福島調査ツアー日記 その2 9月27日(金)夕方 現地のお話を聞く
夕方から「かんぼの宿」でのお話の概要
いわき市は町村合併で面積が広く、車の所有台数が異常に多い。人口は東北で2番目。
この場所で1Fから44キロ。あの時は、ものの見事にパニックになった。「いわき市=30キロ圏」と。14日辺りからマスコミがいなくなった。
物資が入らなくなった。西は郡山市まで。南は茨城県まで。そしていわき市の人口の3割、10万人くらいいなくなったと思う。
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極端な意見になる人がいる。「いわき市になぜ住んでいるんだ!」今でもその名残がくる。それから「4号機が危機」という、それだけを強調する意見。
放射能の知識・教育が必要。ただ「あぶない」という感情では。悲劇はいっぱいあった。地獄のような苦しみも。
私の立場は説得型に到達してはいたが。電話があいついだ。夜中でも,一人暮らしの女性から電話が来きた。私に問い詰めるが、私には答えられない。電話がこわくて夜眠れなくなった3日間、その時、奇蹟的に測定器が届いて線量を測り始めた。
「残ろう。いわき市から逃げる方がリスクは大きい」と決断。「政府を信用するのか」と言われたが。
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仮設住宅は、4畳半と3畳半。東北の山の仲では大家族の大きな家が多い。仮設では1家族入れない。家族離散だ。人口は減っても、世帯数は増えている。
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「復興」というが、ありえない。なんとなく変だ。「作り直し」なら。
たとえば明日行く広野町は住民は8割いない。いるのは除染労働者。彼らを雇っているのは除染を引き受けたゼネコン。前田建設は原発を作るときに下請けで入ってもうけて、また今度は除染でもうける。
いま一部では継起がいい。除染労働者のアパートで建設ブーム。市役所は「人を集めるのはゼネコンしかいないんだ」と言う。
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いま帰って見て、みんな絶望する。2年半経って、みかけ自宅の外はきれいでも、仲はネズミ・タヌキ・アライグマが荒らしてケモノのフンだらけ、味噌や醤油が腐っていて。牛も野生化して。
「いつか戻れる」という希望がない。
(文責は雨宮,一部順序を変えました。メモに基づくので、かなり省略しています。ご容赦を)