雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区の於呂神社(その1)

2013年10月12日 22時05分37秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区の於呂神社(その1)

 以前に 遠州古代史 6月6日 地名編1 浜北区「於呂(おろ)」 2011年06月07日 07時03分29秒 | 遠州古代史 を書きました。

 そこでは「於呂」は「オロチ」、つまり「ヘビ」であって、宮沢賢治さんの「寒さの夏」に「オロオロ歩く」のは、ヘビがクネクネ歩くことから来ているという「名論」「迷論」を展開しました。

 だって、古代の旧「天竜川」は、ヘビの伝説に満ちていますからね。

 ようやく、その現地の「於呂神社」に行きました。

 第2東名のすぐ南です。

 かなり境内は広く、駐車場が、神社の近くで、遠くに鳥居があって、鳥居まで歩きました。神社は「南面」で、つまり鳥居から神社を拝むと北の方角です。

 行って見てびっくりしたのが、祭られている「祭神」が「天津日高日子穂穂出手見命」、カタカナで書くと「アマツヒコホホデミノミコト」です。

 別名の方が有名ですね。別名は「ヤマサチ」で,日向から進発して、ヤマトを征服した「神武天皇」の祖父です。

 このあたりの古代史と神話史の交錯する時間を、いずれ書きたいですが。

 問題は、なぜ「ヤマサチ」が、この遠州にいるの?

 歴史への疑問はつきませんし、謎は、まだまだ続きます。

 

 


雨宮日記 10月12日(土) 知らぬ間に「70万ヒット」ありがとう

2013年10月12日 21時48分26秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月12日(土) 知らぬ間に「70万ヒット」ありがとう

 知らぬ間に、70万ヒットを越えていました。みなさま、ありがとうございます!間歇温泉のように、「雨宮日記」以外は、原発も古代史も経済学も、不定期で更新していて、すみません。

 要するに「ウイングを広げすぎ」なんですね。まあ、これが「専門がないのが専門」あるいは「ジェネラル・スペシャリスト(総合専門家)」を自称しているので、しょうがないですね。

 もしかしたら、「何もかも、わかっていない」かも知れませんが。あるいは「どれも理解が中途半端」かも。

  ☆

 昼間は、全国で「真夏日」なのに、夜はあっという間に、半袖では寒いくらい涼しくなりました。

 則子さんが家にいると、かなり食事のおかずを、何品もつくり、傍で見ていて「もういいでしょ?」と思うくらいなのですが(もちろん「もういいでしょ」などと口には絶対、出しませんが)、ぼくがすると、かなり手抜きで、父にすると「これだけか」と不満でしょうね。

 則子さんが午後6時までの勤務だったので、ぼくだけ先に6時10分頃、『資本論 第2部』学習会会場のカギを持って会場へ。則子さんは、なんとか開始時間に間に合いました。

 今日は「第1編」の復習会で、ぼくが後半を担当したので、四苦八苦(4989)して、レジュメを作りました。でも、やはり、自分で苦労して報告するのは、学習の力になりますね。