雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月20日(日) どこでも梅の花が

2011年02月21日 17時02分49秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月20日(日) どこでも梅の花が

 これは里山の梅の花です。
  
 則子さん「ほら、梅って枝の下から先に咲いていくのね。知らなかったわ。まだ枝の先は咲いていないね」
 
 今からちょっと夕食を用意してから、出かけないといけないので、後は夜に書き継ぎます。

 《 追記 》

 こう書いたのですが、会議を終えて、二人で車に乗って、三方原の谷島屋に寄って、帰って来たら眠たくて、夜勤で出かけるまで仮眠しました。

 梅(うめ)は、中国から古代に渡来した外来植物です。

 「万葉集」では、植物のなかで萩についで2番目の、119首が詠まれているそうです(そう文献に書いてあるだけで、ボクが数えたのではないので)。

  大伴旅人(おおとものたびと)さんの歌(巻5 822)

  「わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」

 
 小林一茶さんも、梅のいろんな俳句を詠んでいます。

  「梅が香や そもそも春は 夜の事」(一茶さん、文化6年(1809年))
                     


雨宮日記 2月19日(土)の2 今日は「雨水(うすい)」でした

2011年02月21日 06時01分51秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月19日(土)の2 今日は「雨水(うすい)」でした

 「雨水」は「うすい」と読んでください。
 「あまみず」ではありません。

 今日は太陽の天空上での黄経(こうけい)が330度になる日です。

 黄経とは天空上の太陽の通り道「黄道」を春分点(黄道と天の赤道の春の交点)から測って何度という角度です。

 春分は0度、夏至は90度、秋分は180度、冬至は270度です。
 ですから雨水の今日は、あと春分点まで30度の位置にいることになります。

 雪が雨に変わって「雨水(うすい)」「天水(てんすい)」が天から降り注ぎます。

 少しづつ…冬から春に変わっていきます。

 写真は今日の夕食風景。
 味噌汁の左側のスープは娘(次女)の作品。
 真ん中の焼き魚とその上のタマネギと豚肉の炒め物はぼくの作品。
 
 娘「この炒め物おいしいね」
 ぼく「このスープおいしいね」とお互い褒めあいました

 娘「うーん、スープ、薄味過ぎたな」
 ぼく「(そのとおりです)」


 

本と映像の森 138 大和岩男さん『秦氏の研究』大和書房、1993年

2011年02月21日 05時40分24秒 | 本と映像の森
本と映像の森 138 大和岩男さん『秦氏の研究』大和書房、1993年8月31日第1刷~2006年2月25日第11刷、630ページ、定価8000円+消費税

 やたらと高い本ですが、日本古代史に興味のある方は「読むべき本」です。
 石川啄木さんの詩が「食うべき詩」であるように。

 秦氏(はたし)とは、中国の王朝「秦(しん)」の漢字で書かれていますが、たぶん朝鮮半島の加羅系の渡来人です。
 
 本の帯に「日本の文化・信仰・芸能・工芸・金属精錬などに深く関与した秦氏を論じた最初の多角的総合的研究」と書いてありますが、その通りだと思います。

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 たとえば「八幡様(はちまんさま)」という八幡信仰は、八(や)+秦(はた)と書きます。
 八は「多い」という意味ですから、秦氏が多いという意味になります。

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 奈良の平城京から京都の長岡京・平安京へ遷都するのも、秦氏の力が関係しているようです。
 
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 古代だけではなくて、室町時代の能作者の世阿弥(ぜあみ)さんは「世阿弥秦元清」と名乗っているように、秦氏の末裔です。
 それはどういう意味なのでしょうか。


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 浜松の古代史でいうと、浜松市東区の半田町・半田山という地名は、「秦氏」と関係ありそうですね。
 関係あると思います。