遠州の遺跡・寺社 47 浜北・あらたま公民館の万葉石碑
『万葉集』の「巻 第十一」の2530首目が、以下の歌です。
原文 「璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方」
読み 「麁玉(あらたま)の、寸戸(きへ)が、竹垣(たけがき)網目(あみめ)ゆも、妹(いも)し見えなば、我(あ)れ恋ひめやも」
訳 「あらたまの、きへの竹垣の編み目の隙き間から透けて、あの子がちゃんと見えるなら、こんなに恋い焦がれたりしないのに」
語釈 「あらたま」も「きへ」も、現在の浜松市浜北区に残された地名だと思います。
問題はどれくらい地名なのか、部族名や民族名ではないのか、ということです。
地名「あらたま」と坂上田村麻呂の「ありたま」伝説との関連も気になります。
『万葉集』の「巻 第十一」の2530首目が、以下の歌です。
原文 「璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方」
読み 「麁玉(あらたま)の、寸戸(きへ)が、竹垣(たけがき)網目(あみめ)ゆも、妹(いも)し見えなば、我(あ)れ恋ひめやも」
訳 「あらたまの、きへの竹垣の編み目の隙き間から透けて、あの子がちゃんと見えるなら、こんなに恋い焦がれたりしないのに」
語釈 「あらたま」も「きへ」も、現在の浜松市浜北区に残された地名だと思います。
問題はどれくらい地名なのか、部族名や民族名ではないのか、ということです。
地名「あらたま」と坂上田村麻呂の「ありたま」伝説との関連も気になります。