、その後「なかまユニオン」の人の司会で、雨宮さんの自己紹介・「なかまユニオン」の人との共同司会の形で、トークが始りました。だから、完全なフリートークではありませんでした。質疑応答も、配付された質問通告用紙に記入してスタッフに提出して、それをユニオンの人が読み上げて雨宮さんが答える、という形で進んだので、質問も10個ぐらい取り上げるのが精々といった状態で。しかもそのユニオンの人が、こういう司会進行に慣れていないのだろうと思いますが、はっきり言って盛り上げ下手。以前コカンホさんが京都の法然院で太田昌国さんを囲んでやったような、車座になって(それが無理ならせめて円卓形式で)、直に質問を交わす形でのフリートークにした方が良かったのでは、と思いました。

 質問の内容はいくつか出ましたが、いずれも「若者の意識を変えるにはどうすれば良いか」とか、そういう内容ばかりでした。そう言えば、後で挙手でとったアンケートからも、このイベントに参加したフリーターは余りいなくて(約10名ぐらい)、後は労組とか教員とか主婦とか、全交つながりのNGO関係者や学生などが中心だった事が伺えました。私みたいにインターネットを見てふらりと参加したフリーターは余りいませんでした。イベントの内容自体は決して見劣りしないものだと思うので、ここは早急に改善すべき所でしょう。

 私も質問を投げかけてみました。先日ウチの職場で、休憩中の雑談で最低賃金の話題になった時に、「公明党(?)や共産党がしきりにこの問題を取り上げているが、そんなモン選挙対策でしかない、最低時給千円など実現しっこない(出来る訳が無い)」という諦めとも捨て鉢ともいうべき意見が、ある親父バイトから出た事、それに対して私が、その親父発言の余りにも「井の中の蛙」「下見て暮らせ」ぶりに腹を立てつつ、ドイツやフランスの最低賃金が時給千円相当である事や、今の日本では大企業だけがワーキングプアの困窮と引き換えに一人勝ちしている事などについて発言した事。これらを簡単に説明した後で、何故この様な、格差・貧困を生み出している元凶(政府・財界・国際資本)にストレートに怒りが向かわずに、「そんな事を言う奴は偽善だ」みたいなネットウヨクみたいな捉え方に流れて、挙句の果ては「下見て暮らせ傘の下」で互いに愚痴を言い合い溜飲を下げあうだけで終わってしまうのか、という趣旨の質問を用紙に書いて出しました。

 その私の質問が取り上げられて、雨宮さんが答えた事は、「今のワーキングプアの現状からすれば、より下と比較するしか仕方が無いからではないか」という事でした。今更正社員と比較しても惨めになるだけなので、「アフリカや北朝鮮の難民と比べたらまだマシだ」と自分に言い聞かせて、それで我慢を重ねているのでは、という事です。
 だけど、実際には日本国内にも「第三世界」が広がっていて、ハリケーン・カトリーナに被災した米国ニューオーリンズと同じ様な状況に置かれているのに、その事に気付かない(実際には薄々気付いてはいるのだがそんな惨めな自分を認めたくない)。そして、そういう惨めで不安定な自分の気持ちを紛らわせる為に、(かつての雨宮さんと同じ様に)右翼的なモノに接近していくのではないか、という趣旨の事を仰っていました。右翼が本当に攻撃するのは民主主義や人権だけであって、資本の搾取や国家権力の暴力といったモノは右翼の攻撃対象からは巧妙に外されているにも関わらず、「既成概念を否定する」という上辺だけのポーズに眩惑されてそれに靡いてしまう、という事のようです。

 それと似たような「何故若者が右翼的なモノや小泉的なモノに絡め取られていくのか」という質問もありました。それに対して雨宮さんは、これも以前に拙ブログやかつての拙掲示板で出た意見とも共通するのですが、「自社さ連立内閣が誕生して阪神大震災やオウム事件が起こった1995年頃を境にして、それまでの既成の価値観が通用しなくなり、それに変わって今まで陽の目を見なかった価値観が注目されるようになった」「それが自分にとっては靖国史観であり愛国パンクバンドであった」「最初は新左翼の集会に出掛けていったのだが、彼らの言う事は難しくてよく分らない、それに対して右翼の主張は愛国一本槍の単純なものだったので、自分にとって非常に分りやすかった」「当時は自分の生き辛さをそういう思想で誤魔化していた」という趣旨の事を言われていました。

 後変った質問としては、雨宮さんのコスプレ・ファッションや処凛というペンネームの由来について、というのがありました。それに対しては、コスプレ・ファッションは街頭でのキャッチセールス防止用(余り変な格好をしている人には寄って来ない)、処凛は当時就いていた人形作りの仕事で手がけた人形に付けた名前、なのだそうです。

 そして最後の所で、「プレカリアート」(注)という言葉の由来や、「高円寺ニート組合」や「素人の乱」について、例の三人デモとかクリスマス・六本木ヒルズ粉砕闘争などの取組みについて、紹介されていました。その中で私の印象に残ったのが、次の言葉でした。

★仕事で死ぬほどバカらしい事は無い。死ななければならないほど値打ちのある仕事などは無い。
★フリーターはバラバラだからこそ繋がった時は面白い事になる。ニートとフリーターでゼネストをやろう!
★暴動は既に起こっている。散発的に、暴発という形で。既に100万人のヒキコモリが労働を拒否して立てこもり、85万人のニートが無言のストに立ち上がっている。

 こういう取組みは、別に雨宮さんに限らず、もっと広がって良いと思います。現状では、労働基準法や生活保護法や各種減免措置の存在すら知らず(知らされず)に、自己防衛や闘う術も知らされないまま、プレカリアート(ワーキングプア)が余りにもいいようにあしらわれている。そんな状態のままで、いつまでもされるがままにいられる訳がありませんし、そんな事が許される筈もありません。先述の司会進行の問題など早急にクリアして、もっとこういう取組みを広げていかなければならない。そう感じました。

(注)プレカリアート:イタリア語のPrecario(プレカリオ:不安定な)とProletariato(プロレタリアート:労働者階級)を掛け合わせた造語。直訳すれば「不安定さを強いられたプロレタリアート」という意味になる。即ちワーキング・プアの事。最初はイタリアで路上の落書きとして現れ、そのうちにユーロ・メーデーや反グローバリズム運動の場などで広く使われるようになった。
コメント (3)
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