雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

過去現在未来のメモリーノート 9 哲学・経済学の学習 1 「体化物」の疑念について 20180413

2018年04月13日 16時23分26秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 9 哲学・経済学の学習 1 「体化物」の疑念について 20180413

 すこし「哲学・経済学の学習」を載せていくことにする。今日は、その1、「体化物」について。

 マルクス『経済学批判』にも、マルクス『資本論』にも出てくる概だが、なぜか『経済学批判』岩波文庫「事項索引」にも、『資本論総索引』「事項索引」にも出てこない。

 ボクが見つけた主な所を掲載する。

 「商品交換がそのもっぱら局地的な束縛を打破し、それゆえ商品価値が人間的労働一般の体化物にまで拡大していくのと同じ割合で、貨幣形態は、一般的等価物という社会的機能に生まれながらにして適している商品に、すなわち貴金属に、移っていく。」
 ≪ マルクス『資本論』1a、第2章 交換過程、死日本上製版 p151、原書p104 ≫

 「市場にあるすべてのリンネルは、1つの取引品としてしか通用せず、その各片はそれの可除部分としてしか通用しない。
 そして、事実、どの1エレの価値も、同等な人間的労働の社会的に規定された同じ分量の体化物にほかならないのである。」
 ≪ マルクス『資本論 第1巻』、、「第3章 貨幣または商品流通、第2節 流通手段、a 商品の変態」、Ⅰa p182、原書p122 ≫

 「したがって、資本は、A・スミスが言うように、労働にたいする指揮権であるだけではない。それは、本質的に不払い労働にたいする指揮権である。
 すべての剰余価値は、それがのちに利潤、利子、地代などの特殊な姿態に結晶化しようとも、その実体からすれば、不払い労働時間の体化物である。
 資本の自己増殖についての秘密は、解いてみれば、資本が他人の一定分量の不払い労働にたいし処分権をもつということである。」
 ≪ マルクス『資本論 第1巻』Ⅰb、「第5篇、第16章 剰余価値率を表わす種々の定式」、p908~909、原書p556 ≫

 「この等式の系列では、鉄、小麦、コーヒー、炭酸カリ等は、たがいに一様な労働、つまり金に物質化された労働の体化物としてあらわれ、そこでは、それらのさまざまな使用価値で表示されている現実的労働のすべての特質は、まったく消えている。
 価値としては、これらは同一であり、同じ労働の体化物または労働の同じ体化物、すなわち金である。同じ労働の一様の体化物として、これらは、ただひとつの区別、つまり量的な区別だけを示している。」
 ≪ マルクス『経済学批判』岩波文庫、「第2章 貨幣または商品流通、1 価値の尺度」、p75~76 ≫

 つまり労働が物質化して「体化物」になるということらしい。労働の「物資化物」という意味なら「物化物」または「質化物」だろう。

 ただ「物化」という言葉は、すでに「疎外」にかかわって使われているし、「質化物」では何のことかわからないような感じがする。

 それでよく似た概念、「物体化」を縮めて「体化」として、「体化物」という用語を使ったのではないかと推測する。

 

 < 補足 20180413 18時54分 >

 あとで思いついたのだけど、「体化物」は、「対象化物」のことかも知れない。これが、一番妥当な訳語解釈かも。