雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 47 浜北・あらたま公民館の万葉石碑

2011年02月01日 05時44分34秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 47 浜北・あらたま公民館の万葉石碑

 『万葉集』の「巻 第十一」の2530首目が、以下の歌です。 

 原文 「璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方」
 
 読み 「麁玉(あらたま)の、寸戸(きへ)が、竹垣(たけがき)網目(あみめ)ゆも、妹(いも)し見えなば、我(あ)れ恋ひめやも」

 訳 「あらたまの、きへの竹垣の編み目の隙き間から透けて、あの子がちゃんと見えるなら、こんなに恋い焦がれたりしないのに」 

 語釈 「あらたま」も「きへ」も、現在の浜松市浜北区に残された地名だと思います。
    問題はどれくらい地名なのか、部族名や民族名ではないのか、ということです。
    
 地名「あらたま」と坂上田村麻呂の「ありたま」伝説との関連も気になります。