長らくご無沙汰しました。
1月半ばから友人とベトナム旅行に行っていました。帰国翌日に兄が亡くなった知らせを受けました。
11月から入退院を繰り返していたのですが、私がベトナムに行っている間に、末期の胃癌が見つかり手術。
手術は成功したとのことですが、その3日後に急逝。
秋の入院時に「熱も咳もでない肺炎」といわれ、「それにしてもなかなか良くならないなあ」と思っていました。
間質性肺炎だったらしいです。ということは、予後は結構大変・・・
体力の衰えか、肺炎治療の影響か、(微妙なバランスで)潜んでいた胃癌が表に出たらしいです。
はっきりした時には、もう手遅れでオペ対象ではなかったみたいです。本人の希望でオペしたそうです。
振り返るといくつかの時点で『こうしたら』と思うところはありますが、その選択まで含めて、これが兄の人生だったと思います。
兄は、浄土真宗を信仰していました。西本願寺にお参りすることを楽しみにして「今度で何回目」「奉仕団15年表彰を受ける」と嬉しそうに話してくれたことを思い出します。
この頃、いろいろな人に別れるとき「もう卒業なのね」と思います。
「生老病死といって、生きることは「四苦」なんだよ」と私にいっていた兄。
その言葉は私の耳に残っていて、今もリフレインしています。
そのリフレインする兄のことばが、私よりもはるかに苛酷な人生を送った兄が、早目に死にゆくことは、文字通り「十分に生きて、そしてもう卒業できるのね」と思わせてくれます。
死ぬことは、兄だけでなく私も含めて受け入れているのですが、いろいろ思うと涙がでます。
特に私には優しい兄でしたから…
糖尿病の悪化入院と、会社を甥に譲ったのとが同時に起きて小ボケになっていったのを、母の法事でたまたま見つけました。2011年夏のことでした。
毎日歩いて歩数を連絡してもらって、毎日返信メールを送りました。
2年3か月間!
私たち兄妹、大人になってから、お互いこんなに毎日確実に相手のことを思ったことはありませんでした。
それをエクセルでグラフ化して、月に2回送ることもしました。
兄は自分で設定した目標値クリアを喜び、私の作ったグラフをとても自慢していたそうです。
兄は体が持たなくて亡くなりました。(そこまで痛めているとは思ってもみませんでしたが)もしこの2年間私が何もしなかったら、兄らしさが無くなって、そして死んでいったと思います。
去年の夏には
「絹子ちゃん、歩くって大事だねえ。
歩くと脳が元気になるってことを、俺のことを言ってみんなに教えてやってくれ」と言いました…
兄のために返信メールを打っているつもりでしたが、私のためでもありました。
可愛がってくれた兄に、この年齢で向かい合えた喜びは私のためでもありました。
きっと母の喜びでもあったと思います。
人が一人いなくなることは、ほんとにさまざまな思いに目を向けさせてくれるものですね。
生身が消えていくことは悲しいものですね・・・