雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森 135 北森鴻さん『うさぎ幻化行』東京創元社

2011年02月18日 05時56分28秒 | 本と映像の森
本と映像の森 135 北森鴻さん『うさぎ幻化行』東京創元社、2010年2月25日初版~4月15日3版、296ページ、定価1900円+消費税

 浜松中央図書館で、たぶん「ウサギ年」コーナーで展示していて、「あ!北森さんの本だ」と、予約を申し込んで、やっと昨日、図書館で借りた本です。

 推理小説家、北森鴻さんの著書では、「民俗学者・蓮丈那智」さんシリーズと、お店を持たない骨董屋「冬の狐」こと「宇佐見陶子」さんシリーズが大好きです。

 もともとは、次女のIさんがなぜか気に入っていて買っていたので、ぼくは、それを借りて読んだだけです。

 「うさぎ幻化行」では、義兄に「うさぎ」と呼ばれた女性が主人公で、冒頭は、その義兄が、「日航ジャンボ機墜落事件」のような旅客機墜落事件で遺体が発見されるところから始まります。

 義兄は、音響技術者で、義兄が残した録音の謎を解きたくて、主人公の女性「リツ子」は行動を始めます。

 北森鴻さんの小説の魅力は、やはりすべての登場人物が、生き生きと生きていることでしょうか。

 主人公のリツ子さんも、録音された音に絡んでいるそれぞれの土地の人たちも、ナオも、女優エリカも。

 この推理小説の焦点は、やはり「音」です。

 音の聞こえ方、音の発信源、などをめぐって駆け引きと謎解きが、すてきです。

 ぼくが一番好きなのは、巨漢の鉄道マニアで鉄道雑誌ライターの「岩崎鈴音(すずね)」です。

 名前からして「鈴音(すずね)」という鈴の音です。

 岩崎鈴音さんが、仲をとりもって、媒介して、はじめてこの事件の主要な2人の人間が会うことができたわけです。

 いい作品ですが、いまいち、布石を展開していない気もします。

 なお、北森鴻さんは、昨年平成22年1月25日に心不全で亡くなりました。

 もっとたくさんの作品を読みたかったです。

 

 

本と映像の森 134 2月13日(日)TBSテレビ「世界遺産 インカ①」

2011年02月18日 05時24分30秒 | 本と映像の森
本と映像の森 134 2月13日(日)TBSテレビ「世界遺産 インカ①」

 日曜日の夜、疲れたので少しコタツで暖まろうと、テレビとこたつのある居間へ行って、なんとなくテレビをつけたら、ちょうどTBSテレビで「世界遺産」の「インカのすべて 1」をやっていました。

 「15世紀の南米大陸。わずか50年で南北4千キロに広がる巨大帝国を築いた国」
 それがインカ帝国です。

 番組はペルーの海岸で発見されたアメリ大陸最古の約5000年前のピラミッド遺跡、カラル遺跡など報告していました。

 文字はなくて、縄で情報を伝えた文明という話が印象的でした。

 番組を見ながら感じたのは、日本の縄文文化との共通性です。
 縄文文化も縄の文明ですよね。

 そのルーツから言ってもアメリカ大陸の住民は、アジアから移住していったのですから、そこに共通性があっても何の不思議もありません。

 ここまで書いて、あれ、むかし、こんな話を書いたような、と思い出しました。

 で、探してみたら、ありました。 

 天宮「遠江と日本 古代史の森」の「古代史日記」に以下のように書きました。

 「2005年6月2日(木) テレビ番組「世界遺産・マチュピチュ」

 アンデスの山の中、高い峰の山頂の「空中都市」マチュピチュ。

 NHKテレビで午後8時からやっていた番組で、居間にある共用のデスクトップパソコンで印刷をしていたら、なぜか、娘がマチュピチュには興味があるらしく、この番組を見ていまるのを僕も見せてもらいました。

 インカ皇帝がつくった「太陽信仰の聖地」という新発見が語られていました。そして、太陽信仰とともに「石への信仰」も、インカ帝国では明白なようです。

 ここまで見たら、僕としては、古代日本の天照大神に代表される太陽信仰と、縄文時代からの石への信仰と、同じじゃないかと感じました。こういうことについて、どういう研究があるのか、調べてみたいと思いました。
 (6/3up)」

 2月20日の夜は「インカ 2」で「マチュピチュ」の特集のようです。
 期待して見たいと思います。

遠州の遺跡・寺社 49 伊場木簡の「若倭部」

2011年02月18日 05時16分53秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 49 伊場木簡の「若倭部」

 浜松市東伊場の弥生から律令にいたる複合遺跡「伊場遺跡」で出土した「伊場木簡」の中に、「若倭部」の名前が現れています。

 伊場木簡では、若倭部の姓をもつ人名は24例に達し、宗宣部(そがべ)・語部(かたりべ)のそれぞれ10例を倍以上上回っています。
 (『静岡県史 通史編1 原始・古代』静岡県、p469)

 その中に「已亥年五月十九日渕評竹田里若倭部連老末呂」と書かれた木簡があります。

 「已亥年」とは699年(文武三年)であり、「渕評」とは、伊場遺跡にあった「評役所」と推定されています。

 つまり、古代の「若倭部」は、浜松市の伊場遺跡付近と、浜北市の宮口から浜松市の有玉にかけてと二カ所に拠点を持っていたか、それとも伊場遺跡付近から浜北市宮口付近まで広い範囲に分布していたかということになります。

 「若倭部」は、『万葉集』という古代文献と、伊場木簡という古代の直接文字史料と、神社名という現代に残る資料と、3つの系統で確認されていることになるのです。

 (2005年1月17日「遠江と古代史の森」にupを再録)

 写真は、宮口の若倭神社の現在の姿です。