友人からメールが来ました。
「今読んでいる本の中に、笑える話がありました。
『男性が認知症になった時、最後まで分かるのが妻。女性が認知症になった時、最初に忘れるのが夫らしい。』というのですが、本当ですか?」
今日はバラシリーズ
私の返信メールです。
「ボケたら、夫は妻がわかって、妻は夫がわからないということはありません。ボケが進めば、必ず人に対する見当識(この人はだれかわかること)が揺らぎます。
親しい人とか、世話をしてくれる人とか、怒る人や怖い人ということはわかりますが、本当の意味の関係はわからなくなっていきます。
「ボケたら、夫は妻がわかって、妻は夫がわからないということはありません。ボケが進めば、必ず人に対する見当識(この人はだれかわかること)が揺らぎます。
大ボケの最初にはいると、家族か否かはわかりますが、孫と子供を間違えたり、息子が夫になったりします。
そのうちにボケた妻が夫のことを『あのおじいさんはどなたでしょうか?』ということもあります。もちろんボケた夫が妻に対して『こんなばあさん知らん』といったりもします。この二つの出来事は全く同じ意味を持っていることに気づいてください。
このくらいのレベルになると、娘が丁寧に世話をしているときに
『どちら様か存じませんが、ご親切にしていただいて・・・』ということもあり、何の問題もないように話していても、改めて
「この方はどなたですか?」と尋ねると誰だかまったくわかっていないこともあるのです。
『どちら様か存じませんが、ご親切にしていただいて・・・』ということもあり、何の問題もないように話していても、改めて
「この方はどなたですか?」と尋ねると誰だかまったくわかっていないこともあるのです。
親しい人とか、世話をしてくれる人とか、怒る人や怖い人ということはわかりますが、本当の意味の関係はわからなくなっていきます。
もちろんこれは、ボケがとても進んでる証拠でもあります。
『配偶者を亡くして半年経った時元気なのは?』と尋ねると、みんな笑いながら
『おばあさん』と返事しますが、これも関係性の問題です。
さて私は?
『おばあさん』と返事しますが、これも関係性の問題です。
多くの場合、そのダメージは男性の方が大きく受けるみたいです。
もちろん生活遂行能力の問題もありますが、夫の方が関係を深く求めている(頼っているor母子関係の再現を求めている)のではないかと私は思っています。
そういうことを皆さんが承知しているから
『配偶者との別れの後、半年経って元気なのはおばあさん!』と声をそろえて答えるのでしょう。
そういうことを皆さんが承知しているから
『配偶者との別れの後、半年経って元気なのはおばあさん!』と声をそろえて答えるのでしょう。
さて私は?
メル友が、私のメールを読んでまたコメントを寄せてくれました。
「『ボケたら夫は、妻は』の問題は、それを世間一般が期待しているのが大きいような気がします。
現実には夫の世話はほぼ妻がしているから、夫にとって妻は「世話をしてくれる・頼れる人」であり続けるので『・・(名前)』にしろ『おい』にしろ、夫は妻を呼び続けます。妻という認識がなくなっても!
妻がボケた時には夫がその役割をしない可能性が高い(娘・嫁に世話をさせる)ので、すぐに呼びかける必要がなくなります。その状態は、あたかも妻が早々に夫を忘れてしまったかのような・・・という大雑把な印象が出来上がるのだと思います」
現実には夫の世話はほぼ妻がしているから、夫にとって妻は「世話をしてくれる・頼れる人」であり続けるので『・・(名前)』にしろ『おい』にしろ、夫は妻を呼び続けます。妻という認識がなくなっても!
妻がボケた時には夫がその役割をしない可能性が高い(娘・嫁に世話をさせる)ので、すぐに呼びかける必要がなくなります。その状態は、あたかも妻が早々に夫を忘れてしまったかのような・・・という大雑把な印象が出来上がるのだと思います」
とっても納得。