漫画「はだしのゲン」を読んだのを機に、地元の戦争遺跡を見て来ました。大阪市住之江区南加賀屋4丁目の防空壕跡です。地元に残る戦争遺跡として、区の広報誌に載った事もあります。
半地下式の防空壕で、屋根には換気口、壁にも灯取りの小窓があります。終戦前日に完成したので、実際に使われる事はなかったようです。
もし使われたとしても、全然役に立たなかったのではないでしょうか。周囲は密集した住宅地。空襲下でこんな所に逃げ込んでも、蒸し焼きにされるだけです。
これが密集した住宅地ではなく、畑の中にあったとしても同じです。幾ら半地下でも上から屋根が丸見えですから、空襲の攻撃目標にされるに決まっています。資金難で半地下式の中途半端な防空壕にせざるを得なかったのでしょう。
しかも半地下なので、おそらく中は湿気でカビだらけでしょう。おまけにすぐ横を大和川が流れています。台風や津波に遭えば、たちどころに大洪水で溺れ死んでしまいます。
戦時下では天気予報も報道されなくなります。スパイに情報が漏れたり、国民が戦意喪失するのを防ぐ為に。そのせいで、戦時下では戦争以外に、台風や地震・津波でも多くの人が亡くなっています。愛知県では1944年に東南海地震、1945年に三河地震が相次いで起こり、軍需工場が倒壊して多くの人が亡くなっています。
この軍需工場は繊維工場を転用したもので、作業場の空間を確保する為に柱を撤去してしまった事で耐震性が失われ、より多くの被害を出しました。しかし、国は報道はおろか被害調査もさせずに情報を隠蔽してしまいます。そんな事をしても、地震計は世界各地にあるのですから、事実の隠蔽なぞ不可能なのに。実際に、この地震も他国では大きく報道され、米軍機から「地震の次は何をお見舞いしましょうか?」というビラが被災地に撒かれました。
半地下式の防空壕を作った事で気休めにしかならず、地震の報道管制なぞやっても無駄な事ぐらい、少し考えれば分かるはず。そんな当たり前の感覚も通用しないほど、当時の国民は軍部に洗脳されていたのでしょうか?もはや反対しても無駄だと諦めてしまっていたのでしょうか?
おそらく後者でしょう。二度とそんな世の中にしてはならないと、この防空壕跡を見て、改めて認識しました。