日本古代史 11 桃は「邪馬台国」の「卑弥呼」の「道教」の専用物?
1月27日の「本と映像の森 127 1月23日、NHKテレビ「〝邪馬台国〟を掘る」」を書きました。
あの番組の中で、桃が巻向遺跡から出土したから、これは道教の呪物で(それはそうなのですが)、卑弥呼の宮殿の所在地に間違いない、みたいな報道でした。
それは、違うと思います。
古代世界で「桃」の呪力が普遍的であるから、それを道教も取り入れたのであって、桃だから道教というのは、普遍ー特殊ー個別という、カテゴリーを誤解しているか、理解できない浅い精神ではないでしょうか。
道教でも何でもない、日本の『古事記』では、イザナギ神さんが、妻のイザナミ神さんが死んで行った黄泉(よみ)の国を訪ねる話で、出てきます。
死んで腐敗していく妻の姿(かな?)を見てしまったイザナギ神さんは、怖くなって黄泉から必死で逃げようとします。
イザナミ神さんは(当然ですが)怒って、黄泉の国の軍隊をくりだして、イザナギ神さんを追わせます。
黄泉の国(つまり死者の国)と現世との境の「よもつひらさか」で、イザナギさんは、そこに生えていた桃の実をとって、黄泉の国の軍隊に投げつけて、危地を脱して、逃げ切ることができました。
桃=道教=卑弥呼、という、それ以外の等式は認めないのは、無理矢理な話です。
1月27日の「本と映像の森 127 1月23日、NHKテレビ「〝邪馬台国〟を掘る」」を書きました。
あの番組の中で、桃が巻向遺跡から出土したから、これは道教の呪物で(それはそうなのですが)、卑弥呼の宮殿の所在地に間違いない、みたいな報道でした。
それは、違うと思います。
古代世界で「桃」の呪力が普遍的であるから、それを道教も取り入れたのであって、桃だから道教というのは、普遍ー特殊ー個別という、カテゴリーを誤解しているか、理解できない浅い精神ではないでしょうか。
道教でも何でもない、日本の『古事記』では、イザナギ神さんが、妻のイザナミ神さんが死んで行った黄泉(よみ)の国を訪ねる話で、出てきます。
死んで腐敗していく妻の姿(かな?)を見てしまったイザナギ神さんは、怖くなって黄泉から必死で逃げようとします。
イザナミ神さんは(当然ですが)怒って、黄泉の国の軍隊をくりだして、イザナギ神さんを追わせます。
黄泉の国(つまり死者の国)と現世との境の「よもつひらさか」で、イザナギさんは、そこに生えていた桃の実をとって、黄泉の国の軍隊に投げつけて、危地を脱して、逃げ切ることができました。
桃=道教=卑弥呼、という、それ以外の等式は認めないのは、無理矢理な話です。