■まずはじめに
ちょうど前号の沖縄エイサー祭りの記事を書いている時に、尖閣諸島での中国漁船による領海侵犯事件が起き、やれ「中国では反日世論が盛り上がっている」だの「日本も対抗して軍備増強に着手しなければならない」なぞという意見が、マスコミを通して盛んに流されました。私はすぐにピンと来ましたね。「今、沖縄で盛り上がっている普天間基地撤去の運動に冷水を浴びせかける為の情報操作だな」と。
だって冷静に考えたらそうじゃないですか。尖閣諸島の領有権を巡り日本と中国・台湾が対立しているのは事実ですが、それで本当に戦争にでもなってしまったら、三国とも元も子もなくなってしまうだけではないですか。第二次大戦前のブロック経済の時代ならいざ知らず、これだけ経済の国際化や資本の多国籍化が進んだ現代の東アジアでは、戦争で得する国なんてどこもありません。だから尖閣諸島に関しては日中間では領土問題は棚上げ・継続協議でガス田共同開発の話も進んでいたし、今回の事件でも米国が介入して船長釈放という曖昧な形での決着となったのでしょう。
しかし、それでは日米の軍需産業や防衛族議員は収まらないし、中国の方でも一旦火がついた反日世論を鎮めるのは難しい。だから船長釈放後も中国は虚勢を張り続け、「死の商人や政治家たち」も今回の事態を軍拡や憲法改正に向けての世論作りにしきりに利用しようとしているのでしょう。
勿論、中国とて完璧な国家ではありません。全面戦争は流石に避けるでしょうが、日本みたいな属国には高飛車に出てきます。それは何も中国だけではありません、台湾・ロシア・米国とてみな同じです。その中で日本は戦後ずっと米国の属国としてやって来た。せっかく平和憲法で高邁な理想を掲げながら、それを北欧諸国のように実際に実行に移すだけの意欲もノウハウも全然積んで来なかった。これは米国がそれを許さなかったからですが、それに甘んじてきた日本自身の問題でもあります。
これでは足元を見透かされて当然です。では平和国家として今からでも遅まきながらその意欲やノウハウを積んでいこうとしているかというと、さにあらず。前世紀の日清・日露戦争や戦前の大日本帝国の頃からちっとも進歩していない政治家が、「今は心ならずも米国の属国として中国に対抗しながら、最後には中国も米国もやっつけるのだ」と、息巻いているだけではないですか。私はそんなものに巻き込まれるのはゴメンです。
■尖閣諸島についての基礎知識
では本論に入る前に、一旦頭の中を整理しておきましょう。まずは「尖閣諸島って一体どこにあるねん?一体どんな所やねん?」という話から入ります。
下記がその位置関係図です。尖閣諸島は、沖縄本島からはかなり西方の、ちょうど台湾からも石垣島からも等距離の所にある、3つの島と5つの岩礁からなる島々です。主島の魚釣島(中国名:釣魚嶼)こそ海抜300mほどの山があり水場もあるものの、それでも東西3キロ半、南北2キロほどの小島にしか過ぎません。その他はもう島というよりは岩場です。尖閣諸島という名称の由来も、幕末・明治維新の頃に日本にやってきた英国海軍の海図にピナクル・アイランズ(直訳すれば尖った岩の島々)とあったのを、そのまま日本名に置き換えたものです。
※上記下段の写真は左が魚釣島、右が南小島と北小島。上段の地図も含め、いずれも「尖閣諸島の領有権問題」というサイト様からの出典です。
元来いずれの島々もずっと無人島でしたが、明治末期に福岡県出身の古賀辰四郎という人が開発に乗り出して、一時は200名ほどの人々が移住してアホウドリの羽毛採取や鰹節工場の作業に従事していました。しかし絶海の孤島の不便さ故にか、第二次大戦が始まる頃にはまた無人島に戻ってしまいました。
第二次大戦後は沖縄付属の島々として、一部は米軍の射爆場にされてしまいましたが、1972年の沖縄返還と同時に日本領土に復帰しました。しかし、それと前後して行われた資源探索によって石油・天然ガスの豊富な埋蔵量が明るみになるにつれて、周辺国の中国や台湾も尖閣諸島の領有権を主張し始めました。そして、それに対抗して暴力団住吉会系の日本青年社という右翼団体が、勝手に島に私設灯台を作ったり(後に国に譲渡)ヤギを放し飼いにして自然の生態系を狂わせたり、それにまた対抗して台湾や香港の住民が勝手に上陸したり、といった事が繰り返されるようになりました。
■日中両国の主張対比
中国側の主張は、井上清・京大教授の「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明という論文に依拠したものです。上記リンクをクリックすれば論文の全文が読めますが、その論拠を簡単にまとめると凡そ下記のような内容になります。
(1)中国側の古文書には尖閣諸島の名がたびたび登場するのに対して、日本・琉球側の古文書にはその名が殆ど出てこない。それは尖閣諸島が沖縄から見て逆風の位置にあり、順風で比較的容易にたどり着ける中国・台湾とのつながりのほうが強かったからだ。
(2)唯一日本側の記録で登場するのが江戸時代の兵学者・林子平が書いた「三国遊覧図説」だが、その添付地図には尖閣諸島は中国領として分類されている。下図がその添付地図で、下の赤色の土地が中国大陸、中央の黄色が沖縄本島。その間にある飛び石状の島々が今の尖閣諸島で、中国と同じ赤色に彩られている。
(3)明治時代に入り、初めて日本人の手で尖閣諸島への移住と開発が行われるようになったのは事実だが、明治政府は当初清国の目を気にして領有には消極的だった。それが日清戦争の勝利で台湾を植民地にしたのに乗じて、尖閣諸島もこっそり沖縄県に編入したのだ。それが再び無人島となった今も既成事実として引き継がれている。
それに対する日本側の反論は、主に奥原敏雄・国士舘大学教授の説を参考にしています。前述の「尖閣諸島の領有権問題」サイトのページにも収められています。下記がその要旨です。
(1)中国側古文書の記載はいずれも航海上の目印として記されたものでしかなく、それを以って領有の証とする事は出来ない。
(2)「三国遊覧図説」添付地図の色分けの件も、当時中国から沖縄の琉球王朝にやってきた冊封使が書いた「中山傳信録」という書物の地図をそのまま転載したからに過ぎない。
(3)当時は帝国主義の時代であり、たとえ相手の隙に乗じて領有を主張したとしても、それが当時の国際法である「無住地先占の法理」(所有者のいない土地は先に取ったモン勝ち)に則ったものである限り、誰もそれを咎める事は出来ない。だから第二次大戦の敗戦で日本が台湾・朝鮮の植民地支配を放棄した際も、尖閣諸島については沖縄帰属の日本固有の領土として、米国から沖縄と一緒に返還されたのだ。(下記写真は有人島だった頃のもので、アサヒグラフ'78年5月5日号からの出典)
(4)中国も台湾も60年代末までは尖閣諸島の日本領有には何ら異を唱えなかった。中国・台湾が尖閣諸島の領有権を主張するようになったのは60年代末に石油・天然ガスの埋蔵が確認されてからであり、いわば「後出しジャンケン」の理屈でしかない。
■この問題では与野党間に大きな意見の違いはない
この尖閣諸島の領有権問題については、与野党間で大きな認識の違いはありません。下記にその代表例として政府見解と共産党の見解を載せておきましたが、その他の主要政党についても基本的な立場は同じです。「中国に対抗して尖閣諸島に軍事基地を」とかいう右翼や、「尖閣諸島も台湾・朝鮮と同様に日本帝国主義が簒奪した領土だ」という一部新左翼の主張もあるにはありますが、それはあくまでも少数派です。
・尖閣諸島の領有権についての基本見解(外務省)
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。(以下略)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html
・日本の領有は正当/尖閣諸島 問題解決の方向を考える(しんぶん赤旗)
所有者のいない無主(むしゅ)の地にたいしては国際法上、最初に占有した「先占(せんせん)」にもとづく取得および実効支配が認められています。日本の領有にたいし、1970年代にいたる75年間、外国から異議がとなえられたことは一度もありません。日本の領有は、「主権の継続的で平和的な発現」という「先占」の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。(中略)
同時に、紛争は領土をめぐるものを含め「平和的手段により国際の平和、安全、正義を危うくしないように解決しなければならない」のが、国連憲章や国連海洋法の大原則です。その精神に立って日本外交には、第一に、日本の尖閣諸島の領有権には明確な国際法上の根拠があることを国際舞台で明らかにする積極的活動が必要です。・・・中国側も、事実にもとづき、緊張を高めない冷静な言動や対応が必要でしょう。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-20/2010092001_03_1.html
■「無住地先占の法理」は果たして万能か?
以上今まで長々と説明してきましたが、さてここからが私の問題意識です。それが冒頭でも少し述べた、この問題に対する「平和国家としての意欲やノウハウ」も踏まえた上での「21世紀の今の時代に相応しい解決の仕方」です。前号記事からブログ更新に大分間が空いたのも、一つにはこの問題についてずっと考えてきたからでした。
私にはどうもこの「無住地先占の法理」(所有者のいない土地は先に取ったモン勝ち)がひっかかるのです。一見常識的な内容であり、主要政党間では与野党・左右を問わず大差がないこの論理ですが、これでは19世紀の帝国主義の考え方とさほど違わないのではないでしょうか。確かに字面だけを捉えれば対象はあくまで「無住地」に限定されており、そういう意味では西欧のアジア・アフリカ侵略、日本のアジア侵略などの「有住地」に対するものではないかも知れません。しかし、コロンブスによる新大陸発見以来の数百年に渡る南北アメリカ大陸征服の歴史や、南アフリカにおけるアパルトヘイト(人種差別政策)の源流になったボーア人によるアフリカ進出も、最初はこんな西部開拓物語のような「無住地先占の法理」から始まったのではないですか。19世紀のアラスカで起こったゴールドラッシュなんてその典型ではないですか。中国のチベット・ウイグル侵略も、無人で未開の処女地を切り拓くという大義名分の下に行われているではないですか。
政府から共産党まで一致して錦の御旗のように掲げている「古賀辰四郎による開発」という既成事実にしても、これは裏返せば県外の人間(古賀は福岡県人)による「ゴールドラッシュ」ではないですか。
何故ここまで書くかというと、実際、同じ沖縄県の大東諸島の開発が「ゴールドラッシュ」そのものだったからです。大東諸島は沖縄東方約350キロの海上にあり、南・北・沖の3つの大東島から構成されています。そのうちの南北両島は、今でこそそれぞれ南大東村と北大東村に属し航空路も開かれていますが、そこは戦前は島全体が玉置商会という個人企業の私有地で、そこに進出した本土資本の製糖会社によって「蟹工船」さながらの原始的な搾取が行われていました。そして戦後にやっと住民からの陳情によって村政施行・地方自治の運びとなったのです。
そして今はもう21世紀です。数百年に渡り白人支配下にあったカナダの原住民イヌイット(旧名エスキモー)も、今やヌナブト準州自治政府の下で広汎な自治権を獲得しました(ヌナブトとは現地語で我々の土地という意味)。沖縄も薩摩藩によって侵略されるまでは琉球王国として独自の歴史をたどって来ました。このグローバル化の時代にかつての大日本帝国や戦後の東西冷戦時代の論理なぞもはや通用する筈がありません。徒に中国と軍拡を競うよりも、沖縄を自治州にして、尖閣諸島の石油・天然ガスを財源に充てれば、基地依存なぞ完全に断ち切ることが出来る筈です。沖縄と同規模の面積・人口の独立国も世界には決して少なくありません。例えばインド洋の島国モーリシャスもその一つですが、元英領植民地だったこの国も、今や観光立国として立派にやっていけています。
元々、沖縄の米軍基地は沖縄や日本を守るためにあるのではなく、米国が世界のどこにでも自分の好き勝手に殴りこむためにあるのです。そして基地収入の県財政に占める割合もたった5%にしか過ぎません。今や基地は犯罪の温床であり開発の足かせでしかありません。そんな基地に依存するぐらいなら、沖縄をヌナブトのような自治州にして天然資源も自分たちで使えるようにしてこそ初めて、中国の軍拡やチベット・ウイグル侵略に対しても武力ではなく道義で圧倒出来るのではないでしょうか(チベットもウイグルも自治は形のみなのだから)。それでこそ21世紀の現代に相応しい平和創造のモデルといえるのではないでしょうか。
今や経済がますます国境の枠を超えて拡大し、カナダ極北民族も立ち上がりつつあるこの脱帝国主義の時代に、日本も中国も何を下らない意地の突っ張りあいをしているのかと思いますね。未だにそんなレベルに止まっているのは、後は北朝鮮かタリバン・アルカイダぐらいのものです。
※写真は左が南大東島の製糖工場(出典:南大東島HP)、右地図の赤色部分がヌナブト準州(出典:ウィキペディア)。
【参考記事】
・悪化する日中関係、尖閣諸島漁船衝突事件をブロガーたちはどう見た?(ブログ・ウォッチ)
http://blog.livedoor.jp/blogwatching/archives/51683907.html
・釣魚島(尖閣諸島)問題と過激化する海上保安庁の領海警備:領土主義の危険~労働者人民の国際連帯のために(虹とモンスーン)
http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/777/
・シュクシュクボーシが啼く民主党「害交」 (つぶやき:尖閣諸島問題編)(大脇道場)
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1896.html
・日本は外交的弱点を克服できるんでしょうか? (「尖閣諸島中国漁船衝突事件」をめぐって)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2007.html
・(追記)転載:尖閣諸島問題を利用した国家主義、排外主義に反対する!(立川テント村声明)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/740fc332119cc95c965b1b4cfb6ada5e
ちょうど前号の沖縄エイサー祭りの記事を書いている時に、尖閣諸島での中国漁船による領海侵犯事件が起き、やれ「中国では反日世論が盛り上がっている」だの「日本も対抗して軍備増強に着手しなければならない」なぞという意見が、マスコミを通して盛んに流されました。私はすぐにピンと来ましたね。「今、沖縄で盛り上がっている普天間基地撤去の運動に冷水を浴びせかける為の情報操作だな」と。
だって冷静に考えたらそうじゃないですか。尖閣諸島の領有権を巡り日本と中国・台湾が対立しているのは事実ですが、それで本当に戦争にでもなってしまったら、三国とも元も子もなくなってしまうだけではないですか。第二次大戦前のブロック経済の時代ならいざ知らず、これだけ経済の国際化や資本の多国籍化が進んだ現代の東アジアでは、戦争で得する国なんてどこもありません。だから尖閣諸島に関しては日中間では領土問題は棚上げ・継続協議でガス田共同開発の話も進んでいたし、今回の事件でも米国が介入して船長釈放という曖昧な形での決着となったのでしょう。
しかし、それでは日米の軍需産業や防衛族議員は収まらないし、中国の方でも一旦火がついた反日世論を鎮めるのは難しい。だから船長釈放後も中国は虚勢を張り続け、「死の商人や政治家たち」も今回の事態を軍拡や憲法改正に向けての世論作りにしきりに利用しようとしているのでしょう。
勿論、中国とて完璧な国家ではありません。全面戦争は流石に避けるでしょうが、日本みたいな属国には高飛車に出てきます。それは何も中国だけではありません、台湾・ロシア・米国とてみな同じです。その中で日本は戦後ずっと米国の属国としてやって来た。せっかく平和憲法で高邁な理想を掲げながら、それを北欧諸国のように実際に実行に移すだけの意欲もノウハウも全然積んで来なかった。これは米国がそれを許さなかったからですが、それに甘んじてきた日本自身の問題でもあります。
これでは足元を見透かされて当然です。では平和国家として今からでも遅まきながらその意欲やノウハウを積んでいこうとしているかというと、さにあらず。前世紀の日清・日露戦争や戦前の大日本帝国の頃からちっとも進歩していない政治家が、「今は心ならずも米国の属国として中国に対抗しながら、最後には中国も米国もやっつけるのだ」と、息巻いているだけではないですか。私はそんなものに巻き込まれるのはゴメンです。
■尖閣諸島についての基礎知識
では本論に入る前に、一旦頭の中を整理しておきましょう。まずは「尖閣諸島って一体どこにあるねん?一体どんな所やねん?」という話から入ります。
下記がその位置関係図です。尖閣諸島は、沖縄本島からはかなり西方の、ちょうど台湾からも石垣島からも等距離の所にある、3つの島と5つの岩礁からなる島々です。主島の魚釣島(中国名:釣魚嶼)こそ海抜300mほどの山があり水場もあるものの、それでも東西3キロ半、南北2キロほどの小島にしか過ぎません。その他はもう島というよりは岩場です。尖閣諸島という名称の由来も、幕末・明治維新の頃に日本にやってきた英国海軍の海図にピナクル・アイランズ(直訳すれば尖った岩の島々)とあったのを、そのまま日本名に置き換えたものです。
※上記下段の写真は左が魚釣島、右が南小島と北小島。上段の地図も含め、いずれも「尖閣諸島の領有権問題」というサイト様からの出典です。
元来いずれの島々もずっと無人島でしたが、明治末期に福岡県出身の古賀辰四郎という人が開発に乗り出して、一時は200名ほどの人々が移住してアホウドリの羽毛採取や鰹節工場の作業に従事していました。しかし絶海の孤島の不便さ故にか、第二次大戦が始まる頃にはまた無人島に戻ってしまいました。
第二次大戦後は沖縄付属の島々として、一部は米軍の射爆場にされてしまいましたが、1972年の沖縄返還と同時に日本領土に復帰しました。しかし、それと前後して行われた資源探索によって石油・天然ガスの豊富な埋蔵量が明るみになるにつれて、周辺国の中国や台湾も尖閣諸島の領有権を主張し始めました。そして、それに対抗して暴力団住吉会系の日本青年社という右翼団体が、勝手に島に私設灯台を作ったり(後に国に譲渡)ヤギを放し飼いにして自然の生態系を狂わせたり、それにまた対抗して台湾や香港の住民が勝手に上陸したり、といった事が繰り返されるようになりました。
■日中両国の主張対比
中国側の主張は、井上清・京大教授の「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明という論文に依拠したものです。上記リンクをクリックすれば論文の全文が読めますが、その論拠を簡単にまとめると凡そ下記のような内容になります。
(1)中国側の古文書には尖閣諸島の名がたびたび登場するのに対して、日本・琉球側の古文書にはその名が殆ど出てこない。それは尖閣諸島が沖縄から見て逆風の位置にあり、順風で比較的容易にたどり着ける中国・台湾とのつながりのほうが強かったからだ。
(2)唯一日本側の記録で登場するのが江戸時代の兵学者・林子平が書いた「三国遊覧図説」だが、その添付地図には尖閣諸島は中国領として分類されている。下図がその添付地図で、下の赤色の土地が中国大陸、中央の黄色が沖縄本島。その間にある飛び石状の島々が今の尖閣諸島で、中国と同じ赤色に彩られている。
(3)明治時代に入り、初めて日本人の手で尖閣諸島への移住と開発が行われるようになったのは事実だが、明治政府は当初清国の目を気にして領有には消極的だった。それが日清戦争の勝利で台湾を植民地にしたのに乗じて、尖閣諸島もこっそり沖縄県に編入したのだ。それが再び無人島となった今も既成事実として引き継がれている。
それに対する日本側の反論は、主に奥原敏雄・国士舘大学教授の説を参考にしています。前述の「尖閣諸島の領有権問題」サイトのページにも収められています。下記がその要旨です。
(1)中国側古文書の記載はいずれも航海上の目印として記されたものでしかなく、それを以って領有の証とする事は出来ない。
(2)「三国遊覧図説」添付地図の色分けの件も、当時中国から沖縄の琉球王朝にやってきた冊封使が書いた「中山傳信録」という書物の地図をそのまま転載したからに過ぎない。
(3)当時は帝国主義の時代であり、たとえ相手の隙に乗じて領有を主張したとしても、それが当時の国際法である「無住地先占の法理」(所有者のいない土地は先に取ったモン勝ち)に則ったものである限り、誰もそれを咎める事は出来ない。だから第二次大戦の敗戦で日本が台湾・朝鮮の植民地支配を放棄した際も、尖閣諸島については沖縄帰属の日本固有の領土として、米国から沖縄と一緒に返還されたのだ。(下記写真は有人島だった頃のもので、アサヒグラフ'78年5月5日号からの出典)
(4)中国も台湾も60年代末までは尖閣諸島の日本領有には何ら異を唱えなかった。中国・台湾が尖閣諸島の領有権を主張するようになったのは60年代末に石油・天然ガスの埋蔵が確認されてからであり、いわば「後出しジャンケン」の理屈でしかない。
■この問題では与野党間に大きな意見の違いはない
この尖閣諸島の領有権問題については、与野党間で大きな認識の違いはありません。下記にその代表例として政府見解と共産党の見解を載せておきましたが、その他の主要政党についても基本的な立場は同じです。「中国に対抗して尖閣諸島に軍事基地を」とかいう右翼や、「尖閣諸島も台湾・朝鮮と同様に日本帝国主義が簒奪した領土だ」という一部新左翼の主張もあるにはありますが、それはあくまでも少数派です。
・尖閣諸島の領有権についての基本見解(外務省)
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。(以下略)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html
・日本の領有は正当/尖閣諸島 問題解決の方向を考える(しんぶん赤旗)
所有者のいない無主(むしゅ)の地にたいしては国際法上、最初に占有した「先占(せんせん)」にもとづく取得および実効支配が認められています。日本の領有にたいし、1970年代にいたる75年間、外国から異議がとなえられたことは一度もありません。日本の領有は、「主権の継続的で平和的な発現」という「先占」の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。(中略)
同時に、紛争は領土をめぐるものを含め「平和的手段により国際の平和、安全、正義を危うくしないように解決しなければならない」のが、国連憲章や国連海洋法の大原則です。その精神に立って日本外交には、第一に、日本の尖閣諸島の領有権には明確な国際法上の根拠があることを国際舞台で明らかにする積極的活動が必要です。・・・中国側も、事実にもとづき、緊張を高めない冷静な言動や対応が必要でしょう。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-20/2010092001_03_1.html
■「無住地先占の法理」は果たして万能か?
以上今まで長々と説明してきましたが、さてここからが私の問題意識です。それが冒頭でも少し述べた、この問題に対する「平和国家としての意欲やノウハウ」も踏まえた上での「21世紀の今の時代に相応しい解決の仕方」です。前号記事からブログ更新に大分間が空いたのも、一つにはこの問題についてずっと考えてきたからでした。
私にはどうもこの「無住地先占の法理」(所有者のいない土地は先に取ったモン勝ち)がひっかかるのです。一見常識的な内容であり、主要政党間では与野党・左右を問わず大差がないこの論理ですが、これでは19世紀の帝国主義の考え方とさほど違わないのではないでしょうか。確かに字面だけを捉えれば対象はあくまで「無住地」に限定されており、そういう意味では西欧のアジア・アフリカ侵略、日本のアジア侵略などの「有住地」に対するものではないかも知れません。しかし、コロンブスによる新大陸発見以来の数百年に渡る南北アメリカ大陸征服の歴史や、南アフリカにおけるアパルトヘイト(人種差別政策)の源流になったボーア人によるアフリカ進出も、最初はこんな西部開拓物語のような「無住地先占の法理」から始まったのではないですか。19世紀のアラスカで起こったゴールドラッシュなんてその典型ではないですか。中国のチベット・ウイグル侵略も、無人で未開の処女地を切り拓くという大義名分の下に行われているではないですか。
政府から共産党まで一致して錦の御旗のように掲げている「古賀辰四郎による開発」という既成事実にしても、これは裏返せば県外の人間(古賀は福岡県人)による「ゴールドラッシュ」ではないですか。
何故ここまで書くかというと、実際、同じ沖縄県の大東諸島の開発が「ゴールドラッシュ」そのものだったからです。大東諸島は沖縄東方約350キロの海上にあり、南・北・沖の3つの大東島から構成されています。そのうちの南北両島は、今でこそそれぞれ南大東村と北大東村に属し航空路も開かれていますが、そこは戦前は島全体が玉置商会という個人企業の私有地で、そこに進出した本土資本の製糖会社によって「蟹工船」さながらの原始的な搾取が行われていました。そして戦後にやっと住民からの陳情によって村政施行・地方自治の運びとなったのです。
そして今はもう21世紀です。数百年に渡り白人支配下にあったカナダの原住民イヌイット(旧名エスキモー)も、今やヌナブト準州自治政府の下で広汎な自治権を獲得しました(ヌナブトとは現地語で我々の土地という意味)。沖縄も薩摩藩によって侵略されるまでは琉球王国として独自の歴史をたどって来ました。このグローバル化の時代にかつての大日本帝国や戦後の東西冷戦時代の論理なぞもはや通用する筈がありません。徒に中国と軍拡を競うよりも、沖縄を自治州にして、尖閣諸島の石油・天然ガスを財源に充てれば、基地依存なぞ完全に断ち切ることが出来る筈です。沖縄と同規模の面積・人口の独立国も世界には決して少なくありません。例えばインド洋の島国モーリシャスもその一つですが、元英領植民地だったこの国も、今や観光立国として立派にやっていけています。
元々、沖縄の米軍基地は沖縄や日本を守るためにあるのではなく、米国が世界のどこにでも自分の好き勝手に殴りこむためにあるのです。そして基地収入の県財政に占める割合もたった5%にしか過ぎません。今や基地は犯罪の温床であり開発の足かせでしかありません。そんな基地に依存するぐらいなら、沖縄をヌナブトのような自治州にして天然資源も自分たちで使えるようにしてこそ初めて、中国の軍拡やチベット・ウイグル侵略に対しても武力ではなく道義で圧倒出来るのではないでしょうか(チベットもウイグルも自治は形のみなのだから)。それでこそ21世紀の現代に相応しい平和創造のモデルといえるのではないでしょうか。
今や経済がますます国境の枠を超えて拡大し、カナダ極北民族も立ち上がりつつあるこの脱帝国主義の時代に、日本も中国も何を下らない意地の突っ張りあいをしているのかと思いますね。未だにそんなレベルに止まっているのは、後は北朝鮮かタリバン・アルカイダぐらいのものです。
※写真は左が南大東島の製糖工場(出典:南大東島HP)、右地図の赤色部分がヌナブト準州(出典:ウィキペディア)。
【参考記事】
・悪化する日中関係、尖閣諸島漁船衝突事件をブロガーたちはどう見た?(ブログ・ウォッチ)
http://blog.livedoor.jp/blogwatching/archives/51683907.html
・釣魚島(尖閣諸島)問題と過激化する海上保安庁の領海警備:領土主義の危険~労働者人民の国際連帯のために(虹とモンスーン)
http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/777/
・シュクシュクボーシが啼く民主党「害交」 (つぶやき:尖閣諸島問題編)(大脇道場)
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1896.html
・日本は外交的弱点を克服できるんでしょうか? (「尖閣諸島中国漁船衝突事件」をめぐって)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2007.html
・(追記)転載:尖閣諸島問題を利用した国家主義、排外主義に反対する!(立川テント村声明)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/740fc332119cc95c965b1b4cfb6ada5e
領有宣言そのものが日清戦争のドサクサ…清国の負けが見えて、まあ清国も文句いえんだろうという時期…であったことも含め、外務省の「清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上」という文言も、文書の破棄や捏造(対朝鮮で、江華島事件において艦長の帰国後スグの報告書と、10日たった後の報告書が違う…10日後の報告書に「給水に行ったら砲撃をうけた」とされていた)が「得意」な日本帝国主義ですから、どれだけ信用できるのやら…
その上で、日本の世論の主流があくまでも「領土や権益を守れ」の視点だけなんですね。そこで暮らしを立てる人の観点から全然考えていない。昨日NHKのニュースを見ていましたら、石垣島の「安心して漁に出れない」という漁民の声が出ていました。おそらく中国や台湾の漁民も、同じようなことを考えているでしょう。こういった視点の報道…領土問題やナショナリズムをあおるのではなく、民衆目線で解決策を考えること…がもっと必要でしょう。
あと、蛇足ですが、アルカイダはともかく、今の「タリバン」については、共同体を守るためにとりあえず「タリバン」をやっている普通の農民であると考えたほうが良いと思います。
この論理だか法理だかがナンセンスだってことは、遺伝子情報の著作権化とか宇宙の領有というような愚行と同質だからなんですよ。
つまり、「社会的承認を要件とした対象支配」が及ばないハズの「モノ」以外の範囲にまで私的所有の論理を擬制的に適用し、国家や商売人に月面不動産の所有・販売まで認めてしまうようなナンセンス論理。
人類社会の発展の現実によって批判されていることにも気づかない転倒や幻想のたぐい。
国際「法」を絶対視する立場もマルクスによって批判された法律学の幻想の一種でしょうね。
地球は、全人類のものです。
誰のものでもどこの国でもありません!
その証拠に、現在の日本も、まだ資本主義体制のままであるにもかかわらず、生活財まで一部で社会的所有が始まっている。生活財でも私的所有が部分的に否定され始めている。
たとえば、「共有部分」をもたざるを得ない分譲マンションという居住形態や地方自治体の始めたレンタル自転車システムなどなど。
生産や生活の社会化が発展していくと、生活財の分野でさえも私的所有制度が時代遅れのものになっていくのです。
諸物の「機能の社会化」は、「所有の社会化」を必ず導き出すというのが人間の社会なのでしょう。
人間の生活空間が社会化して国際化や宇宙化までして行けば、私有財産制度や国家的所有制度(=領土制度)はイヤでも掘り崩されていくでしょう。
地球も宇宙もみんなのものです!
無理矢理所有しようとすることは、法律学の幻想にすぎません。
>日本の世論の主流があくまでも「領土や権益を守れ」の視点だけなんですね。そこで暮らしを立てる人の観点から全然考えていない。昨日NHKのニュースを見ていましたら、石垣島の「安心して漁に出れない」という漁民の声が出ていました。おそらく中国や台湾の漁民も、同じようなことを考えているでしょう。(以上、GO@あるみさん)
>地球は、全人類のものです。
誰のものでもどこの国でもありません!(バッジ@ネオ・トロツキストさん)
そういう意味では、単に「尖閣諸島は沖縄人のものだ」で止まってしまうのではなく、それをもっと先に進めて「~琉球・台湾周辺民のものだ」と捉えるべきなのかも知れませんね。沖縄も自治州昇格に止めるのではなく、一層の事独立してもらった方が、却ってすっきりするかも知れませんね。実際、祖国復帰ではなく独立を目指す動きも沖縄の一部にはあるのですから。
これは私もつい最近知ったのですが、南米のボリビアが、正式国名を「ボリビア共和国」から「~多民族国」に変更したのですね。彼の国は、ご存知の通り、多国籍資本による天然資源略奪や水道民営化と闘って来た左派系先住民運動の指導者が政権に就き、従来の白人支配層だけでなく先住民も加わっての国作りを進めている所ですが、沖縄もそれに倣い、琉球・台湾周辺民による「多民族共和国」を目指した方が良いのかも知れません。そして尖閣諸島一体も、一種の非武装・中立地帯として、周辺民なら誰でも漁労・居住が可能な経済特区として認定するのが、この問題の一番良い解決法なのかも知れません。
「尖閣諸島は、果たして日本のものか、中国のものか?」、この間ずっと考えてきましたが、今に至るも明確な結論は出ません。日本側・中国側の双方の論拠とも「帯に短しタスキに長し」なのですから。
成る程「無住地先占の法理」を重視する限りでは日本側に分があるように思えますが、領有宣言に至る経過の不透明さからは、「日清戦争の勝利に乗じての火事場泥棒」的な臭いがプンプン漂ってきます。そういう意味では、中国側の言い分も分からなくはありません。しかし、最近の中国側の「覇権主義的」とも言える対応を見ると、とても井上論文や週刊「かけはし」の論調をそのまま支持する気にはなれません。最近の中国側の対応は、まるで日本の靖国右翼やネットウヨクと同じです。
かと言って、「尖閣諸島には領土問題は存在しない、あそこは古来から日本固有の領土だ」と言い切ってしまうと、「では日中平和友好条約による領土問題留保の取り決めは一体何だったのか?」という事になってしまいます。況してや、石原慎太郎や西村眞吾が叫ぶような「目には目を、歯には歯を」の論理で、この問題が解決するとは到底思えません。そんな論理で突き進んでいっても、袋小路に陥るだけです。
尖閣諸島領有権問題では、米国はどう贔屓目に見ても中立でしかない。中国市場を見捨ててまで日本の右翼と心中する気なぞ、サラサラ無い筈です。そんな中で下手に日本が暴走しようものなら、中国より先に米国によって叩き潰されてしまうのがオチです。この尖閣諸島領有権問題一つとってみても、日米安保条約はもはや何の役にも立たない事が分かります。
これは対話の相手方も公正かつ冷静である(少数派でもそういう勢力が居る)という前提にたつもので、現状は空論に近いと思います。
中国政府の今回の対応はまさに政府主導でした。南沙諸島でもそうでしたが、領海、領域の主張にかけては「ああいう意見もあるがこういう意見もある、対話が重要だ」というような理想論が全然通用しない、中国共産党の態度の中では突出して突っ張ったものになっています。
恐らく何度目かのリバイバルで結局毛沢東なり小平なりが口走った片言隻句を絶対的に譲れぬ「生命線」としているのだと思います。温家宝自身が真相解明もない時点でいち早く「中国は領土領海で絶対に譲歩はしない」だとか「無条件で返せ」だとか言い出し、その対応策というより対抗策を先手先手と打ってきて、日本政府の「まずは状況を確かめて冷静に」というノホホンとした手続きの足元をすくってきました。
日本共産党の声明が、「中国政府に自制を求める」ようになっているのはまさにその問題を先鋭化させる中国側の瀬戸際外交の何やら「ためにする」(始めから政治問題化することを狙っての漁船の巡視艇衝突)をさえ射程に入れたものといえると思います。
この件を琉球独立だとか明治期のゴールドラッシュの略奪的な開発がどうしただという話にしてしまうのは迂闊で軽率です(まあ赤旗のコラムでも明治期の話はでてましたが)。
月の所有がナンセンスなことやEUや南米共同体の理念、そして東アジア共同体の構想が既に認識され始めているんですからね。
課題は、この「萌芽形態」を実践的に徹底することでしょ?
生産の社会化の進展の下では、個人が最終的に生産手段の所有主体になり得ないように、国民国家も空間の所有主体などにはなり得なくなるのですよ。
私的所有やその擬制でしかない国有は、所有対象の物理的性格によっても限界づけられたものでしかないんだと思います。所有とは、社会的・歴史的なカテゴリーであると同時に、自然存在の性質によっても規定、制限されているような関係です。
月や人間を所有することは、個人でも国家でも出来ないのです。これは、単なる道徳主義的な人権論からだけ出た結論ではないのです。
所有問題でも、それを歴史的に考えなければならないと思います。「『所有』は、どこから来てどこへ行くのか?」と。
オレは、マルクスの「個人的所有の再建」とは、事実上、万人の所有と万人の無所有が統一されたカテゴリーだと考えています。
みんなが持たざることによって、みんなで持つという矛盾したカテゴリーです。
ちなみに、このブログ記事も「ワーキングプア解放新聞」に載せました。当該職場新聞ですが、あれからまた読者が増えて現在8名に配布しています。今まではどちらかと言えば職場ネタ限定でしたが、それではどうしても愚痴のレベルに止まってしまいがちなので、それ以外の今回のようなテーマも適宜取り上げて編集・発行するようにしました。
それで、職場読者の感想ですが、「領土だ国益だという観点だけでなく、実際にそこで生活している人々の立場から考えてみる」という私の見方に対して、「マスコミとはまた違う物の見方に初めて触れて、非常に参考になった」というお褒めの言葉も、一人の読者から戴いています。
その一方で、マスコミの影響下にある意見の読者も何人かいますが、そういう人も新聞はよく読んでくれています。この前の大正区のエイサー祭りの記事についても、「こんな祭りがあるのを初めて知った」「今度はみんなで来たい」という声も出たりと、予想外の好評ぶりに私の方がびっくり。
とは言っても、普段は仕事に追いまくられの毎日で、よもやま話すらする余裕もなく、あっても仕事の話と愚痴オンリーの中で、以上の話はあくまでも、ほんの一部から聞けた感想にしか過ぎません。でも、これだけでも職場の雰囲気を変える一助にはなっているかなと、ひそかに自負しています。
今までのブログ更新に加えて新聞編集という新たな作業が加わり、ブログの文章も従来のような「分かる人には分かればそれで好し」では済まなくなり、それなりに大変にはなりましたが、その一方で手応えも少しずつですが感じ始めています。以上簡単ですが近況報告です。
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-f211.html?cid=76696668#comment-76696668
拙ブログ記事の紹介有難うございます。尖閣諸島の問題は、私の職場でも、休憩時間に休憩室のテレビがこのニュースを取り上げるたびに話題になります。
その同僚の意見などを聞いていて一番感じるのは、(1)中国でのネットの書き込みがさも中国人民全体の世論であるかのように思っている、(2)中国人全員がさも中華思想に凝り固まって中国政府を支持しているように思っている(中国政府=中国人と看做してしまっている)、という事です。
ネット世論が実際の世論そのものではない事ぐらい、この日本においても、政権交代前の自民党擁護のネットウヨクの書き込みや、民主党代表選前の小沢信者の書き込みが、決して世論の大勢ではなかった事を冷静に見れば直ぐ分かろうものを。
それは基本的には中国も同じだと思います。如何にあの国が情報統制されているとは言っても、必ずしも中国人全員が積極的に政府を支持している訳ではない。それは、第二次大戦中の銃後の日本人や、玉砕で死んでいった兵士の本音が、実際どうだったかを考えればよく分かる筈です。今回の事態についても、「また一部のサポーターが騒いでら」と思っている中国人も結構いるのではないか。
確かに、その一部で騒いでいるサポーターの意見も、世論の流れを一定反映したものである事は認めます。「火の無い所には煙は立ちません」から。しかし、それを恰も国民みんなが排外主義一色に洗脳されているかのように看做し、互いに敵意を煽り立てている日米のネオコン政治家・財界人・軍事利権族や、それをまた格好の国難(奇貨)として覇権主義・国家主義扇動に利用する中国政府の思惑に、騙されてはならないと思います。
本来そこで生活している人たちの間には、国も国境もなかったのですから。そうであるならば、実際にそこでずっと生活してきた人たちが、今後も平穏に暮らせるにはどうすれば良いかを、まず第一に考えるべきでしょう。しかし、紛争当事者の日・中両国政府も、それを様子見で眺めている米国・台湾・東南アジア諸国の政府も、その一番肝心な「実際の当事者」を脇において、自国の国権拡張(市場拡大)にばかり現を抜かしているのが現状です。そういう意味で、「そこに暮らす民衆が出てこない「領土問題」なぞ粉砕の対象だ」という、この(注:GO@あるみさんの当該ブログ記事の)標題の文言は、正にその通りだと思います。
投稿:プレカリアート | 2010年9月30日 (木) 08時39分
マルクスの「経済学批判」プランは、未完ながらもその学問的体系にはっきりと「世界市場」を位置づけていたし、19世紀のブルジョアたちによる貿易問題をめぐる論争の時にもマルクスはそういう展望をもって主張していた。マルクスは、保護貿易を「保守」であり「反動」であるする一方、自由貿易を「破壊」ではあるが「それは、古い民族性を解消し、ブルジョアジーとプロレタリアートの間の敵対を極限までおし進める。」「通商自由の制度は社会革命を促進する。この革命的意義において、私は自由貿易に賛成するのである。」と宣言していた。
その後、この方向性については、レーニンが近代国民国家の成立の経済的必然性の解明や「帝国主義」の問題として展開したが、そこには「帝国主義」を資本主義の「最高の段階」「死滅しつつある資本主義」と断定するような歴史的制約がいろいろとあった。その「歴史的制約」性は、トロツキーの「ヨーロッパ合衆国」戦術に対するレーニン主義者たちの無理解やその後の現実がEUを誕生させたことなどでも明らかになった。
そう、20世紀の社会主義は、トロツキーの人類史展望を真面目に検討することもなしに、国民国家の枠内の変革という理論と実践に拘束され続けたのだ。スターリン主義の一国社会主義可能論や唯一国変革主義を批判する「反スタ」諸派もこの点では事実上同罪である。
しかし、21世紀の現実は、既に理論を追い越してしまっている。労働問題然り、金融経済の規制問題然り、為替・法人税などの法制問題然り、環境や資源問題然りである。
21世紀では、国民国家の枠内には問題解決の道はないのだ。右翼たちでさそのことには薄々気がついている。「領土問題」で騒ぎ立てることのブーメラン効果をである。
であるならば、左派はこの変化・発展にいっそう自覚的になるべきではないだろうか?
いつまでも国民国家の土俵に囚われていてはダメなのである。
国体でさえ都道府県対抗形式の撤廃が取りざたされている時代なのであるからwww