脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

とてもとても珍しい認知症患者をテレビで発見

2025年01月13日 | エイジングライフ研究所から
「サンドイッチマンの病院ラジオ」というNHKのテレビ番組があります。サンドイッチマンの二人が病院に出向いて、患者さんのお話を聞きリクエスト曲を放送するという番組ですが、合間に院内の様子、病院スタッフ、患者さんたちの様子、収録後の家族とのやり取りなど「ドキュメンタリー」と銘打つのが納得できる番組です。

とにかく、メインは入院中か通院中の方が出られて、現在の様子だけでなく診断を受けた時の心境から治療の詳細、現在の病状だけでなく家庭状況まで赤裸々なお話が繰り広げられます。涙することも度々ある…そんな良い番組です。
2025年1月13日は、阪神淡路大震災から30年(震災直後の2月がエイジングライフ研究所の第一回実務研修会でした。関西以西からの参加希望者が参加がかなわなかったのです)ということで神戸市からの中継でした。
いつものように、心に響くエピソードが語られていきました。
ダイアモンドリリー

35分を過ぎたところで、高齢といっても70代にしか見えないご夫婦が登場。最初に感じたのは、場にそぐわないほどの明るさでした。実際は夫85歳、妻80歳ということでしたから、いかにはつらつとした印象だったかわかってもらえると思います。
にもかかわらず、私の第一印象は「認知症がらみではないか?」でした。理由は「夫婦で登場ということは、どちらか一方では生の応答なので無理があるということかな?」それにしたらどちらが問題かと思うほど、一瞬でしたがお二人ともシャキッとした歩き振りで入室。にこにこ笑顔。洋服も後からサンドイッチマンから「お出かけするほどおしゃれ」といわれ「だいたいいつもこんなもんです」と答えるほどおしゃれで整っていました。イアリングまで光っていました。
コバノセンナ

でも、入室後椅子に座るまでの妻のもたつきを見て「これは奥様が問題」とすぐにわかりました。
二脚の椅子が並べて置かれていて、左側に夫、右側に妻とほとんど並んで入室されました。
最初に感じた違和感は、椅子に座る前に夫が妻のバッグを自然に取って夫の椅子のそばに置いたことでした。「あ、バッグをきちんと置けない可能性があるということだろう」
それから普通は、この入り方ならば左側の椅子に夫が掛けて、右側に妻が掛けるでしょう。夫の自然さに比べ、妻はどことなく着席までぎくしゃくしていました。ここも気になる。
その後は、「お名前は?」「お歳を伺ってもいいですか?」といつものような質問が続き、夫はスムーズに答えます。
妻は「あれ、私なんぼだったっけ」。夫が「いつもなんていってる?」と助け舟を出すとかわいく笑いながら「知らん」
サンドイッチマンは「だいたいでいいですよ」夫が「80歳」と答えると「まあ、80になるの!」とまた口を押さえて噴き出すように笑うのです。その笑い方があまりにも自然で、その場の4人が大笑いするシーンに続きました。
ユッカ

「こちらの病院には何で?」という質問に対し、夫が妻の方をやわらかく指さしながら「認知症なんです」
すかさず妻は表情豊かに「認知症、認知症言われるねん」
サンドイッチマンも間髪入れず「そんなことないのに?」
それにこたえて「わたしはっきりいうの。認知症ちゃうで~」このセリフは感情たっぷりというか、まるで芸人さんのような面白みにあふれていました。
美容院をやっているということでしたが、夫は診断が下った時点で店をたたもうと思ったら、お客さんたちが本人のためになるからといってくれて、できることだけやらせているという事情を語っている間中、ちょうどボケと突っ込みのようなやり取りが続きました。
これだけ表情豊かで楽しく愉快な応答がつづけば、美容院の仕事が満足にできないことや「年齢がわからない」という先ほどの事実は棚上げになってしまいますね。
「慣れたことならできる」と言う夫による解説は、その場の判断が必要な状況には応じられないということを言っているのと同じですし、実は私たちのデータから言うと、年齢が答えられない場合はMMSEのスコアはすでに半分を切っているのです…
水仙

こんな明るい認知症もあるという妙な希望的観測が生まれてしまうのではないかと、思いました。
私は、万を超える認知症の方にお会いしましたが、仮に「感性残存タイプ」と名付けたこのタイプの方は数名しか知りません。私が承知している方たちは50代でしたから、この80歳というのは、ほんとに珍しいと思います。
認知症の大部分を占めるアルツハイマー型認知症とは違い、脳機能を落としてしまうきっかけや、その後のナイナイ尽くしの生活がないままに、脳機能だけがどんどん落ちていく。
前頭葉機能はもちろん最初に落ち、その後にMMSEで測るいわゆる認知機能も落ちていきます。
生活の大きな変化をきっかけに生きる意欲を失って、脳の使い方、特に前頭葉の出番が足りない生活を続けるうちに脳機能の正常な老化を超えて老化が進んでしまうアルツハイマー型認知症とはその機序が全く違うと言うことは強調しないといけません。アルツハイマー型認知症ならば、早ければ打つ手があります。この「感性残存型」タイプの方には打つ手はありません。本人が楽しいと思えることをできるだけさせてあげつつ、生活面ではフォローをしていくと言うことになると思います。
リュウゼツラン

今日の方のように表情も身振りも豊かで、正確に解釈すると的は外れているもののけっこう当意即妙な応答ができます。
今日は触れられていませんでしたが、このタイプの人たちは(MMSEが一けたの、エイジングライフ研究所が言う大ボケになっていても)花や景色に心動かされる、子どもに目を細める、音楽会に行って長時間楽しめる。ピアノを弾ける人もいました。生活遂行能力には多々問題が起きていて、目が離せない状態になっていても本当にかわいげのある稀有なタイプです。
その証拠は、お客さんがお店の継続を勧めてくれたことですし、何より夫が穏やかに笑顔で対応していること、そのものです。
ワシントニアパーム

でも、普通のアルツハイマー型認知症はこんなに簡単ではありません。
ごく早期で、世の中ではまだ認知症と気が付かれていない前頭葉機能だけが低下して、MMSEは正常範囲の小ボケの状態であっても、表情はないし、会話は楽しめないし、言っても聞かないし、理由のわからないことは主張するし、感動はないし、気が付くと居眠りしているし…本人も困惑していますが、家族は「おじいさんらしくない」「おばあさんはこんな人じゃあなかった」などと、頭を抱えてしまうのです。これが見当識障害や徘徊や妄想や不潔行為の始まる数年前に起きることですよ。
ユリの種鞘

このブログでたびたび報告する、側頭葉性健忘症は認知症なら必ず起こす前頭葉機能障害がない。そのためにその人らしさや行動には支障が起きてこない。ただ新しいことの記憶ができないという症状で、本人がそのことを理解して困惑したり、援助を求めたりします。カテゴリー「側頭葉性健忘症」に実例をたくさんあげてあります。

by 高槻絹子


高学歴ならば採用というわけではないのです

2025年01月09日 | 右脳の働き
昨年末にお近づきになった方と、意気投合しました。
彼女は興味深い職歴の持ち主です。FBのプロフィール欄から抜粋してご紹介しましょう。
「銀座でクラブ&バーを14年間、その後地元で喫茶店を3年間。その後昨年春からK市で古民家カフェを始めた」という私の今までの交友範囲では出会ったことのない方です。
すでに何度か行っている友人がそのカフェに連れて行ってくれました。さりげないセーター姿、薄化粧。「初対面なのにこの自然な親しみやすさは魅力的だなあ…」というのが私の感想でした。
時間が早かったせいか、お客さんに急かされる状態にならなかったので、ゆっくりお話ができました。(写真は白浜神社1/8)

改めて「銀座7丁目、並木通りでクラブをやっていたのですよ」と極々自然に自己紹介してくださって、銀座にはとんとご縁のない、まして「クラブ?夜!」と「話の接ぎ穂はどこにあるのだろう?」と一瞬戸惑った私でしたが、「外堀通りですが、6丁目に高校時代の友人がバーを構えていました。今は銀座シックスの裏にお引越しした毛利バーっていうのですけど」と話を進めると「えっ!毛利さんご存知ですか?」とすぐにお返事を返してくれながら、その表情からは「どうして?どうして?」の気分が小気味良いほどに伝わってきます。
「高校の同級生なんです。お近くだからと思ってちょっと伺ってみたのですが」
「銀座で店を構えていて、毛利さんの名前を知らない人はいません」
「やっぱり。そのように聞くのですけど、こうして教えていただくと嬉しいものです」その時の私の表情にはパッと喜びが弾けたに違いありません。

ここまでのやり取りは、時間にしたら、ほんの1分か2分の出来事でした。
会話が弾むというのは、こういうことなのだと、ちょっとした高揚感が湧いてきました。
初対面でもお互いに関心を持って、会話をしながら少しずつ理解の幅が広がっていく。そのことを双方で楽しむ。
今「会話」と書きましたが、これは単なる言葉のやり取りの意味ではありません。表情も仕草も、声のトーンも。できるだけ多くの情報をもらったり、渡したりするという条件があってこそ「会話できた」という満足感につながるのです。

どんなステップで次の話題に移ったのかちょっとはっきりしませんが、次のテーマは「クラブ経営の頃のスタッフ採用試験」
私はこう言いました。「綺麗な人の応募はたくさんあるでしょうけど、なんというか、気配りができる人がいいのではないですか?」
ニコッと笑って「そうですね!」
その笑顔に惹かれて「気配りっていわゆる頭の良し悪しと違いますよね?」と続けたら
「全くそうなんです。当時でも大学生の応募はあったんですけど…確かに頭の良し悪しとはもう一つ別の見方が必要だったような気がします」

そこで、私はいつもの三頭立て馬車の話をして「鍵は御者である前頭葉。もちろん左脳(の馬)が力があって大きいことはいいことでも、大きければ大きいほど、それを御する力が前頭葉には求められますものね」と言ったら
「わー。初めて私の思っていたことを説明してもらえた気がします!」と声をあげられたのですが、そこにお客さんが。

お話は終わったような、まだもう少し続けていたいような。
今、なるべく会話を再現するつもりで書いたのですが、文章に起こしただけでは、初対面の私たち二人の間に醸された雰囲気というか意気投合した感じを伝えることは難しいと思います。
それは言葉のやり取りだけでできあがったのではなく、前に書いたように、そこに現れた表情も仕草も声のトーンも、実は古民家カフェの持つ佇まいまでもが影響していると思います。それはとても言語化できません。
考えてみたら、ラインに顔文字やスタンプが多用されるのは、「言葉」だけで伝えきれない雰囲気というか「感情」を加味して、できるだけ「生の会話」に近づけたいという表れでしょう。

昔書いたブログ記事

MoMAに絵文字がーコミュニケーションの基本は右脳 - 脳機能からみた認知症

MoMA(ニューヨーク近代美術館)に、ドコモが携帯電話向けに開発した176の「絵文字」がコレクションとして収蔵され、その展示が始まったというニュースを耳にしました。携帯...

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「絵」を加味したメッセージカードがさらに「音楽」までプラスしたメッセージ動画になっていったのも、デジタル情報担当の左脳で処理する「言葉」が伝える能力には限りがあるので「絵や」「音楽」というアナログ情報担当の右脳にも一役買ってもらおうとする自然な流れだと思えます。

私はもう40年以上も「脳の働きからみる」という姿勢で仕事をしてきました。そのために人を理解するときには、左脳や右脳そして前頭葉までに思いを巡らすのですが、このような理解の方法があることをもう少し知ってもらった方がいいのかもしれないと思いました。


by  高槻絹子

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