アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

5.27地域労組おおさか新組合員歓迎会の報告

2010年06月10日 10時40分04秒 | 職場人権レポートVol.1
 5月末から6月にかけて、普天間問題に端を発し、社民党の政権離脱、鳩山から菅への政権移譲と、立て続けに大きな動きがあり、ブログ更新もそっちの話題を主に取り上げていた関係で、標記の報告が今になってしまいました。遅くなりましたが、今からその報告を簡単にします。但し、もう2週間前の事ゆえ、細部については覚えていないので、その点についてはご了解下さい。

 標記「地域労組おおさか」の新組合員歓迎会は、5月27日(木)午後6時半から、大阪・JR天満駅前の国労大阪会館会議室で行われました。下記がその時の写真です。その時に紹介された新組合員・争議組合員が、私も含めて確か40名位でしたから、総勢は60名位だったかな。その辺の記憶は今となっては少し曖昧です。

  

 但し、最初から乾杯した訳ではありません。開会挨拶の後、槙野理啓という関西勤労協の講師の方による「労働組合ってすごい!」という話が、テーブルの料理を前にして1時間ほどあり(食べ始めている人もいたような、但し私ではありません)、その後で乾杯・懇親会という流れでした。その中で、新組合員と争議組合員の紹介があり、私も紹介されて、ブログに書いているような事を喋りました。その後、9時の閉会までそのまま懇親会。但し私は、翌日も早朝から仕事なので、8時半には上がらせてもらいましたが。(残念ながら、今の仕事に就いてからというもの、平日のイベントは、殆どが途中参加までが限界です)

 その新組合員の自己紹介ですが、それまでは私と同じ様な風体の、何の変哲も無いオッサン・オバサン・ニイチャン・ネエチャンが、異口同音に「現在争議中です」「上司のパワハラ・セクハラに遭っており、それと闘っています」「勝利和解を勝ち取りました」と喋り始めたのには驚かされました。しかも、その殆ど全てが会社都合による不当解雇でありながら、労働者に責任をなすりつけようと、会社側が当該労働者の勤務態度について、ある事ない事でっち上げて来ているのが、聞いていてよく分かりました。

 「最近ネットで調べて労組に加入しました、徐々に職場を変えていこうと思っています」なんて、チンケな自己紹介で終わっていたのは、正直言って私ぐらいでは無かったかと思います。しかし、入ったばかりで自分ひとりの労組では、直ぐに何か出来る筈も無いので、これは致し方ないかと。それよりも、外見上は自分ともさして違わない、押しなべて無口で大人しそうな、これらの人々でも、「やれば出来る、いざとなったら堂々と闘えるんだ」という事を間近に見れただけでも、私にとっては望外の収穫でした。
 その中でも特に、不払い残業代の返還を求めて、つい最近組合を結成した、ヤマザキ・デイリーストアの人たちが、連れ立ってこの歓迎会に参加し、壇上でも紹介されていたのが、非常に印象に残りました。

 それと、前段の「労働組合ってすごい!」という講演についても少し。この講演は、当日会場で配布された下記「組合員教科書」に沿った話でしたが、その殆どが私の職場にもモロ当てはまる話だったので、改めてびっくり。

  

 この組合員教科書は、「ひとりで読んでも分かるものを」という触れ込みで、地域労組が作ったオリジナル・テキストで、その大半がQ&A形式で編集されているのですが、例えば次のQ&Aなど。
 「資本家が労働者を一方的にこき使っているわけじゃないし、労働者も言いたいことがあったら言えばいいじゃないか?」という設問に対して、【形式上は対等な雇用契約により働いているように見えても、実際は、自分の労働力しか持たない労働者は、会社をバックに労働者を支配している資本家に、好いようにこき使われるだけなのだ】、という説明に続いて、

>もちろん、働いている人たちは、はじめから資本家や会社と対立しているわけではありません。「働きがいのある仕事がしたい」とか、「会社の役に立ちたい」とか、むしろ自らすすんで働こうとしています。少しぐらいイヤなことがあっても、がまんして働くのが普通です。それで、どうしてもおかしいと思うようになってから、ようやく会社に言うでしょう。「この上司ならわかってくれるはずだ」「これだけがんばってきたのだから大丈夫だろう」と期待して。
 でも、その願いがかなえられることはほどんどありません。「悪いようにはしないから」とか、「あなただけは特別に考えよう」などと言いながら、けっきょくバッサリ切られるのが現実です。もっとひどい場合には、逆におどされたり、暴力をふるわれたり、といったことさえあります。それは、社長や上司の人間性の問題ではありません。資本主義とはそういうものなのです。(第1章「労働組合は労働組合というだけですごい」、P5~6)

 この前段の「どうしてもおかしいと思うようになってから」云々のくだりなぞ、私や同じ職場の「団塊オヤジ」などが、今まさに直面している場面じゃないですか。特に、今まで「従業員と会社は家族のようなものであるべきだ」という考えできた「団塊オヤジ」に、ぴったり当てはまる言葉ではないですか。

 同じ様な設問は、他に何度も出てきます。例えば次の、「くよくよ考えても仕方がない。いちいち文句言うてもはじまらない。世の中なんて変わらない。適当にやるしかないんじゃない?」という設問に対して、【いや長い目で見れば世の中は確実に変わってきた、例えば江戸時代なんて自由に住所や職業も選べなかったのに今はそうではない、それは長年に渡る人民の闘い(階級闘争)によるものだ】、という説明に続いて、

>ところが、どの時代においても、大衆はみんな「世の中なんて変わらない」と思わされてきました。「長いものには巻かれろ」とか、「分相応に生きろ」とか、「あの世で幸せになろう」とか、ともかく現実に逆らわないことを教えられてきました。それは、そのほうが都合のいい人たちがいるからです。(第4章「働くものにふさわしいものの見方」、P27~28)

 上記のくだりなども、正に、私がこのブログで「奴隷根性」と呼んできた考え方そのものではないですか。(注:「団塊オヤジ」「奴隷根性」の詳細については、こちらの過去記事を参照の事)
 学生時代には、社会科の教科書にこんなくだりがあったとしても、恐らく読み飛ばしていた事でしょう。この何気ない記述ひとつとっても、実際に身につまされるようになって、初めて、自分の身に引いて分かるようになりました。
 勿論、これを読んだだけでは何も変わりません。それを踏まえた上で、「次にそれをどう具体的に実行に移していくか」こそが、最も肝心な事なのですが。それでも、その前提となる考え方、拠り所を持ち続ける事もそんなに簡単ではない中で、その重要性を改めて再認識させられました。 

(追記)
 ただ、これは別に歓迎会に限ってではないけれど、日頃の運営について一つ苦情を申せば。地域労組としての性格上、それでなくても職場もバラバラで、なかなか全体で集まる機会が無いのだから、その分、他の会社単位の労組以上に、こまめにHPやブログは更新して欲しい。
 ところが実際は、この歓迎会についても、事後大分日数が経過してから、ようやくアップされたのでは。これでは、いざこちらから情報を集めようとしても、何ら連絡手段としての用を為さない。この点については、折りを見て地域労組にも意見を上げるつもりですが。
コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ワイドショー人気の極左w新内閣 | トップ | 6.11ガザ支援船襲撃を許さ... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奮闘を期待するけれど (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2010-06-10 13:59:00
>もっとひどい場合には、逆におどされたり、暴力をふるわれたり、といったことさえあります。それは、社長や上司の人間性の問題ではありません。資本主義とはそういうものなのです。(第1章「労働組合は労働組合というだけですごい」、P5~6)

この↑部分は、ちょっと過激ですねぇwww

たしかに日本社会は「ルール無き資本主義」で「職場に憲法無し」みたいな状況も蔓延しているけれど、しかしそれは、あくまでも特殊日本的な後進性の表れに過ぎないんじゃない?
「おどされたり、暴力をふるわれたり」は、労働現場や企業社会以外にも、学校やスポーツ団体などで見られる日本社会の後進性だと思いますよ。
北欧などヨーロッパでは労働者が経営側からこういう「おどされたり、暴力をふるわれたり」、思想差別されたりということは、建前だけじゃなく実態としても絶対に許されませんからね。

それに、もしこういう「おどされたり、暴力をふるわれたり」が資本主義的経営として当然視・宿命視されるのならば、資本主義体制を転覆しないかぎり日本の労働者は全く救われないことになってしまいます。革命運動をする以外、労働組合運動の役割なんて全く無意味(=改良否定主義)になってしまいます。
ま、資本の側が労働者に対して「おどしたり、暴力をふるったり」することは、資本家本来の人間性というよりも、やはり日本社会や日本的企業経営の悪しき弊風だと思いますよ。

日本の労働運動って、いろいろと大変なんですよね(泣)。
頑張れ!
返信する
現代的搾取と古典的搾取の違い (プレカリアート)
2010-06-10 19:15:19
>>もっとひどい場合には、逆におどされたり、暴力をふるわれたり、といったことさえあります。それは、社長や上司の人間性の問題ではありません。資本主義とはそういうものなのです。(第1章「労働組合は労働組合というだけですごい」、P5~6)
>この↑部分は、ちょっと過激ですねぇwww(バッジさん)

 これについては少々補足が必要でしょうね。テキストにも「もっとひどい場合には」と限定が付されていますが、少なくとも大企業の直接支配が及ぶような所(例えば私の勤務先)では、この種の「蟹工船」的な搾取は、「表向き」には余り無いでしょうね。中小企業や、キャバクラ・ユニオンの女の子が告発していた風俗関係なら、この種の古典的搾取もまだ其処彼処に残っているでしょうし、大企業系列でも、例えばJRの「日勤教育」やIHIの「思想差別」の様に、裏に回れば決して少なくはないですが。

 現代的搾取は、古典的搾取ほど単純ではない。「名ばかり正社員・店長・個人事業主」や「不払い残業」の横行、「過労死裁判」の例でも明らかな様に、現場サイドでは如何に限度を超えた労働強化ではあっても、いざ裁判で争うとなると容易には被害の立証が出来ないようなケースが余りにも多い。
 私の職場でも、問題となるのはあくまでも「チャップリンのモダンタイムスの様な働かされ方」であり「モノ扱いされている事」なのですが、その「労働密度の悪化」を数値的に立証するのが、労働者個人にとっては至難の業なのです。
 そういう意味では、現代的搾取は、古典的搾取よりも更に悪質であると言えるでしょう。この教科書も、そこをもっと強調すれば良かったのに。しかし、入門編の教科書にいきなりそこまでの記述を求めるのは、少々酷かも。
返信する
アンビバレントな団塊オヤジの謎 (プレカリアート)
2010-06-10 20:20:03
 あと、これはバッジさんでも誰でも良いので是非考えて欲しいのが、標記の謎。
 この前も、この「団塊オヤジ」が冷蔵庫の中で、この間の「乾いた雑巾を更に絞る様な」会社の仕打ちに対して、「このままでは若いバイトはみんな辞めてしまうぞ!」と喚いていました。私が「まるでトヨタのカンバン方式みたいなや」と返すと、「もっと酷い、トヨタのラインスピードは一定なので、慣れたらそうでもないが、ここは次々とイレギュラーな仕事を押し付けてくる!」と、更にヒートアップ。

 しかし、そのくせ、私よりも更に低時給(高齢者雇用なので僅か時給800円!)のバイトでありながら、正社員に混じって安全会議や定例ミーティングに出席して、バイトの勤務シフトも作成して、社員並みの働きをしているのです。そして、通勤バスの中で、私が自分の給料計算のミスを指摘して、他のバイトに自主点検を勧めた時も、「会社がそんな事をする筈がない!」と、横から口を挟んできた。まるで「会社のイヌ」みたいに。

 これが名実共に正社員の身分なら、そういう対応になるのも分かりますよ。たとえ平社員であっても、バイトにとっては管理者なのだから。その管理者がバイトと一緒になって愚痴っていたのでは、他のバイトに対して示しが付かなくなりますから。
 しかし、過去には大企業の課長だったかも知れませんが、今は私たちと同じバイトでしょう。それも最低ランクの時給の。それが、何故こんなにアンビバレント(二律背反)な態度に出るのかが、私には全く理解不能です。

 <凡そ正業の仕事に就いてそれで給料を貰っている以上は、少なくとも自分の仕事はきちんとする。それも、ただ言われた事をこなすだけではなく、自分なりに創意工夫も凝らして。況してや無断欠勤など以ての外>・・・少なくとも、ここまでの仕事観については、私も「団塊オヤジ」も、そう変わらない。但し、ここから先が、私と「団塊オヤジ」とは、仕事の受け止め方が大分違うようなのです。

 少なくとも、バイトと正社員とでは立場が違うし、況してや労働者と資本家とでは立場が根本的に違う。過去の「いずみ生協」時代の苦い教訓からも、その辺は明確にケジメを付けようと、私はするのに対して、どうも「団塊オヤジ」はそれが出来ないようなのです。「団塊オヤジ」がかつて勤めていた会社にも、多分同盟・連合系だと思いますが(チェーンストア労協?ゼンセン同盟?)一応労組はあり、「団塊オヤジ」も労組の意義は認識している筈であり(他の機会に確認済)、従って、幾ら労使協調の立場であっても、労働者と資本家とでは立場が根本的に違う事も当然知っている筈なのに(でなければ労組の意義なぞ認めない筈)、何故そこはシビアに割り切る事が出来ないのか。私には全く理解出来ません。読者の皆さんはどう考えます?
返信する
プレさんに期待すること (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2010-06-11 08:29:28
それは、非正規の未組織労働者を組織して行くような労働運動の活動家になることです。
湯浅氏のような運動を労働運動の専門家(それも出来れば専従)として生涯を全うすることがプレさんには向いているようだし、そういう生き方にこそ未来もあるんじゃないかな?

どうでしょう?
そういう生き方こそかつて生協運動で挫折と未完に終わった初心を貫徹することになるんじゃないかな、と思う次第です。
返信する
その他2、3の点について (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2010-06-11 09:53:36
それから・・・

①「おどされたり、暴力をふるわれたり」は、「搾取」の形態ではなく、単なる「抑圧」「人権侵害」なのだと思いますよ。資本主義的な意味での「搾取」とは、資本による剰余労働の収奪という純粋に経済的な行為にすぎませんからね。
「おどされたり、暴力をふるわれたり」は、「現代的搾取」どころか「古典的搾取」でさえありません。「自由で対等・平等な商品所有者」の人格性が建前となる資本主義社会では非合法な行為です。
それは、敢えて言うならば、奴隷制や封建制などにおいてみられた「前資本主義的な搾取」に不可避に付随する経済外的な強制の形態でしょう。

②「アンビバレントな団塊オヤジ」のイデオロギーは、天皇崇拝などにも通底するものだと思いますね。つまり、イデオロギーの物質的土台が消失した後でさえもなお残る後進的なイデオロギー。
天皇崇拝は、封建的地主制度や軍部といった物的土台が崩壊してしまった現代でもなお、残存しています。また、天皇崇拝とは逆の例ですが、ギリシャ芸術は、それを生んだ人類の自然界への無知・無力状態が克服された後世においてさえもなお、芸術的な規範性をもち続けています。
これらは、機械的反映論では説明困難なイデオロギーの相対的独自性でしょう。
「オヤジ」の遅れた意識もこの手のものでしょう。

③「バイトと正社員とでは立場が違うし」の意味・内容をもう少し考えてみた方が良いのでは?
正規であれ非正規であれ、労働者は資本の側とはハッキリ「立場が違う」でしょうが・・・・
返信する
バッジさんへ (プレカリアート)
2010-06-13 23:18:23
 ブログ更新に手間取り、レスが遅くなってしまいました。とりあえず下記の点について。

>プレさんに期待すること (バッジ@ネオ・トロツキスト)
>それは、非正規の未組織労働者を組織して行くような労働運動の活動家になることです。

 それは私も薄々ながら自覚しています。何の因果かはさて置くとして、今ここにいる以上は、もうその道しかないかと。「専従活動家」云々については、実際の生活もあるので、ちと難しいですが。今はもう、とりあえずは、このブログを根城に活動していくしかない。今の仕事は、あくまでも、その糧を得る為の手段にしか過ぎない。それ位の気持ちでいます。

>③「バイトと正社員とでは立場が違うし」の意味・内容をもう少し考えてみた方が良いのでは?
正規であれ非正規であれ、労働者は資本の側とはハッキリ「立場が違う」でしょうが・・・・

 この意味する所を、もう少し噛み砕いて説明してくれます?「共に同じ労働者だ」という意味なら、何となく分かるのですが。但し、それが「今後はバイトも社員並みの自覚が求められる」という意味だと、逆に資本家や新自由主義者の思う壺ではないかと思うのですが。
返信する
プレさん (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2010-06-14 09:06:47
>実際の生活もあるので

「実際の生活」のことも考えるからこそ、「専従」を目指すべきじゃないかと思うんですよ。
職業政治家や大企業労組のダラ幹になるのとは違って、未組織非正規をも対象にするような運動の専従になることは、己の立身出世や狭い私的利害とも無縁な生き方です。そんなに「儲かる」「おいしい」生き方じゃないですからね。
でも、社会的に意義のある素敵な仕事じゃない?
少なくとも共産党の専従や議員なんかになるよりも、はるかに尊敬に値すると思いますね。

>この意味する所を、もう少し噛み砕いて説明してくれます?

「バイトと正社員とでは立場が違うし」という見方には企業別組合が当然視されてきた日本の労働運動特有の思想の残滓が潜んでいるように感じられるんですよ。
もし、これからの日本で求められる真の労働運動が、企業や業種、地域、そして正規、非正規の違いなどにもとらわれない個人加盟のものだとすれば、「バイトと正社員とでは立場が違」わない運動を目指すべきでしょ?
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

職場人権レポートVol.1」カテゴリの最新記事