アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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私が柳本あきら事務所に送ったメール全文

2015年11月11日 22時14分41秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 今度の大阪ダブル選挙ですが、これまでブログに書いたように、私は反維新の立場から、府知事選挙では自民党系無所属の栗原貴子候補に、一応投票するつもりでいます。大阪市長選挙でも同じ理由で自民党系無所属の柳本あきら(顕)候補を応援していますが、私は住所が大阪市外なので、市長選挙には投票できません。それで今日も、柳本・栗原の両候補を自主的に支援する「明るい会」のパンフを担当地域にポスティングしてきたところです。
 ただ、「維新政治を終わらせる」と言っている両候補についても、元は自民党の政治家であり、「日の丸・君が代」問題については、維新と同じ「日の丸・君が代」肯定・推進の立場に立っています。その点で、私はこの両候補に対しても、ずっとわだかまりを感じてきました。

 これまでも、維新系首長の自治体では、自分たちの息のかかった校長や教育長によって、卒業式に生徒そっちのけで、教職員の口元チェックまでして、強引に「日の丸・君が代」の掲揚や斉唱が進められてきました。公務員個人に対しても思想調査が行われ、組合活動やプライベートでの政治活動にまで行政が介入し、個人の思想信条の自由が侵害されてきました。
 自治体首長が行政権力を使って、「日の丸・君が代」礼賛を押し付け、憲法で保障された思想信条の自由を侵害する。こんな事が未だにまかり通っているのは、先進国の中では日本だけです。他の欧米先進国では、国旗掲揚や国歌斉唱の儀式はあっても、個人の内面にまでそれを強要するような事は行われません。国民には、国旗や国歌を「認める自由」も「認めない自由」もあるのです。(参考資料
 
 どの国の国旗や国歌も同じではありません。ある国では抵抗や革命のシンボルである国旗や国歌ですら、その国の植民地にされた国や民族にとっては、侵略や抑圧のシンボルでしかありません。また、建前では自由や平等を謳った国旗や国歌であっても、実際には多数派民族による少数民族抑圧の道具でしかなかった例も少なくありません。米国の星条旗やフランスの三色旗、旧ソ連や中国の国旗なども皆そうです。
 だから、戦後ドイツではナチス時代の国旗や国歌をそのまま使う訳にはいかなかったし、アパルトヘイト廃絶後の南アフリカでも白人支配時代の国旗や国歌を見直さざるを得なかったのです。逆に、キューバのように革命後もそれまでの国旗や国歌を踏襲した例もありますが、それは、その国旗や国歌が国民の心情をいかに反映しているかの違いによるものです。
 日本の「日の丸・君が代」もそれと同じです。実際、この日本でも、戦後の一時期には、それまでの「君が代」に代わる、もっと新生・民主の日本にふさわしい国歌を作ろうという動きがありました。例えば「われら愛す」もそんな歌の一つで、当時5万点の応募の中から選ばれました。今も玉川大学の校歌として歌い継がれています。そんな動きを全部押しつぶしてきたのが、戦後の自民党政治であり、今の安倍政権や橋下の維新政治でした。

 「日の丸・君が代」問題というのは、本来、このようなデリケートな問題なのです。単に「日本の国旗や国歌だから国民として尊重するのは当たり前」だけで済まされる問題ではありません。それどころか、民主主義の根幹に関わる大問題です。この問題を曖昧にしたままで、いくら「維新政治を終わらせる」と言っても、それを額面通り支持する気にはなれません。それでは、もし柳本候補や栗原候補が当選しても、それまでの「維新の独裁」が「自民党の独裁」に置き換わるだけになってしまいます。
 既に、柳本候補の選挙公約栗原候補の選挙公約も読ませていただきました。しかし、その公約の中においても、弊害の多かった校長公募制や学校選択制、幼稚園民営化の見直しについては言及されていますが、「日の丸・君が代」問題については何も書かれていません。

 そこで、とりあえず11月頭に柳本候補の事務所に下記のメールを送付しました。柳本候補が自民党員として「日の丸・君が代」推進の立場に立つのは仕方ないとしても、それを橋下・維新のように、個人の思想信条の自由を侵害してまで強要するのは、私にとっては許されない事です。もし、柳本候補や栗原候補も、「日の丸・君が代」問題で橋下・維新と同じような立場に立つのであれば、府知事選挙では栗原候補に投票するのを止めて棄権しようかと思っています。「維新の独裁」が「自民党の独裁」に変わるだけで、「独裁政治」そのものは無くならないのでは、応援や支持する意味がありません。
 既にメールを送付して一週間以上になりますが、未だに柳本事務所から明確なお返事をいただいておりません。「貴重なご意見有難うございました」という受付確認メールが送付翌日に送られてきただけです。
 私としても、本当は、せっかくの維新政治を終わりにできる絶好の機会に、むざむざ棄権なぞしたくはないのです。しかし、他の意見の違いは脇に置くとしても、この「日の丸・君が代」問題だけは、民主主義の根幹に関わる問題であり、決して曖昧にできる問題ではありません。

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 初めまして。府下××市在住の××と申します。業務請負企業の契約社員として某スーパー物流センターに勤務する傍ら、自分のブログ等で個人の立場で反橋下・反都構想の活動を進めて来ました。その中で、柳本先生を始め、大阪の自民党の先生方のご活躍ぶりについても個人的に注目していました。
 (下記ブログ記事参照)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/015e10b6ff6dcdd905df1510c33d8917
 私は橋下のような偉そうに振舞うズル賢い政治家が大嫌いです。なぜ、かくも「上から目線」の「弱肉強食」「拝金主義」で「わがまま」な政治家の嘘に大阪府民が洗脳されてしまうのか不思議でなりません。また、そんな政治家に大阪が食い物にされるのを見るたびに悔しい思いをして来ました。しかし、数年前の堺市長選挙での反橋下候補当選や昨年の住民投票での都構想否決で、ようやく橋下政治から解放される展望が見えてまいりました。
 その中で、このたび、柳本先生が大阪市長選挙への出馬を決断なさったとお聞きし、大変嬉しく思っています。私は府下在住なので府知事選挙にしか投票できませんが、今回は是非、柳本先生と同じ自民党系無所属候補の栗原貴子先生に投票させてもらおうと考えております。
 しかし、その一方で不安材料もございます。それは柳本先生の「日の丸・君が代」問題に対する姿勢についてです。先生が自民党市議団幹事長として、これらの問題では推進の立場に立たれる事については、私とは意見が違いますが仕方がない事だと思っています。その事について、私の方から今更とやかく申し上げようとは思いません。
 ただ、私が不安を感じるのはその手法についてです。もし先生が、橋下と同様に、教育基本条例の制定や公務員に対する思想調査を強行してまで、いわば強権的にこれらの問題に対処されようと考えておられるのであれば、もはやこの問題は、「日の丸・君が代」観の相違より以前に、民主主義の根幹に関わる問題だと思うからです。たとえ意見が違っても、いやむしろ意見が違うからこそ民主的に議論を交わすべきなのに、それを強権で有無を言わさず押さえつけようとする所には、民主主義も住民自治も真の愛国心も育たないと思います。その点についてはどう思われるのか、率直なご意見をお伺いしたくメール差し上げました。以上、不躾な質問で恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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