遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区於呂神社(その2)ヤマサチ
前回の(その1)で、於呂神社の祭神が「天津日高日子穂穂出手見命」、カタカナで書くと「アマツヒコホホデミノミコト」であることを書きました。
「日本神話」を知らない方のための説明。この「天津日高日子穂穂出手見命(アマツヒコホホデミノミコト)」はアマテラスの孫のニニギノミコトが「九州のどこか(もちろんボクは北九州・博多付近の海岸説)」に「天孫降臨」して現地の豪族の娘という「コノハナノサクヤ姫」を娶って生まれた3人の息子の3男です。
長男が海の支配権を持つ「海幸」で、次男は不明、3男の「ホホデミミ」が「山幸」です。この山幸が、兄の海幸の「釣り針」を借りて慣れない釣りをして、兄から借りた「釣り針」をなくして兄に「あの釣り針を返せ」と追求されて、海岸でどうしようかと(自殺しかねない勢いで)泣いていたら「塩土の神」というオッサンが来て「私が小舟を作ってあげるから、この小舟に乗って漂って着く「ワタツミの宮」に行って相談しなさい」と助言される。
その「ワタツミの宮」に漂着して「海神の娘・豊玉姫」と出合って結婚して、夢のような3年間がすぎる(ちょっと浦島物語に似てますね)。
3年後に「兄から借りて亡くした釣り針」を思い出して(遅いよ!3年間、釣り針を飲んで苦しんでいたお魚くんに謝りなさい!)、姫に話すと、姫は魚たちの中で「赤鯛タイ」が苦しんでいることをつきとめ、釣り針を取り戻しました。
ふるさとに戻るという山幸に、姫は「潮満つ玉」と「潮干る玉」の2つを渡して、これで兄と闘って地上の支配権を勝ちとりなさいとアドバイスします。
姫の言う通り(ちょっと海神の娘の言いなりで、情けない状態?)にして海幸を支配した山幸のところへ、なんと豊玉姫が「あなたの子どもはこの地上で産みたい」と言ってやってきます。
海岸に豊玉姫の「産屋」を建てて、言わなきゃいいのに夫に「私のような地上の国でない者は子どもを産むときはふるさとの姿に変わるので、絶対に、あなたは産屋を覗かないでね」と。これは「覗きなさい」と命令しているようなものですね。
似たような状況は、日本神話のもっと昔、イザナギとイザナミの話、そして、現代戯曲で木下順二さんの「夕鶴」がありましたね。
そんなこと言われたら、男としては、「のぞき」趣味はなくても、妻の秘密は知りたいよ!…覗いてしまった山幸が見たのは、妻は「四ヒロわに」でした。
妻は恥辱に、子どもだけを残して「海神の宮」へ帰ってしまいます。
「四ヒロわに」が何なのか諸説ありますが、とにかく、「わに」「ヘビ」「竜」などの海中動物のたぐいです。そういう意味では、古代天竜川の「竜」伝説、と関連が見いだせます。
あるいは坂上伝説の「有玉」伝説の、水をコントロールする「玉」は、あきらかに、『古事記』『日本書紀』の「2つの玉」と同じような物です。
そして、この豊玉姫が産んだ男の子が「ウガヤフキアエズノミコト」で、彼が結婚したのが豊玉姫の妹、彼からは叔母さんになる「玉依り姫のミコト」で、生まれた4人の男の子の4男が、後の「神武天皇」です。
「え?神武天皇なんか、8世紀のヤマト朝廷が創作した「小説の主人公」でしょ?と思っている方もあると思います。
また、ちゃんと詳論を書きたいと思っていますが、まるで19世紀や20世紀の小説家が登場人物を創作するように、8世紀の古代日本国家の官僚あるいは文化人たちが、「主人公を創作」できたと思うのは、「古代と現代の同一視」「古代人の精神と現代人の精神の同一視」で、ありえないことだとボクは思っています。もちろん、古代歴史学界では証明されていないことですが。
かなり、権威ある説ですからね。やっと「古代日本」で「創作小説」ができたのは、なんと11世紀、8世紀から300年後の日本古代史後期、藤原氏全盛期になってからです。
もちろん、ムラサキシキブさんの小説『源氏物語』あるいは、『竹取物語』などが出てからです。
『古事記』や『日本書紀』を、日本最初の「神話小説」などという概念は、誰も証明してないと思いますが、流通だけはしていますね。ぜんぶウソではないでしょうか?
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この浜松市浜北区於呂の「於呂神社」の祭神が「山幸」であるというのも、何らかの古代的真実を告げている可能性を、ぼくは考えたいと思います。もちろん、そうでない可能性、古代から以後の現代までの時代での、単なる九州からの「移転」も否定はしません。